紙の本
いつの間にか哲学的色合いを帯びてくる
2023/04/25 17:20
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
動物がその知覚によって、それぞれ異なる世界を持っているとするユクスキュルの考え。著者はそれを人間にまで押し広げ、主観的な世界を「イリュージョン」と名付けた。いつもの日高氏らしい柔らかい語り口で始まった動物の世界観の話は、ユクスキュルの語り直しだと思いきや、いつの間にか人間の認識について考えさせる哲学的色合いを帯びてくる。「われわれの認知する世界のどれが真実であるかということを問うのは意味がない」とする著者の考えを受け我々は、「だから自由勝手にやる」とするのか「だからこそ対話が必要」と考えるべきか。
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タイトルに期待した内容は正直、うすい。昆虫や哺乳類といった人間以外の生き物はそれぞれ当然人間と違う世界をみていて、感覚器官もさまざまでこれこれこういう機能がある…といった科学的仮説は知らなかったので興味深いのだが、それをふまえての本書の主張といえば、結局それぞれの生き物に「イリュージョン」があって他者のそれは仮説でしかない、ということのみ。内容のわりに値段が高い気が…。
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動物がどのように世界を認識しているのか。昔からとても知りたかったことだ。本書でわかったのは、動物によって認識しているもの、方法が異なること、同じ空間・時間を生きていても環世界が異なることである。しかし異なる環世界に生きているものが併存しても世の中はなんとかまわって行っているのは、自然界には「見えざる手」があるのか?、それとも自然界にはそもそもただランダムに展開しているだけのものなのか?ちょっと興味をもった。
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もしもこの本に、たとえば高校生の頃に出会っていたら、もう少し、物理や化学を学ぶ意味を実感できたかもしれません。
この薄さでネコやチョウが世界をどういった感覚で認識しているか、というところから人間の概念的世界認識や科学哲学のような壮大な話に発展していくのだから驚きます。
それが全く科学に無知な私でも夢中になれるような平易で明快な文章でかかれているのが素晴らしいです。
でも一番印象に残ってるのは可哀想なハリネズミのイリュージョンのお話でした。外敵とおぼしき地響きを察知すると、身体を丸くしてとげとげで身を守るハリネズミ。
その結果、車にひかれてしまいやすいハリネズミ。
どうにかしてあげる方法ってないのですかね。
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今ある現実は現実といえるのか。当たり前は本当に当たり前か。この世界で生きている限り、自身の色眼鏡というのは決して外すことが出来ず、むしろ外せないという事実を抱えて生きていくべきじゃないか。
人間とネコが見てる風景は現実では同じだけど、捉え方は全く違うし、ネコとチョウが見てる風景もまた全くの別物。
でもそこにある風景は変わらない。
つまりこれが色眼鏡であり、同じ人間同士でも見てるものは同じだけど違うよねっていうこと。だから色眼鏡なんて外せない。
そりゃそうだ、と思うかもしれないけど、それをしっかり説明されたことなんてないし、それが古典文学や史実にも影響してるなんて考えもしなかった。
本書は認識について徹底的に述べ、決して専門書になることなく、誰にでも理解出来る内容で上記の事柄も書いてある。
認識の違いは結構見失いがちだが、もしそこが理解出来ていれば日々の生活において役に立つことは間違いない。もっと言えばその理解を活かすことが出来れば人との付き合いにおいても何か変革が起きるのではないだろうか。
その意味では実用書とも言えるかもしれない。
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『自分が見ている世界は、一生自分しか見えない。
隣にいる人が見ている世界を私は見ることができない。
もしも、自分が目が見えなかったら、色を想像することはできない。自分が見えている世界が本当に隣の人も同じように見えているかを確認することができないんだよな・・』と、小学校の時に気が付いて、とても神妙な気分になっていたのを覚えている。
大学生の時、自閉症の子どもたちに保育実習で出会った。
自閉症の子どもたちは、自分の手があるという感覚がなかったり、外からの刺激が痛かったりするということをきいた。
世界は自分が見えているように、認識はされていない。
客観的な世界というのを誰もわからないのではないか?と思う。
動物行動学の権威がその疑問に答えてくれたのが本書。
動物によって見えている世界(環世界)は違う。
例えば、人間には見えない紫外線が見えている生き物にとっては、人間がこれが世界の全てと思っている世界とはもっといろいろなものが見えているのかもしれない。
釣りの時に使う、ルアーのきれいなエサの模様をみて、これが魚にはエサに見えるんだよな。。と、不思議に思った。魚がどんな風に見えているかなんて、ずっと分からないけど、魚に見えている世界があるというだけで、なんだか楽しい。
動物の見え方というのは、その生殖行動に起因している。
たとえば、モンシロチョウのオスはメスを探し求めて、メスに似た色しか見えない。たくさんの花の蜜があっても、ほかのものは見えない。見えないということはモンシロチョウの世界には「存在しない」ということ。
そう考えたら、人間だって、この世界が全てと思って普段生きているけど、モンシロチョウと同じように、「存在しない」世界が実はある。それはファンタジー、妖怪、伝説のような世界でもあるし、日々科学の進歩で解明されることはそうだと思う。
動物のように、プログラミングされ、遺伝子を残すという行動だけで生きているのはすごくわかりやすい。人間ってなんて、面倒くさいんでしょうと思ってしまう。
でも、だからこそ、文学や芸術が生まれるのだと思う。
見えている世界の中だけで生きていかず、ただ、生殖行動だけで、生きていかないからこそ、面倒なものも生むけど、美しいものも生む。芸術や文学や、人間が昔からつくってきた、文化というもの。見えない世界を知りたいという欲求が科学の進歩を生んできたのだと思う。
面白かった~。
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イリュージョンという言葉にはちょっと引っかかりを感じますが確かに自分が蝶にならない限り蝶の世界はわからない、ということはよくわかります。人間が観察して、こうだろうという推測を立てることは可能だけれども。人間が人間である以上、人間の価値観・認識でしか語れないわけです。
こういう本を読むと怪しげな新興宗教とかにはまらずに済むと思うな~ 面白かったです。
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チョウチョ研究家の、生物の世界認識の違いについての思想録。
ちょこちょこ出てくる身近なエピソードが面白かった。
努めて口語なのですらすら読める。
科学書というよりはエッセイっぽいかな?読みやすかった。
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「イリュージョンなしに世界は見えない」って言葉に引き寄せられて、また動物行動学者の権威としての日高先生に引き寄せられて、買ってしまった本です。
イリュージョンという言葉には幻覚、幻影、錯覚、幻想などいろいろな意味あいがあるが、それら全てを含みうる可能性を持ち、さらに世界を認知し構築する手立てとしもなるという意味も含めて、イリュージョンという片仮名語を使うことにしたい 序章より抜粋
(人間は、)死というものを知ってしまったけれど、人間の知覚の枠の外にある以上、それを体験することはできない。頭の中ではそれを取り込んだ形で世界を構築せざるをえない。すると死というものはどうゆうものか、死んだ後の世界はどうなっているのかまったくわからないままに世界を構築しているので、そこにできあがってくる世界は、イリュージョンとしかいいようがない。
引用が長くなってしまいましたが、イリュージョンの働きはなにかをこの本では考えています。
本の中では、モンシロチョウが例としてでてくるのですが、モンシロチョウのオスは交尾の時期には、メスのしか見えない。だから、メスがいるキャベツ畑の上を飛んでいる。しかし、交尾がすむと今度は花の蜜しか見えなくなると。
今考えていたり本能が求めていること意外は、目に見えているにせよ実際に知覚はしていないという事です。
何か気になったときに、やたらに電車のつり広告や、ふと入った本屋に積まれていた本の題名や、新聞記事が目に飛び込んできたりした経験はないでしょうか?その原因は、イリュージョンであると理解しました。
ということは、自分にとって意味のあるものしか見えないということで、それは固定観念、や常識という今自分が持っているイリュージョンなんでしょうね。
あと10年で、世界の人口がこのままだと100億を超えます。いまもっているイリュージョンに聴けば、あなたのイリュージョンは「それは、途上国が貧困で、教育レベルも低く、避妊もできないからだ」と答えるのでしょうか。日本が先進国で、途上国への支援をして あ げ る という上から目線かもしれないですし、人口問題の原因は貧困にあるといったイリュージョンが思考に影響を与えているんでしょうね。
僕は今、僕が持つイリュージョンを180度替えようと思っています。
① 経済規模の拡大 から 最適な持続可能な規模へ
② もっともっと欲しい から 減らせるものはなんだろうへ
③ 物質的な満足 から 精神的な満足へ
④ 考える社会 から 情動の社会へ
⑤ 自分がよくなりたい から 皆がよくなりたいへ
そして、新しいものが見えてくる。
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例えばモンシロチョウは紫外線が見える。そのことによって、人間とはまったく違った世界が見えているはずで、蝶にとっての白と、人にとっての白は違う。視覚だけでなく、フェロモンや音、その時欲しているものだけが世界に存在するように感じ取る生物も多い。
こうした様々な認識を(科学的論理に基づく)イリュージョンとして説明する。これは生物毎の違いだけでなく、人のイデオロギー間にも、もっといえば腹が減っていると食べ物屋が目だって見える、なんてときにも存在するわけです。
知っていることと、現実の感覚としてわかっていることの違い。世の中そんなことばっかり。イリュージョンなしには世界は見えないし、この概念がわかると、大抵のことが理解(というか、納得というか、我慢)できるようになりそう。
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ブログにもこちょこ書きました。
http://t-katagiri.blogspot.com/2013/03/blog-post.html
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ユクスキュルの「環世界」を敷衍し、岸田秀さんの「唯幻論」を意識しながら、「イリュージョン」なるタームを呈示する。
しかしこのイリュージョンという語はどうやら定義があいまいな部分があるし、全体にユクスキュルの本の「驚き」を超えることはない。これなら、ユクスキュルを読んだ方がずっといいと思う。
ユクスキュルの衝撃というのは、各動物が生きる「現実」というものがいかにそれぞれに異なっているものかということを明らかにし、我々があると信じている「客観的な現実」なるものが本当に存在するのか?という問いをつきつけることにあった。これは反-科学にすら向かう驚くべきテーゼである。
ところが日高さんは、イリュージョン(幻想)を「現実」に対立させ、科学者としてあくまで「現実」を死守しようという姿勢がしばしば現れる。このために、ユクスキュルの角を落としたような、曖昧にごまかすようなところが本書にはある。
個々の動物の環世界を例示するところは、さすがに動物学者の専門領域だから、参考にはなるが、この本を読むくらいならやはりユクスキュルを直接読んだ方がずっといいと思う。
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人にも動物にも昆虫にも、それぞれ主体的な環世界があるというのは、目から鱗でした。
その世界をイリュージョンと呼び、物理的真理とは別に、そのイリュージョン無しでは生きていけない。また、ヒトはとりわけイリュージョンによる世界観が変わる事を喜ぶ生き物だとしたら、この本もまた、私のささやかなイリュージョンを変えてくれる本でした。
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動物によって感覚器の違いがあり、認識している世界も異なります。
それぞれが認識している世界のことを環世界といいます。
興味深い例があげられていました。
イタチはトリにとって天敵です。
イタチがヒナを狙って巣に入り込もうとすると親ドリは勇気をふるって立ち向かいます。
イタチのお腹にヒナの泣き声がでる小さなスピーカーをつけておきました。
そして耳が聞こえる普通の親ドリの巣に入れました。
親ドリは、恐ろしい敵であるイタチを巣に招きいれ、あたかもヒナをあたためるように翼を開き、羽の下に這いこませようとしたそうです。
トリの世界では、視覚よりも聴覚が重視されていることがわかります。
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[ 内容 ]
ある日、大きな画用紙に簡単な猫の絵を描いて飼い猫に見せた。
するとすぐに絵に寄ってクンクンと匂いを嗅ぎだした。
二次元の絵に本物と同じ反応を示す猫の不思議な認識。
しかしそれは決して不思議なことではなく、動物が知覚している世界がその動物にとっての現実である。
本書では、それら生物の世界観を紹介しつつ人間の認識論にも踏み込む。
「全生物の上に君臨する客観的環境など存在しない。
我々は認識できたものを積み上げて、それぞれに世界を構築しているだけだ」。
著者はその認識を「イリュージョン」と名づけた。
動物行動学の権威が著した、目からウロコが落ちる一冊。
[ 目次 ]
イリュージョンとは何か
ネコたちの認識する世界
ユクスキュルの環世界
木の葉と光
音と動きがつくる世界
人間の古典におけるイリュージョン
状況によるイリュージョンのちがい
科学に裏づけられたイリュージョン
知覚の枠と世界
人間の概念的イリュージョン
輪廻の「思想」
イリュージョンなしに世界は認識できない
われわれは何をしているのか
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
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