紙の本
書いてあることは他の本で読んだものと大して変わりはない。でも読むたびに新鮮な感じがする
2018/10/17 20:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
森達也が様々な雑誌等に発表したエッセイを集めたものである。書いてあることは他の本で読んだものと大して変わりはない。著者自身もそう書いている。でも読むたびに新選な感じがする。それはこの人が書いているようなことは、他の人はほとんど書かないからかもしれない。もっとこの人の本は読まれてもいいと思う。
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森達也のエッセイは2冊目。
以前どこかにも書いた気がするが、世の中に対して何かしらのインパクトを与え続けたり、何かしらで認められている人間に共通してあるのが、現状に対する「危機感」であり、その「危機感」を元に「思考」することだ。
僕はそんな人間に魅力を感じるし、尊敬する。
そして自分もそんな人間であり続けたいと思う。
村上龍のエッセイからもそんなエネルギーはヒシヒシと感じることが出来るんだけど、同じく森達也からも感じることが出来る。村上龍の方が力強くて好きだけどね。
まぁでも「自分ってただなんとなく生きてしまっているなぁ」って少しでも今この瞬間に思ってしまった人は、この本や、同じく森達也の『世界が完全に思考停止する前に』、村上龍『ハバナモード』を手にとってみてはどうだろうか。
すこーし世界が変わるかもしれない。
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『死刑』以来、森達也さんが気になり、いろいろ読んでみています。
森さんの本ではやっぱりオウムに関する記述が一番気になるのは、自分が事件当時に小学生で、衝撃を受けたからかな…
日常的に感じる薄い違和感を、あえて(たぶんご本人がそういうのを放っておけない方なのだと思いますが)取り上げるのが本当にすごいと思う。
そういうのに対して、周りの反応(マスコミ関係者とか)は「そういうのは…ねえ、」と苦笑いな感じのリアクションである場合が多いんだよね。
そうしてしまう気持ちもすごく分かるけど。
「無視しないで」「拒否しないで」というのが森さんのメッセージだと思うので、
自分なりに気をつけてみている。つもり。
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オウム事件をきっかけに、日本社会の他者への不安と恐怖は増大し、他者への想像力を失った。9・11以降の世界も同じく。
人は悪意や自分の利益のために大量の人を殺せない。むしろ善意や大義を燃料とする時にこそ、愛する者を守ろうとする時にこそ、他者への想像力を失い、とても残虐になる。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
だから今、視点を変えるために。
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『世界が完全に思考停止する前に』に引き続き、森達也さんの本は2冊目。
1人1人の人はごく普通の“優しくて善良な一個人”なのに、主語が「我々」や「国家」という集団になった時、その個人はその優しいままで(むしろ、その“優しい”正義から)豹変する。・・・このタイトルは悔しいくらいイイ。
思考停止に陥っていないか?ただ、その目の前にあるものを直視できているか?胸に刻み込んでおきたい内容である。
著者自身が、自分の表現に対して悩んだりへこんだりしているのがそのまま正直に文章に表れているため、思考を押し付けられる感覚がなく、1人の人の意見を聞いてそれを自分で咀嚼できる感じが良い。
ドキュメンタリーは客観的ではなく、主観的なのは当然と言う見解が新鮮。今まではあくまで中立の立場であるべきと思っていたが、材料が“現実”でも、切り取った表現である以上、確かにそうなのかも。
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「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
人は人を殺すとき、一度に大量の人は殺せない。
殺せるときはその後ろに正義や誰かのためだったりするんだ。
みたいなことが書いてありました。
社会学をやっている身として、
人がどんな行動をしても
初めにその人を攻めるのではなくて、
その行動を起こした背景を見なきゃだめなんだと思いました。
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ブコウスキーを買うべきか、モリタツを買うべきか、5分程、店頭で悩む。モリタツを手にとっては、ブコウスキーを置き、モリタツを棚に戻して、ブコウスキーを手にとること、数回繰り返す。結局、選んだのはモリタツだった。就職活動でしばし疲れた私は、人の優しさを感じたかったのだろうか。(森達也風に綴ってみたけど、伝わるかな?)
やっぱり、森さんの文章を読んでいると、ときめきます。森さん、好きです。森さん直筆のサインは、ちょっぴり家宝なわけです。
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大学生の時、講義で薦められて読んだ。そして感銘を受け、卒論にも盛り込んだ。森さんの考え方に近いからハマったのかもしれない。
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この本のキーワードは2つかなと思っている。
一つは、「壁の上から見た景色」。
オウム信者と、そうでない人々を隔てる壁の上に立ってみたら
右も左も、見事に同じ光景が広がっていた、という比喩。
もうひとつは、「スタンピード」(群衆の突発的な暴走を意味する言葉)。
有事ガイドラインに国旗国歌法、通信傍受法といった法案成立など
排他的に変性していく03年~04年の国内政治と織り交ぜながら
著者と愛猫のエピソードが語られる章『ぎりぎりの瞬間』(P349)に、
こんな文章がある。
【人は硬直する。力む。空気を読む。周囲の声に合わせて、
すばらしいお召し物ですねと頷いてしまう。そして走り出す。
最初はゆっくり。でも少しずつ加速する。いつのまにか暴走している。
必死に走る。歯を食いしばり、やがて転ぶ。崖から落ちる。最後には泣く。
どうしてこんなことになってしまったのかと】
この文章は、ただのシニカルでペシミスティックな比喩表現ではないと感じる。
この文章の主人公である、どうしようもない愚かな『人』に対する、
愛しさと肩入れを感じる。
オウム、放送禁止歌、小人プロレス、インドのカースト
大正12年に起きた千葉県福田村での殺人事件、娘との有機野菜作り、
様々な事象・局面を入口に、2つのキーワードを浮きあがらせる。
各国での「A」「A2」上映をめぐる出来事や所感を述べた章も、
示唆深いのと同時に、普通に読み物として面白い。
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ひとつ、異質な章がある。
それは、酒鬼薔薇聖斗に宛てて書いた手紙、と副題の付けられた
『永劫の宇宙から君を思う』(P332)。
私が読んだことのある彼の文章の中で、
もっともポエティックで、甘くて脆くて強靭でフラットで、
ある意味、もっともメッセージ性に満ち満ちた言葉。
溜まらない。
煩悶を抱えた全てのひとに言いたい。
森達也の人と成りも、主張も、感性も、何も知らなくたっていい。
この8ページだけでいい。もし、良かったら、読んでくれ。
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著者は、世界をひとりひとりの営みの集積として切り取っている。
そして、ひとりひとりが一人称単数から一人称複数になったときの善意の残虐性を見つめている。
それを例えば、オウムや同時多発テロや部落差別や放送禁止歌をテーマに
ドキュメンタリーという手法を通じて表現している。
さらにすごいのは、その残虐性自体は否定しないところだ。
ただ、氏が懇願するのは、思考を停止しないこと、想像力を持つこと。
そのことだけを望んでいる。
ケンタッキーを頬張りながら、捕鯨反対に対するテレビ番組を見て、
「俺、矛盾してるよな」と苦笑いする、という描写が確かあったはずだが、
そこに象徴的に表れている。
そこに「俺」という一人称単数の当事者が存在するという、そのことで、
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」と断言している。
かなりの秀作。
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「もっと想像力を!!」
オウムを主題としたドキュメンタリー映画「A」「A2」などを制作した気鋭のドキュメンタリー作家によるノンフィクション・エッセイである本書からは、随所からそんなメッセージが聞こえてきた。
「個」としての他者に対する想像力、「個」としての自分に対する自覚・・・
世界は矛盾に満ちているが、それを許容しそれでも葛藤すること。
誰もが加害者であり被害者であるということ、そして決して思考を停止させないこと。
みんなが健全な想像力を持つことができたとき、きっとそうだ
「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」んだ。
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「麻痺しきってしまったほうが、楽だけど
でもせめて矛盾に対しての葛藤と自覚くらいは
持ち続けたほうがいい」
私が、「A」を周囲の人に勧めることが
できなかった理由は、オウムにシンパシーを
持っているかのように誤解されることを
恐れたから。小心者です。
でもAやA2は「被写体はオウムだけど、
テーマは今の日本社会そのもの」なので、
小中高の授業で見てもいいはずなのに。
「本当に警戒すべきは、外なる悪では
なくて内なる善」であるという言葉から
見えるものがいっぱい。
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「A2」撮影後の後日談や、これまでに森達也が関わってきた取材対象についてまとめた1冊。
オウムの指名手配犯が次々と捕まり始めたいま読み始めてみたが、彼の意見はいま現在に至るまで、ぶれているようでぶれていない。
他者への想像力を働かせること。
それをやめるのは楽に生きることへの近道ではあるが、世の中全体がそうなってしまうことは恐ろしい。
いろんな見方があっていいと思うが、目の前の物事に対して疑問を抱き続けることは、いまの日本においてとても重要なのだと思う。
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AとA2という、森達也監督作品を二作続けて鑑賞した感想は、まさにこの著書のタイトル通りである。
別に、森さんの話に何から何まで、賛同し、影響されているとは思わない。
しかし、非常に共感できる言葉が沢山あるということは、間違いない事実である。
社会の人々が、こう言うから、納得。
誰も賛同しないから、反対。
私はそんな雰囲気は好きではないし、人が西に行くなら、東に行きたい人間だ。
けれども、それはなかなかできることではなく、自然に大衆に迎合しているのが、普通の日本人かもしれない。
しかし、森さんがまとめているとおり、ちょっとした?を表現する訓練をして、
感情の赴くままにたまには行動して見た方が人間は楽しいのが、本来の社会的な動物の在り方ではないか。
確かに、森達也さんが指摘した視点に憧れる三十歳の人間がここにいる。
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一冊にまとまっている文章を読むと、森達也が繰り返し同じことを言っているのがよく分かる。想像力をもっと、思考停止になるな。こういうメッセージは好き。
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相手を思い、考えて行動するだけで今よりは良い世界になると思う。相手の行動によって「ムカつく、悲しい、仕返ししてやる」という気持ちを持ってしまった時、「どうして相手はあんなことをしたのだろう。何かあったのか」と一歩踏みとどまって考えてみてほしい。