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紙の本
ふたたび興味をかきたてられる文豪の世界
2010/12/30 11:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェーホフは好きな作家である。『かわいい女』、『かもめ』、『桜の園』などに描かれた淡い人間模様や情景にはいつでも、ほのぼの、しみじみした感動をおぼえる。彼の戯曲をもとにしたニキータ=ミハルコフ監督の『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』も独特のユーモアとペーソスにあふれ、お気に入りの映画である。
しかし、チェーホフについては、上にあげたような名作以外はほとんど読んでいない。これでファンを名乗るとはおこがましい限りだが、短編ばかりのチェーホフ作品のどれから読めばいいのか見当がつかないこと、片っ端から読めばいいのだろうが、一般に登場人物が多く、一人の人物をいくつもの名で呼ぶロシア文学を、一作ごと頭を切り替えて読むことにはつい、興味よりもわずらわしさを覚えてしまうこと...と、あれやこれやのくだらない理由から結局、私は思慕を抱きつづける作家の膨大な作品群のほんの一部にしか触れていない。
阿刀田高の『チェーホフを楽しむために』は、そんな私にふたたびチェーホフ作品への興味をかきたててくれた。ここには、文豪の生い立ちや経歴が、ほぼ年代順に描かれ、それぞれの時期の作品解説を中心に、彼の作家としての深化・発展がたどられる。多くは私の読んだことのない作品で、それらのあらすじが原文の引用(ちくま書房『チェーホフ全集』より。それも大抵かなり長い)とともにつづられる。自身作家である阿刀田氏。同業者としての共感や経験談を交えながら、文豪が作品に込めた思いをさらりと読み解くその語り口は小気味よく、読者を飽きさせない。
紹介されたどの作品も、読んでみたくなる、あるいは読み返したくなるものばかりだが、たとえば『いたずら』という作品の紹介では、少年が少女に仕掛けた「いたずら」の意味について解釈をめぐらせる。橇すべりに興じる少年と少女。すべりの興奮が極地に達した瞬間、少年は少女に「好きだよ」とささやく。彼女はささやきの主が風か、少年なのかがわからない。橇すべりは怖くて仕方ないのに、それを確かめたいために、少女は少年に何度も滑ろうと誘う。その後、彼女が一人でいるときに、彼は後ろからそっと同じ言葉をささやく。彼女はそれが風であると思い、風にむかって手を伸ばす。
結局、少女にとって少年のいたずらは何だったのか。チェーホフの結論は、その後平凡な結婚をし、3人の子持ちとなった彼女にとって生涯で最も幸せな瞬間であったというものだが、阿刀田は、これが至福の瞬間だとしたら、悲しすぎやしないかと疑問を呈する。そのうえで、「この二重性、曖昧さがチェーホフなのだ」と述べている。
そう、曖昧性。愛や信仰を絶対的に論じるドストエフスキーやトルストイとちがい、チェーホフにおいては、どこかふわりとした、判断を読者に委ねるどっちつかずの描写やストーリー展開が多い。阿刀田のチェーホフ観はまさに私の感覚にぴったり来るものである。彼はロシア旅行での見聞として、ロシアで今、一番人気のある作家はチェーホフであると伝え、こう述べている。「チェーホフが愛されるのは、ロシアが教訓や教条に飽きて、なにげない軽やかさに大衆の嗜好が傾きかけている証左かもしれない。」
チェーホフ作品においては、弱く愚かしいが、純粋な人々が主人公である。これは、ドストエフスキーやトルストイにも出てくるキャラクターだとはいえ、彼らの文学においては、それらは決して表立った存在ではない。ところで、私がロシア文学で最も惹かれるのがこういったキャラクターである。だからなおさら、本書を読み、そういう人物が縦横無尽に動きまわるチェーホフ世界に入りこまなければ、と悟った次第である。