「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
紙の本
ダブリナーズ (新潮文庫)
アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親...
ダブリナーズ (新潮文庫)
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親、下宿屋のやり手女将など、そこに住まうダブリナーたちを通して描いた15編。最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』の訳者が、そこからこの各編を逆照射して日本語にした画期的新訳。【「BOOK」データベースの商品解説】
収録作品一覧
姉妹 | 9−25 | |
---|---|---|
出会い | 27−42 | |
アラビー | 43−54 |
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
ジョイスを読む愉しみ
2009/03/22 11:54
19人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者ピエール・バイヤールによれば、ジョイスの『ユリシーズ』は、大学教授でも読み通していない類の本である。そのジョイスが書いた『フィネガンズ・ウェイク』は、『ユリシーズ』を上回る難解さで知られている。原語で読んでも難解な本をなんと日本語に翻訳してしまったのが、今回の新訳を担当した柳瀬尚紀その人である。
新訳ブームで、かつて名訳と謳われていた現代の古典ともいうべき作品が装いも新たに続々と登場するのは、読者にとって喜ばしいかぎりである。言葉というのは生もので、時代が変われば古びもし、味わいが失せもする。そのかぎりにおいて、同時代の言葉で読むことのできる新訳は、若い読者に古典的名作に近づく機会を与えてくれる。近頃ほとんど話題にも上ることのなかった『カラマーゾフの兄弟』が多くの読者を惹きつけたのがその例だ。
さて、ジョイスの『ダブリン市民』である。同じ新潮文庫の旧訳者安藤一郎氏の解説には次のように紹介されている。「『ダブリン市民』は、十五編の短編から成り、ことごとくダブリンとダブリン人を題材にして、幼年、思春期、成人もしくは老年の人間によって、愛欲・宗教・文化・社会にわたる「無気力」(麻痺)の状況を鋭敏に描いたものである。」
これに続いてジョイス独特の文学形式である「エピファニー(顕現)」の解説があるが、今となっては、特にそれを知らなくても本を読む上で別に変わりはないように思う。おそらく、当時の読者にとってもジョイスは決して分かりやすい作家ではなかったことから、訳者はジョイス文学について概説的な解説の必要を感じたのであろう。
翻って現代において、文学上の実験はほとんど出つくした感がある。いわば何でもありの状況下、あえてジョイスについて説明する必要を感じないのだろう、新訳の解説の中で、柳瀬氏は、ジョイスがダブリンを「中風」に喩えたことに続けてこう書いている。「しかしそれについて語り出すと長くなるし、訳者の解説を披露してみたところで読者の楽しみを殺ぐことになるだろうから、ここでは控える。訳者の役割は、あくまでもジョイスの原文を可能な限り日本語として演奏することであって、翻訳を終えた今、むしろそのことについて語りたい。」
つまり、ジョイスを読むことが「ジョイ(楽しみ)ス」になったのである。『ユリシーズ』もそうだが、数々の謎をはらみ、パズルのように組み立てられ、言語実験とも言語遊戯とも言える「言葉遊び」の横溢するジョイス文学の知的遊戯的側面が表面に浮かび上がってきたのが今世紀のジョイス理解である。
あらためて『ダブリン市民』が『ダブリナーズ』になった経緯についてふれてみたい。「ニューヨーカー」という言葉や「パリジャン」という言葉があるが、都市名に接尾辞をつけて、そこの出生者や居住者であることを表すことは、英語ではきわめて稀で「ダブリナー」は、数少ない例の一つだそうだ。著者の意を強く感じて『ダブリナーズ』というひびきを残したのであって、「横文字をそのままカタカナ語にして事足れりとする昨今の風潮に流されたのではない」とあえて書いている。
ジョイスには屈折した郷土愛があったと見える。ニューヨーカーやパリジャンと肩を並べるように題名に選んだ『ダブリナーズ』だが、登場する街はともかく、人物はニューヨーカーやパリジャンに比肩しうるとはとても思えない。安酒場で商売女から金を巻き上げる遊び人だとか、娘を孕ませた下宿人になんとか責任をとらせようとする下宿屋の女主人だとか、ダブリンの猥雑な巷間に住まいする庶民か、でなければ欲の皮の突っ張った小市民や道学者ぶったエセ紳士ばかり。どうにか感情移入できるのは、少年たちくらい。
新訳は訳者も書いているようにジョイスの原文に漂う音楽性をいかに日本語に移しかえるかという点に専ら意を注いでいるようだ。自身テノール歌手であったこともあるジョイスはオペラの歌詞を作品に引用するのは日常茶飯。ダブリン市民は歌好きなようで、集中にもよく歌声がひびく。ルビを多用したり、太字で強調したり、駄洒落で対応したりと、柳瀬氏ならではの奮闘ぶりが楽しい新訳。ただ、それ以外では、特に現代的な訳には改変されていない。漢字、漢語も多く硬質な印象さえ受ける。二十代のジョイスがいかに名文を操ることができたかというあたりを意識したのかどうか。
掉尾を飾る「死せるものたち」は、「意識の流れ」の手法を採り入れたほとんど中篇といってよい作品。人当たりのいい教養人をもって任じている主人公が叔母たちの主催する晩餐会で感じるスノビズムを冷静な筆致で暴く一方で、愛する妻の中に消えずにいた昔の恋人の存在に衝撃を受けながらも受け容れていく過程を、詩情溢れる筆で描ききった佳編である。
とかくジョイスといえば難解さ故に敬遠されがちな作家だが、若書きの『ダブリナーズ』には、初々しさとアイロニカルなユーモア、それにダブリンの街とそこに暮らす人々に寄せる裏返された愛があふれている。新訳をきっかけにぜひジョイスにふれてみてほしい。
紙の本
授業の課題で
2020/04/10 09:25
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kazu - この投稿者のレビュー一覧を見る
授業の課題で軽く読んだだけですが、奥深くて面白かったです。
ただ、アイルランドの風土とか歴史を、しっかり理解していないと本当の面白さはわからない(というか理解できない)かも…