紙の本
東京大学のアルバート・アイラー
2020/12/24 00:29
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャズミュージシャンの菊地成孔が東京大学で行ったジャズに関する講義をまとめたもの。口述筆記かと思ったら、菊地さんの口ぶりを真似して大谷能生さんが書いたものらしい。ジャズの歴史の移り変わりについて、因果関係や当時の時代背景も絡めてわかりやすく解説している。
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ジャズの歴史を読み換えるというエンターテイメント性溢れる講義。その辺りに疎い私でもドキドキしたのだから玄人の方なんてウィットに富んだエレガントな彼らの話など面白くて仕方ないだろう。
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ジャズとはなんぞや?
全10回の講義でジャズ史を駆け抜ける。
とくに50~70年代に重点を置きつつ、その周辺のスウィング・ジャズやファンクにも触れていく。
バークリーメソッドが開発され、コードで音を奏でるようになってから圧倒的に演奏者のFeelingが曲に活かされるようになり、ジャズのジャンルも幅を広げていく。このコード進行がジャズをゲーム化することでバトルを作り出し、やがてはストリートダンスへと繋がっていくのである。
規律に縛られない即興の妙味、これこそジャズのおもしろさだと僕は思う。譜面になにもかも記載せず、最低限のルールを書き込む。あとは自分の好きなように音を奏でる。遊び心いっぱいの音楽がそこにはある。
Jazz史の立役者といっても過言ではないパーカー、コルトレーン、マイルス。あらためて彼らの偉大さを知らされた。
いうまでもないが読んでいるとジャズを聴きたくなってくる。
CDもかなり紹介されているので、参考にしてみたら自分のJazzの世界がまた広がるのではないだろうか?
書を捨て、ジャズ喫茶に行こう
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東大で行われたジャズ講義。これまた二人の語り口が面白い。
『ここで演奏しているようなバップ第一世代までのミュージシャンの多くは、酒と女とクスリをガンガンやってガンガン死ぬっていう、最高の、いや最悪の(笑)人生を送るわけですが、そういった見事に破滅型のミュージシャンは、チャーリー・パーカーを最後にだんだん少なくなっていく。黒人が、白人の作曲した音楽を演奏の現場でどんどん作り変えていく、といったヒエラルキーのかく乱にバップの魅力の一つがあったわけですが、一九五九年を境にモダン・ジャズは、アメリカ白人的な音楽を母体にすることをやめて、全く独自のサウンドを響かせることができるようになっていくんです。これは抑圧の解消であり、また同時に、一つの創造的な緊張関係の融解でもありました』(p.174)
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面白い!
センスとか感性とかって言うけど、それってやっぱり分析可能なもので、単に分析を怠っている(或は力が及ばない)だけなんだな、ということがよくわかります。
マイルスがやたらと聞きたくなりました。
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本書はミュージシャンであり文筆家である菊池成孔(きくち・なるよし)と
評論家であり音楽家でもある大谷能生(おおたに・よしお)が組んでおこなった東京大学教養学部でのゼミの講義録である。
菊池氏が言うように全ての歴史というのは誰かによって編纂された偽史である。
そして、この講義自体は「一般的なジャズ史」の持つ綻びを修復する試みであるという。
スタンスは堅苦しくも聞こえなくはないが、そこは菊池氏、面白おかしく講義を展開しながらも随所に重要な点を盛り込んでくるので気が抜けない。
氏のユーモアで油断させつつ、時折、確信をサラリとど真ん中に打ち込んでくるあたりには、みうらじゅんさんと共通するものを感じる。
都度レコードやCDをかけながらの講義はラジオの収録のようであったそうだ。
そんな魅力的な内容の講義は、当然のように半数以上が学外からの「モグリ」だったらしい。
現代を生きる自分たちのような世代にとって
全盛期のJazzという音楽自体、既に一つの時代である。
そして、現代人はその中に無数に存在する名盤や名曲を部分的に聞き直したり、
サンプリングしたりするのが常であり、
そこに時代背景や時間的観念が付加されることは稀である。
つまり、ジャズ史という大きく太い「線」の中で「点」を抽出するように鑑賞しているわけである。
そしてその「点」でさえ、時代背景が全く異なる。(これは悪い事ではない。)
黎明期のクラブミュージックとしてのジャズ。
ベトナム戦争時に戦意抑揚のためのビックバンド。
バークリーメソッドと譜面。
モダンジャズへの流れ。
白人と黒人、そして商業化への流れ。
マイルス・デイビスがいかに重要であったか。
MIDI音楽の誕生。
ジャズ史の中で大きなうねりを時代背景や重要な出来事などをふまえながら
断片的となっているジャズ史のダイナミズムを見事に再構築している。
もちろん菊池氏も時間的制限からかなりの要素を省いているのを認めてはいる。
しかし、本書を読んでいる最中から、持っているCDを聞き直したり
新たに購入したり、その意味付けが変わったりと大きな興奮を与えてれた。
少し時間をおいて、また読み直したい良書である。
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ジャズの歴史がよくわかります。軽妙洒脱な語り口で、どんどん引き込まれる。ジャズの本は堅苦しいのが多い気がしますが、これは読みやすかった上に、一番役立った気がします
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本書「歴史編」の帯文に、“ジャズ100年の歴史をまったく新たに書き換える。”試みと謳われてはいるものの、ジャズの通史に通暁せず、電化マイルスだのクラブジャズだのを趣味として口空けてぽかーんと聴くにとどまっていた自分としては、本書のように学として改めて把持されたジャズの、その豊穣さに眩暈にも似た感覚を味わった。
ジャズという音楽の様々なスタイルの変遷を、音楽の記号化・複雑化・抽象化・遊戯化という視座から捕らえ返す試みは、楽理へのなじみのなさ等から半分も理解できてはいなかったものの、YouTubeたれ流しつつ読み進めていく時間は、非常におもしろかった。確かに“ジャズの聴き方はまったく新しいものになる。”(「キーワード編」帯文)
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これもまた面白い。買って完全にハマってしまいました。
間違いなく音楽好きは皆、必読。
非常に読みやすいです。
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音楽の教養などない私だけど、ものすごく楽しんで読めた。
この人のペテン師的な喋りはたいそう面白い。
ラジオに比べるとずいぶんまじめ。
理論と逸脱・解体の繰り返しが、文学だけでなく音楽においても行われていたという軌条を、はっきりと示してくれる本。
ジャズという狭い世界の解説ではなく、アメリカのポップカルチャー全体の中で、どういう成長をしてきたかを教えてくれる。
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菊地成孔との出会いであり、ジャズの入り口となってくれた一冊。メディア論的な音楽の見方や、ポピュラー音楽を含むサブカルチャーから20世紀アメリカを見るという試みは同コンビの他書籍とも共通している。ジャズの歴史書としては「モダン・ジャズがモダンと名乗ったということは、そのモダンとは何だったのか。また、プレ・モダン、ポスト・モダンはどう捉えられるのか」という現代思想的なアプローチが捉えられているが、なんといっても講義をしている菊地本人のポストモダン的語り口が肝。全てを構造化して知の表層を滑り落ちて行く感覚がたまらない。
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二〇〇四年四月一五日講義初日 十二音平均律→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史
二〇〇四年四月二二日講義第二回 ジャズにおいてモダンとは何か?―ビバップとプレ・モダン・ジャズ
二〇〇四年五月六日講義第三回 モダンとプレ・モダン―五〇年代に始まるジャズの歴史化・理論化と、それによって切断された事柄について
二〇〇四年五月二〇日講義第四回 一九五〇年代のアメリカと、ジャズ・モダニズムの結晶化
二〇〇四年五月二七日講義第五回 一九五九~一九六二年におけるジャズの変化(1)
二〇〇四年六月三日講義第六回 一九五九~一九六二年におけるジャズの変化(2)
二〇〇四年六月一〇日講義第七回 フリー・ジャズとは何からのフリーだったのか?
二〇〇四年六月二四日講義第八回 一九六五~一九七五年のマイルズ・デイヴィス(1)コーダル・モーダルとフアンク
二〇〇四年七月一日講義第九回 一九六五~一九七五年のマイルス・デイヴィス(2)電化と磁化
二〇〇四年七月八日講義第十回 MIDIとモダニズムの終焉〔ほか〕
著者:菊地成孔(1963-、銚子市、ジャズミュージシャン)、大谷能生(1972-、八戸市、評論家)
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youtubeを横目に読んだ。楽理理論の話とか、コード進行の話とかは全くわからんかったけど、ジャズ(偽)史を記号論(?)的に3つの段階(十二音平均律→バークリーメソッド→MIDI)に分けて行くのはとても面白かった。
っというか、そもそもモダン・ジャズであるとかビパップ等々が具体的にどういう音楽なのかというのが、ほんの少しわかったようなわからんような・・・。
ともかく、マイルズ・デイヴィスとアルバート・アイラーは圧倒的にカッコいいことは記憶のなかに刻印された。
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今から11年前、2004年に東大で行われたジャズ講義の内容について、本にしたもの。
「歴史編」という名の通り、ジャズの歴史を、代表作の紹介とともに辿ることができるので、ジャズを聴き始めるにあたり、誰の作品から聞けばよいか、どの曲から聞けばよいか、という点を解決してくれる側面も持っている。読み方次第で、ジャズ初心者からマニアまで、それぞれのジャズに関する知識のレベルに応じた発見が得られるのではないだろうか。
まず主役が作曲家から演奏者になるところからスタートし(現代のホップスにも通じますね)、チャーリーパーカーの登場から、「ビバップ」から「モダン・ジャズ」への呼び名の変化(白人から認知される)、そこから「モード」への変化、さらにアートとしてのポップ・ミュージック化(戦後の音楽シーンにおいて、あくまでアートであるか、それとも商業的になるかというのは、常に避けて通れない命題であろう)、マイルス・デイヴィスと、時に専門的な音楽用語も交えつつ進んでいく。そして「電化」、「磁化」、「MIDI」の登場で現代の音楽シーンに結びつく。
音楽の「電化」「磁化」により、音を人工的に作ることは勿論、演奏を加工することも当たり前になり、もはや演奏者のレベルに関係なく、「売れる音」「売れる音楽」を作ることが可能になった。その流れは現在まで続いているといえるだろう。
専門的な用語はわからない部分もあるが、この本を頼りに、時代順にジャズの代表曲を聴いていきたい。
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再読。ビバップ (bebop)をジャズにおけるモダニズム運動として捉え、西洋音楽史における音楽を記号的に処理しようとする系譜の中でジャズはどのように「通史」として解釈できるか、というのが本書の狙いであり、それはジャズの全盛期をその時代のアメリカの空気と重ね合わせることで見事に成功している。それも、わかりやすすぎるほどに。後書きで二人が懸念している通り、本作は決してジャズを聴くための解答ではない。音楽の楽しみ、それはわかることとわからないことの反復運動の中から生まれてくる。大切なのは考えながら感じることだ。