紙の本
善悪定まらないものの 魔力を感じながら
2010/01/04 18:29
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新訳で「闇の奥」を読んだ。
中野良夫の旧訳の「闇の奥」は幾分読みづらい本であったが 本書でも その読みづらさは ある意味で変わらない。となると これはやはり原作自体の難しさにあると考えるしかないと思った。
僕にとっての 本書の難しさは 結局主人公であるクルツの善悪が定まらない点にある。これは僕自身が「善悪がはっきりしないと物事の理解が難しい」という「考える力の弱さ」を露呈したと謙虚に受け止めるべきだ。
僕らにとって 何かを考えることは 「それらを区別し 何らかのラベルを貼る」という作業で終わってしまうことが多い。「分かるとは分けることだ」という言い方もあるし それは一面真理なのだろうが それだけだと「分けようとしても分けられないもの」への理解が不可能になる。その一例が 本書であり 本書の主人公であるクルツではないかと事が今回読んだ印象だ。
文化人類学を学べば 「すばらしく崇高なもの」と 「おそろしく俗物なもの」は一人の中に共存することがある点が分かる。クルツを理解するには そのような手法を取っていくしかないに違いない。
本書には救いもないし 結論も無い。どこか尻切れトンボで居心地も悪い。クルツの許嫁の大いなる誤解も滑稽だ。あるべき「悲劇」にもなっていない。それがコンラッドの 結局言いたかったことなのだろうか。ただし 結末を作者が提示していないことで 本書の読み方が自由になったことも確かだ。本書から 村上春樹が「羊をめぐる冒険」を書いたと言われるし コッポラは「地獄の黙示録」を撮った。「善悪定まらないもの」への本能的な嗜好が人間にはあるのかもしれない。
電子書籍
闇のさらに奥とは?
2017/07/29 01:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画「地獄の黙示録」のイメージの元になったといわれる。
コンラッドは、ポーランドの没落した小地主の息子で、家族はシベリヤに送られ強制労働に処せられた。その後イギリスへ船乗りになるために渡り、後年船乗り時代の経験を語る形式で、物語は始まる。
19世紀、暗黒大陸と呼ばれたアフリカ、そのコンゴ川をさかのぼるのだが、当時アフリカからの輸出品は象牙だった、それを奥地から送り出してくるクルツという得体のしれない、まさに闇の男がいることを知る。どうやって大量の象牙を集めているのか、鎖につながれた奴隷たち、クルツに心酔する白人青年、髑髏の突き刺さった杭、船に向かって雨のように降る弓矢、闇の奥はさらに深い心の奥。
投稿元:
レビューを見る
今月の猫町課題図書。恥ずかしながら、これが映画「地獄の黙示録」の原作とは知らず、途中から「なんかイメージが重なるなぁ」と思いながら読んでいた。
風景、人物、感情から小道具の一つ一つに至るまですべてのものが、未開(当時)のアフリカ奥地の魔境的なイメージを構成しており、一人称話者のマーロウとともに圧倒的な迫力とおどろおどろしい恐怖感を存分に堪能できる。社会派小説としての観点からは、人種差別、収奪に関する批判が徹底していないという評価もあるそうだが、これは純粋に小説として読んで、その凄さを味わいたい。
翻訳は光文社古典新訳の精神にのっとって、非常に読み易く、違和感のある箇所も少ない。しかし、訳者あとがきの自訳解説は、手品師が失敗した手品の種明かしをしているような印象で興醒め。こういうのは訳文を持って語らしめるべしとしたものだろう。
投稿元:
レビューを見る
単なるアフリカ冒険小説かなと思っていたのですが、なかなか難しい小説です。かといって読みにくくはないのですが、話がきれいにまとまらない所が難しい。そういうタイプの難しさです。作者はもとポーランド貴族で、船員をやり、小説家に転身した人物で、英文学と東欧文学の血脈をひいているそうです。語り手マーロウ、コンゴでやりたい放題をしていた象牙の略奪者クルツ、彼のことを何もしらないのに、全てを知っていると豪語する「幸せな」婚約者、道化のようなロシア人、狡そうな支配人、下劣な社員「巡礼たち」などが織りなす、文明と野蛮、植民地の悲惨、物語を消費する読者の内なる野蛮を考えさせられる作品です。解説も秀逸です。
投稿元:
レビューを見る
船乗りマーロウがコンゴの奥地で見たもの・感じたことを語る話。
のっぺりした密度の濃い闇に足を踏み入れていくような感覚を覚えた。
緩やかな語りに耳を傾けていると、気付いたら足を取られ飲み込まれたら戻っては来られないような、粘度の高い質感に包まれているような感じがした。
黒原氏の訳文が大変読みやすい。
期間を置いてから再読したい一冊。
投稿元:
レビューを見る
20世紀の植民地支配・虐殺の歴史を知らないと、話の筋がつかめない。本書の解説を読んで、初めて理解できた部分も多かった。そのうえで本書の内容を思い返すと、かなり考えさせられる。というか、人間の心の奥の闇が垣間見えて、自分にも同じ闇があるかと思うと空恐ろしくなった。新訳版は、やはり読みやすかったように思う。
投稿元:
レビューを見る
人間の心にはどんなものでも入る−−過去と未来のすべてがそこにあるんだから。あの原住民の心のなかには何があったのか。歓びか、恐怖か、悲しみか、献身か、勇気か、怒りか−−それはわからないが−−とにかく真実が−−時という外套を剥ぎ取られた真実が−−そこにあったのは間違いない。原理原則を持っているべきだ?原理原則なんか役に立たない。あとから身につけたもの、服−−服なんてただの小ぎれいなぼろだ−−そんなものは、最初の身震いで吹っ飛んでしまう。そうじゃなくて、必要なのは、考えぬいた上での信念だ。(p.91)
『彼が最期に口にした言葉は−−あなたのお名前でした』
小さな溜息が聴こえたと思うと、怖ろしいような響きの歓喜の声が、想像もできない勝利感と言いようのない苦悩の交じった声がほとばしって、俺の心臓は止まりそうになった。『私にはわかっていました−−きっとそうだと思ってました』・・彼女にはわかっていた。きっとそうだと思っていた。彼女はすすり泣きを漏らした。両手で顔を覆っていた。俺は逃げる暇もなく建物が崩れてくると思った。天が頭の上に落ちてくるような気がした。だが、何も起きなかった。この程度の嘘で天が落ちてくることはないのだ。(p.191)
投稿元:
レビューを見る
2015年30冊目。
帝国主義時代のコンゴにおける象牙貿易。
船乗りマーロウが河を遡った密林の奥深くでは、恐るべき搾取が行われていた。
沈黙する密林は、人に闇を与えるのではなく、人の闇を引き出すのだと思う。
搾取者クルツは特別な闇を与えられていたのではなく、人にある普遍的な闇を具現化されていたのだと。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。(フリードリヒ・ニーチェ)」
投稿元:
レビューを見る
植民地時代のコンゴの奥地に深く分け入って行くと同時に、人間性の闇の奥に迷い込んで行く重層的な語りの物語。
ストーリーや思想を読むのではなく、感覚を味わう物語。
イメージに迷い込んで、宇宙の深淵に放り出されるよう。
植民地時代や文化を描いた物語では全く無い。
投稿元:
レビューを見る
難解な小説と言われてましたが、「リーダブルな新訳」という帯の言葉につられて購入した。物語は、面白く、あっというまに読み終えました。昔見た「地獄の黙示録」の映像がちらつきます。
投稿元:
レビューを見る
ジョゼフ・コンラッドの代表作。原題はHeart of Darkness。
フランシス・コッポラの映画「地獄の黙示録」の原作としても知られる。
200ページそこそこと中編といってよい長さだが、なかなかの難解さである。比較的読みやすいという版にしてこれだと、他の版はどうなのか、むしろ興味がわくほどである。
コンラッドはそもそもロシアの生まれで、幼少期から青年期まで、ロシア語、ポーランド語、フランス語を使用した経験を持つ。長じて船乗りとなって英国船で航海をした際に英語を身に付け、この最後に学んだ英語で小説を書いたという。
もちろん、語学的な素養も才能も十分にあったのだろうが、もしかしたら英語のみを読み書きする人とは少し感覚が違ったのではないだろうか。彼が綴ったのは、先入観にしばられない、いささか個性的な英語なのではないか。
私自身は、1作のみを、しかも邦訳で読んだだけであり、憶測でしかないのだが、何となくそんなことも思わせる、ごつごつする「わかりにくさ」を感じる。
さてそうした筆致で描き出される物語だが、このストーリーがまたわかりにくい。
語り手であるマーロウは、コンラッド自身の若き日を投影した人物と思われる船乗りである。マーロウはかつて、アフリカの奥地の河を旅した経験を語る。それは縁故採用で雇われた貿易会社の任務だった。象牙売買に携わる社員クルツが病気になったため、助けに向かうことになっていた。ところがなかなか旅は先へと進まない。あれやこれやとおかしな出来事があり、困難が行く手を阻む。マーロウがようやく出会ったクルツとはどんな人物だったのか。
多義性を孕む物語である。多くの部分が読者に委ねられていると言ってもよい。そのためということかどうか、本作は高く評価する人もいれば、唾棄すべきと嫌う人もいる。
受け取りようによっては、これは、植民地支配の暗部を描いた物語であり、なるほど西洋から見た「未開地」の物語としても読めそうではある。
だが、個人的には、この物語でコンラッドが描こうとした主眼は、そこにはないように思った。微妙に白人至上主義があり(あるいは少なくとも否定はされず)、そもそも植民地貿易がなければ生まれなかった作品ではあろうけれども。
一番鮮烈な印象を残すのは、「魔境Darkness」そのものの底知れぬ闇である。
そこにあるのは、原初的な恐怖だ。
文明社会のすべての秩序、決まり事を取っ払った奥の奥にあるもの。
理性がもたらす因果関係による恐怖、例えば「殺されそうだから怖い」というようなものではない。ただもう声にならない叫びをあげて、それでも逃れられないような、裸の、ナマの恐怖。
クルツは、毀誉褒貶の激しい、得体の知れない人物として描かれているが、クルツ自身もある意味、この闇の「魔」に呑み込まれてしまった人物なのではないか。
西洋がアフリカと出会ったとき、確かに搾取はあっただろう。清廉潔白ではなかったろう。
けれども少なくとも前線にいた船乗りたちは、自らの理解しえないもの、現在だけでなく永劫にわかりえないであろうものとも出会ったのだ。
密林の奥のさらにずっと奥で。脈打つ心臓のようにぬめりとした魔物に。
投稿元:
レビューを見る
で、結局のところクルツとは何だったのか。
地獄の黙示録の答え合わせをしたくて読んでみたが、とうとうわからず終いだった。
奥地へ向かう蒸気船の描写は濃密でワクワクしたけれど、帰還する道のりはすでに消化試合だった。「恐ろしい」もしくは「恐怖だ」という結論に異論はないのだけれど。
投稿元:
レビューを見る
いろいろな解釈を取れる作品は
どうしても評価が明確に分かれてしまいます。
それは、この作品のラストです。
この作品の鍵の人物となるクルツは
結局のところ熱病(?)で命を落とすことと
なってしまいます。
そしてその後に、婚約者にあうこととなるのですが…
これ、すべてを打ち明けられないでしょ。
もしもそれを打ち明ければマーロウにも
危険が及んだかもしれませんしね。
どこか見えぬ霧が漂っていたり
黒いものがあったりする感覚が
気持ち悪くもありました。
投稿元:
レビューを見る
夏目漱石が愛読したコンラッドの代表作。
そして、オーソンウェルズ、スタンリーキューブリック、フランシスコッポラなど巨匠たちがこぞって映画化しようとしたけれども、実現には至らなかった。
という前情報〔千夜千冊1070話〕に興味をそそられて読み始めた。
しかし、読みにくかった。
けっして難しい文章ではないのだが、どうにもリズムが合わない。
読後に解説を読んでみると、色んな人が翻訳しており、今回手にしたのは新訳だとわかった。
そして、そこで、原文が読みにくいことで有名だということもわかり、それに対して、それぞれの訳者が色々試行錯誤していることもわかった。
うーむ、その結果が、こういう訳になるのか。
正直、なんだか直訳的なリズムで、肌に合わなかった。
機会があれば別の訳書も読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
新訳ならと思って読んだが・・。言葉は平易で分かりやすいが、その内容はすんなりと入ってこない。物語がまっすぐ書かれておらず蛇行しているように感じる。だからといってムダがあるわけではないし、けっして難しい内容ではないのだけど。やっぱ読み取りに技術が要求されているように感じるなぁ。