紙の本
ついに近未来の棲み分け社会の現況が明らかに!
2017/06/18 08:59
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、村上龍氏の近未来SF小説の下巻です。主人公のアキラは、様々な困難を乗り越え、ついに日本の最高実力者ヨシマツの居所を見つけます。しかし、そこは地球上ではなく、宇宙ステーションでした。そこでヨシマツはアキラにこれまでの日本の社会改革について語り始めます。人口減少で移民が日本人を上回るようになったこと、上層部身分の中で性的な犯罪が急増したこと、上層部の人間は地球から逃れ、宇宙に住むようになったこと、などが次々に語られます。しかし、ヨシマツがアキラを呼び寄せた真の目的は日本社会を救うことではなく、違うところにありました。一体、その目的はなんだったのでしょうか!ハラハラするストーリーの連続の下巻です。
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ダンテの「神曲」とソポクレスの「オイディプス王」にならいつつ、人類の悲劇的な未来史像を骨太に提示した
2011/01/19 17:27
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞台は、少子高齢化と階級分化がどんどん進行した22世紀の日本です。
海外から移民を迎え入れて労働と人口の生産性の低下を防ぎ、移民を含めた下層階級と中間層を一部の最上層と上層階級が国家全体を、階層別に効率的に管理運営する文化経済効率化運動が提唱されますが、2度にわたる移民内乱を弾圧し、階級矛盾を各階級の「棲み分け」とSW遺伝子の「適切な」配分とによって見事に解消したのが、最高権力者のヨシマツケンイチでした。
彼はまず各層の情報を完全に遮断し、警察力をロボットに託して絶対的な治安と秩序を獲得します。そして、たとえば100歳以上の最上層階級を高級老人施設や宇宙ステーションに移住させて幸福な長寿ライフをエンジョイさせたり、隔離施設に隔離した犯罪者の生命遺伝子を短縮・断罪したり、最大多数の労働者層が満足するだけの適切な所得を与えたりして、疑似的な「理想社会」のトバ口に立ったように見えました。
しかし表層の幸福に埋没したはずの最上層と上層の住民は、刺激のない日常に倦怠して生殖率がいちじるしく低下し、総合精神安定剤を乱用して幼女を誘拐・暴行・殺戮するなどの性的倒錯と性犯罪に溺れるようになります。
このままでは遠からずアッパー・ブライテスツが消滅してしまう。移民の人口急増が階級ヘゲモニーの全面的転倒につながる危険を察知したヨシマツは、SW遺伝子を持つひとにぎりのエリートを下層階級の女性とノルマを与えて交接させ、優良遺伝子を授けられたヤングゼネレーションを純粋培養しようなぞと決意するのですが、実効が上がりません。しかし主人公のアキラの実の父親は、もしかするとヨシマツかもしれないのです。
けれども、科学技術の粋を駆使してつなぎとめられてきたこの最高権力者のネットワークに、いまや重大な危機が迫っていました。日本を完璧に支配してきたこの男の権力を持続するためには、生命力にあふれる若者の知的な脳が必要だというのです。父を尋ねて遥か宇宙を二万マイル。果たして主人公アキラの運命やいかに? おあとは本巻を読んでのお楽しみ。
ダンテの「神曲」とソポクレスの「オイディプス王」にならいつつ、人類の悲劇的な未来史像を骨太に提示した著者の意図は、全篇覇気に満ちた壮大な企図として称賛に値しますが、全知全能を傾けたその理論的考察とファンタジーとの有機的な調和がいま一歩果たされていれば、著者がめざす平成版「夜の果ての旅」の境地に到達したのではないでしょうか。
智に働けば角が立つ情に掉させば流されるとかく村上小説は難しい 茫洋
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結局最後までグロさが駄目だった…。
「半島を出よ」みたいな戦闘で内臓やら脳漿やらは
我慢できるけど幼児とか性的とかでグロィのは駄目だー。
ストーリー内の社会の根本設定がソコからなので
「気持ち悪い」感が抜けない。
読み応えはあるし壮大で凄い作品だと思うけど
個人的に読後の「嫌悪感」が殆どなので結局★2で。
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『歌うクジラ』下巻読了。
近未来のお話で、グロい表現等があってなかなかあり得なさそうと読み進めるものの、
後半の展開からはすごく「起こりえそう」な未来となっていてはっとさせられる。
効率を追求したあげく、階層化、不死(不老ではない)…。
最近読んだ本の中では、最もよい1冊。
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人類がついに不老不死のSW遺伝子(Singing Whale)を発見した22世紀の世界の話です。
村上龍氏の新作はiPadで先行発売されて話題になりましたね。
SW遺伝子とは、限られた一部の選ばれた人間に応用されました。
その反作用として犯罪者には、老化を促進させる方法が取られました。
人々の徹底的な住み分けがなされた日本で・・・・・
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下巻も時間かかった。読みにくさの要因はなんだったか。溢れるグロい性描写か。未来小説にありがちな日本人主体となりそうなっているだろう全人類的な配役というか構成がやはり難しく、だんだんとリアルさが薄れてくところか。翻訳ロボットの直訳的表現のところはリアルだったけれど。100年前からみた今。当時の人はどう見るだろう。約100年後の世界、どうなっているのか。万人が快適で安らぎを感じられる世の中を目指したにも拘わらずこの有様は目を覆いたくなる。不老不死は決して理想ではない。人の気持ちを機械的に読み取れるの果たしてよいことか。斬新で野心的な龍さんの試みが次の作品にどうつながるのか。楽しみだ。
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続きである下巻は、展開がわかってきて読みなれてきたせいか(苦笑)、上巻に比べると簡単に読んでいけるようになってきます。
ありそうな近未来ですね。
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村上氏の、時代の空気を、小説に反映させる能力は天才的だなと思う。
物語に出てくる舞台設定は、幼児を対象とした犯罪、不老不死の遺伝子、ロボットによる治安維持、軌道エレベータなど、一見架空で現実世界とは遠く離れたおとぎ話のように見える。
だが、実際には、現代社会に蔓延する犯罪、遺伝子工学、ロボット工学の最先端から想像の翼を広げ、100年後を予測すると、「十分起こり得る」内容なので、やはり近未来SFのジャンルだと思った。
いつもは付いてくる巻末の参考資料のリストは、今回なかったけど、かなりリサーチして書いてるなという印象。
ですが、上巻でも書いたけど、読み手を選ぶ作品。
文学作品書きたかったけど、娯楽的な読みやすさも入れてるから、読みやすくなってます。みんな敬遠せずに読んでね。
というメッセージを感じたのだが・・・。
いずれにしても、2日で読了してしまうほど、引き込まれました。
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村上龍の作品はこの本が初めて。
上巻に対しての疾走感が心地良い。
中盤の展開が、すこし自分的には合わなかったかな。
終盤の展開はある程度予期された展開だったが、
ラストの部分の主人公の思いが巡るシーンでは、
たたみかけるような感情の奔流と、不思議な読了感が訪れた。
結構、好きな作家かも知れない。
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読み応えのある小説でした。確かにグロさはありますが。
冒険もの?なので、いろんな人と出会いがあり、別れがあり、そこがRPGっぽくて、さらりと流れていく。都度グロいですが…
近未来の描写が丁寧にされている点はさすがですが、いろんな要素がありすぎて、もう少し熟成できたのではないかと…。
半島を出よ、がとてもよかったので、あれ?村上龍ってこうだったっけ?とちょっと戸惑いました。
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電子書籍にて読了
理想に向かうことと理想を達成することの、決定的な違い
革命と固定
矛盾による生
自分を憎むことを止めるための生
正よりも強い負の感情
出会い、そのための移動によって得る生の意味
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いろんなベクトルの思考が、絡み合って紡がれるストーリー。
小説としては、難解かもしれない。
でも、世の中を、自分を、生きる意味を考えさせられる小説。
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村上龍は新しい文体にチャレンジし続ける作家だなとあらためて思う。閉ざされた環境で培養された少年の一人称の文体が持つ、何かしら欠如した透明な感覚の巧妙さ。それと好対照をなす、助詞を意図的に破壊した反乱民たちの会話の生命力。自らの意思を徹底的に曖昧にする最下層民たちの言葉。
本書は、少年による欠如の視点を通じてこそ客観的に描き得る正確な描写の連続で展開する。語られるのは、真っ直ぐにシンプルな真理だけを追い求めて人類が行き着いた様々な「矛盾のない空間」のグロテスクさなのだろうか。
徐々に覚醒して行くかに見える少年が最後につかみ取ったのが人間の希望だとすれば、やはりそれはこの文体の持ち主である少年と共にこの冒険を体験する事でしか実感の出来ないもの。言葉に出来ないもの。
やはり文学、だな。
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【歌うクジラ 下】 村上龍さん
不老不死のクジラの遺伝子を発見した人類。
しかし、その遺伝子は選ばれた人間のみに占有され
世間一般に出まわるコトはなかった。
父親から秘密のICチップを託されたタナカアキラは
父の言葉に従い、最下層の新出島を脱出して、
ヨシマツという老人を探す。
☆
上下巻で700ページ。。
字面だけを追う不毛な読書がやっと終わりました。
何が面白いのか、最後まで理解できなかった。。(^_^;)
物語の雰囲気は破壊的、壊滅的で筒井康隆さんのSFに似ている。
こういうSFを好んで読んだ時期もあったんですけどね。。
近未来で棲み分けの確立された人類は
人々の格差が顕著になり、下層の人間は
上層の人間にとってはモルモットでしかなかった。
しかも、下層の人間はそのことに気づいていない。
決められた階層から抜け出すコトが許されていない。
何となく、インドのカースト制をイメージしました。
とにかく、やっと次にかかれます。
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『歌うクジラ』下巻読了。一言で言うと、大変マッチョな小説。マッチョな主義主張がたくさん描写されるけれど、近代的マッチョイズムを批判する小説かもしれない。女性差別的、移民差別的、一部のエリートクラスによる社会管理主義の誤謬が描写される。村上龍は『カンブリア宮殿』で経営者たちにこびへつらったインタビューをしている。あんなこびへつらってたら、もう昔みたいな小説書けなくなるんじゃないかと思っていたが、村上龍はやってくれた。毎週テレビに出演して経営者相手に良識者ぶっている中、こんな危ない小説を書いていてくれたことが嬉しい。
全てが効率に基づいて管理される未来の日本社会で、エリート層の間に幼児性犯罪が頻発する。人間が文化を作ったのは何故かという村上龍おなじみの議論が、『歌うクジラ』でも展開される。人間は他の動物と違って発情期がない。故にいつでもセックスできる。文化、ファッション、言語、イメージ、マスメディア、コミュニケーションは、発情期の代替物として機能する。つまり、発情期を失った人間は、文化に触発されて、セックスをする。
人間は本能からでなく、文化から、性の禁忌を学ぶ。社会が変容した時、性の規範や禁忌が崩壊する場合がある。日本社会のエリート層は、人間に発情期がないこと、社会が変容し、性の禁忌がなくなったことを、幼児性犯罪増加の原因だと仮定する。エリート層たちは、女性の間に発情期を復活させることにする。上層と最上層の女性から、社会をよくするためだと協力を募って、大規模な実験が行われる。
発情期を復活させられた女性たちは、排卵停止になった。日本人の人口が減少する。エリートたちは、日本の生産性を維持するため、移民を大量に招き入れる。同時に、まだ排卵が停止していない最下層の女性たちに子どもを生ませるため、エリートたちは最下層の女性相手に毎日セックスするようになる。
小説の語り手の少年は、日本社会最上層の最高権力者と、最下層の女性の間に生まれた子どもだということが小説後半に判明する(なんかここらへん荒唐無稽というか『聖闘士星矢』みたいな展開。星矢たちブロンズセイントは、大富豪が世界中の女性とセックスして生まれた私生児の兄弟だったし)。最高権力者は、少年の意識に語りかけ、少年の若い体を乗っ取ろうとするが、少年は自分の意志で体を渡すことを拒否する。そして、小説が終わる。
読書中は、総合格闘技の試合を楽しんでいるような気がした。純文学が柔道だとすれば、村上龍は柔道の金メダリストである。その龍が総合格闘技の試合に出て、世界中から集まった異種格闘技の強者たちと戦っている雰囲気がした。文学の特権など数十年前に消失しているのだから、『歌うクジラ』みたいに、グローバル市場という総合格闘技場を舞台に戦う意志がない小説は、市場から消えるだろう。
よくエンタメ系の人気作家が、この小説には色々な要素が入っているけど、エンタメですから、読者に喜んで読んでもらえればそれでいいですみたいな発言をするけれど、そういう発言を聞いていると、殺意を覚える(いつになく攻撃的なのは、村上龍の文体に感染しいているせい)。エンタメがエンタメだけで純粋に完結する、あるいはエンタメという核を志向するだけでは、総合格闘技場で戦えない。エンタメであり、文学であり、エンタメでなく、文学でないもの。日本社会で起きている問題の総体をある一つの物語の中に強引にぶちこんで、読者に問題提起を迫ること。これが、村上龍が『愛と幻想のファシズム』あたりからやっている小説の書き方だったと思う。
ドストエフスキーもトルストイもバルザックもディケンズも、ガルシア・マルケスも夏目漱石もそうした手法を使っていた。それが、ノンジャンルの小説だった。今、純文学という名前で確定されている小説のジャンルは、純粋な文学などでなく、本来はノンジャンルの総合格闘技的テキストだったはずだ。ノンジャンルの怪物じみた力を失った小説は、市場から撤退するしかない。
といっても、村上龍の『歌うクジラ』はたいして売れないと思う、なんかマッチョすぎるし。ここまで書いても総合格闘技場の壁にぶち当たるとなると、村上春樹のヒットは、奇跡だと思える。
『想像は危険だ。想像は何よりも危険だ。誰も他人の想像を支配できない。想像は支配の道具ではなく、想像する主体を導く。想像する力がお前を導く。想像せよ。お前は導かれる』(上巻p.348)