紙の本
「生き物として」の人間らしい生き方とは。著者のこれまでの主張をコンパクトに一括。
2011/07/05 13:59
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「生物の本質を説きながら、生物学的発想で現代社会を批判的に見る」(まえがきより)。タイトルも「文明論」となにやら難しげですが、「歌う生物学者」としても有名になったナマコ研究者である著者の文章は難しくありません。これまでの著書を読んだことがある方ならおわかりになるでしょう。でも内容は深いです。
本書は長年の大学教養講義を基にした、著者のラジオでの連続トークをまとめたもの。著者の所属は工学系の大学なので、学生は大学受験ではほとんど生物を選択せず、関心も低い。そんな学生に興味を持ってもらうために著者がとったのが「生物の本質を説きながら、生物学的発想で現代社会を批判的に見る」という講義の形です。
ホンソメワケベラとかオニヒトデとか、サンゴ礁の具体例を使って説明される生き物の関係(一章や二章)。水分子の性質から説き起こして語られる(これはまさに化学の講義です)生き物の特徴の根本(四章)。例として使われている話だけでも楽しめて勉強になりますが、生物学の現実の具体的な話がしっかり語られているからこそ、そこから出てきた「文明観」も深い意味を感じさせます。
生態系の話として「自然の価値を価格評定してこなかったのが生態系や生物多様性を軽視してきた原因ではといわれるが、ここに根本的問題がある」という第三章。著者は具体的に「複数の種が共生しているとき、一種がいなくなれば他の種も生存できない。4-1=3ではなくて4-1=0」と説明しています。「量に換算できない質」があるということ。確かに科学は「量」として比較することで大きく進んだ部分があります。でもそこで、ひとくくりにしたことで切り捨てたものがある、ということを忘れがちになっていることがとても上手く伝わってくるところです。
そのほか、時間の問題、人生の問題などなど、環境問題だけでなく様々な「生き物であるヒト」の問題が語られています。その中にはもちろん、著者の研究材料であるナマコから展開するエネルギー論や生き方論もあります。
エネルギーの出入を少なくし、ゴロゴロと最小限の生き方をしているかのようなナマコ。体温を高めに保ったり機械を動かしたりとエネルギーを使いすぎるほど使ってなんでもやろうとするヒトの生き方。どちらも生き物のありかたなのでしょうが、他の生き物をみてヒトに適切なあり方を考えてみるのは、ヒトが生き物である限りやっぱり必要だと思いました。
生き物の法則にあてはめた人間の寿命は40代半ばなのだそうです。それ以降は「おまけの人生」。通信や移動にエネルギーを使うことで時間を速めたものの、それが生き物としての人間の許容範囲からずれてストレスになってはいないかと言う意見ももっともだと納得させられます。
既刊からのくり返しも多いですが、コンパクトにまとめてある分、著者の現在の主張への流れ、そして文明論としての視点がわかりやすくなっていると感じました。その結果、これまでの著書それぞれでの話をまた繋ぎ合わせ、新たにまたいろいろと考えさせられたところです。
著者の本をこれから読もうとするかたには、まずこれから、とお薦めしたい一冊です。そして、大学の仕事を「卒業」する著者には、さらなる「おまけの人生」から新たなメッセージを送ってくださることを待ちのぞみたいと思います。
紙の本
生物学的発想が人類の危機を救えるか
2011/09/14 18:01
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
自然科学の中で、生物学は例外的に意味を問える学問だという。たとえば生物学は「なぜチョウに羽があるの?」「なぜ羽はひらべったいの?」という「なぜ」に答えられる。だから生物学を手がかりとして、理科の世界に子供たちを導き入れるのは良い方法だと、生物学者の著者は言う。理科離れを止めるには、生物をしっかり教えるべきだと。
いま人類が直面している深刻な問題に、環境、資源枯渇等々がある。現代社会は、数学・物理学的発想を基盤とする技術が作り上げたものであるが、一方で環境問題などを生み出している。本書のテーマは、生物学上の事実をもとにして、これらの問題に解決の糸口を考えてみようというものだ。
環境問題は生物多様性の保全に見られる。サンゴ礁を考えてみよう。褐虫藻はサンゴの細胞の内部に棲む藻類である。サンゴが呼吸で吐き出した二酸化酸素を褐中藻が光合成で使う。逆に光合成で生じる酸素をサンゴは褐中藻からもらう。たがいに共生の関係にある。リンや窒素についても、サンゴと褐中藻は、栄養素のリサイクルを効率よく実現している。共生は微妙なバランスの上に成り立っているのだ。
いまやサンゴ礁は危機に瀕している。ひとつは人口の増加による排水からの海水への有害物質の混入だ。それと二酸化炭素の多大な放出。海洋の酸性化と温暖化とがサンゴ礁に重大な影響を与えている。多様な生物とのつながりが断たれたら人間は生きていけない。現代の技術社会の矛盾が多様性の保全の問題に現れている。
生物の重要な特徴は環境に適応していること。つまり環境にやさしいこと。「人にやさしい」とは「生物であるヒトのデザインと大きくは違わない」と言い直せるだろう。著者は、これからの技術は生物のデザインをふまえたものとなる必要があると言う。そうなれば、狭くなった地球の上で、多くの生きものたちと、共に生きていくことができる。
日本人は仏教でいう輪廻転生に親しい。個人にとって寿命は1回きりで繰り返しのきかないものだ。しかし、親が生まれて死んで、子が生まれる、そして孫が生まれる、という世代交代の繰り返しの単位を寿命だと考えられる。生物的時間は回るのだ。個体の一生の時間は一方向に流れ元には戻らない。しかし世代交代の視点からは時間はクルクル回って元に戻る。生物はエネルギーを注ぎ込むことにより時間を戻していると言えよう。
身のまわりのほとんどの機械が、エネルギーを使って時間を速めるものばかりだ。飛行機、携帯電話、自動洗濯機等々。地球温暖化も資源エネルギーの枯渇も、じゃんじゃん石油を燃やして時間を速めているのが原因である。現代人は、より速く、より長生きにと、時間の欲望を満たすことに莫大なエネルギーを使ってきた。その結果、温暖化が起こり資源も枯渇する。
時間をもう少しゆっくりにして、社会の時間が体の時間と、それほどかけ離れたものではないようにする。そうやって時間の速度をデザインすれば、温暖化もエネルギー枯渇の問題も解決するだろう。環境問題は自分自身の問題として考えるのだ。日本も地球も私の一部として広くとらえること。
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20年前(!)にベストセラーになった「ゾウの時間、ネズミの時間」の著者本川達雄による文明論。前著と同様に、生物の種を問わず共通する大きなくくりを発見する。
・どんな動物も消費するエネルギーの総和はほぼひとしい、ということ。そして人類だけがエネルギーを投入して、「時間」を短縮している。
・全ての生物は「丸い」「円筒形を基本とする」「やわらかい」
対して文明は「丸くない」「固い」
人類は道具を使って飛躍的に自然を破壊する力を得た。文明の発達は自然の発達には特別な授業できるかも。
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前著『ゾウの時間ネズミの時間』が良作だったので期待しながら読みはじめたが、年寄りの冷や水的な一冊だった。
生物学的な知見を面白可笑しく伝えることに徹すればよかろうに、多少社会科的なことを言いたくなったばかりに、ロハスにはまった文化人の妄言みたいな本になっている。加えて、文章のそこかしこから物理学者に対する妬みそねみも顔を覗かせる。
大学で工学と生物学を学び、現在もエンジニアの端くれとしてものづくりに携わる私にとっては、非常に気分の悪い一冊だった。
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2011/7/3 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2011/7/27〜8/6
20年前「ゾウの時間ネズミの時間」で有名になった歌う生物学者、本川先生の久しぶりのエッセイ。
生物学者としての立場から、現在の物理・化学的社会への警鐘をならす。自分は化学的立場の人間であるが、首肯するところ多数、またひねるところもあった。が、それは良いのである。いろんな立場からモノを見る、というのはとても大事なことだ。私には無かった視点からの社会論はとても興味深かった。
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うひょー、ラスト鳥肌。
映画のトレイラーっぽく表現すれば「あの名著が帰ってきた!」。
http://d.hatena.ne.jp/ymkjp/20110828/1314548365
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生きもののデザインや相互関係をおもしろい事例をもとに紹介し、それを人間社会にも活かしましょうと言っている本。おもしろいし、主張も興味深いけど、人間社会への応用、ってとこが少し地に足ついてない感じがしてしまう。
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「ゾウの時間ネズミの時間」の著者によるもの。「ゾウの〜」が面白かったので期待していました。本書にもあらためてゾウとネズミの生物時間のことが触れられています。
全体的にスケールが大きいというか、「種」としての話で、自分も生物である、というリアリティが掴みきれません。まずまず楽しんで読んだけど、やや消化不良です。
生物時間と社会時間の違いが、昨今の不幸ともいえる問題を生んでいるように思えます。エネルギーは時間の短縮のために使われることが多いですが、ゆっくり時間でよければ、あまり多くのエネルギーもいらないわけです。スピードは豊かさではないよねえ、と気がつけるかも。
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『ゾウの時間』以来、久々に読んだ本書は、生物学的発想で現代社
会を見直してみよう、という意図で書かれたものでした。では、生
物学的発想とは何なのか。
例えば、熱帯の海は非常に栄養が乏しいのに、サンゴ礁には豊かで
多様な生命が存在します。それは「共生」と「リサイクル」の関係
をベースにした生態系が成り立っているからです。共生とリサイク
ルという関係性が、貧しい海に豊かな多様性を生みだすのです。
多様性とは、必ずしも量の多さを意味するのではありません。生物
は互いに関係し合っています。互いに互いはかけがえのない存在で
す。性質が違うからこそかけがえがない。つまり生物学的発想では、
多様性とは量ではなく質に関する概念になるのです。そこでは個別
性や関係性が重視されます。
これに対して、科学や技術では普遍性や均質性が重視されます。形
だって生物は円柱形が基本なのに、人工物は四角くなってしまう。
だから生物学的発想から考えるとおかしな構造やデザインがまかり
通っている。そもそも生物は体を構成する材料が生きていて、状況
に応じてふるまいを変えることができる頭の良さや柔軟性があるけ
れど(知能材料と言うのだそうです)、人工物では死んで乾いた素
材を使うから、そういうことはないですね。
例えば、ナマコの皮は本当に頭が良くて、魚につつかれると、突然
硬くなって身を守るのだそうです。面白いのは、さらに強く噛みつ
こうとすると、逆にこんどはものすごく柔らかくなって皮膚が溶け
て自分の腸を吐き出してしまうということで、魚がその腸を食べて
いる間に逃げるのだそうです。溶けた皮や食べられてしまった腸は
その後再生するというから驚きです。
おまけに全然動かないから消費エネルギーも少なくて済む。普段何
を食べているかと言えば砂。正確には砂についているバクテリアな
んかですが、まさに砂を噛む人生です。だけど砂は無尽蔵ですから、
餌に困ることはなく、動き回る必要がないのです。
なんと賢い生き方なのでしょう。
人間は膨大なエネルギーを使って24時間動き回っていますが、そう
やって必死で時間を生み出し、動き回った先に何が待っているのか。
あらゆる生物は心臓が15億回動いたら寿命を迎えるのだそうです。
70年生きるゾウも、3年しか生きないネズミも、心臓が一生に動く
回数は15億回。心臓時計は驚くほど正確なのです。
ちなみに、そこからはじきだされた人間の寿命は40歳過ぎ。勿論、
医療や栄養や技術が発達したことで15億回を超えても人間は生きる
ことができますが、生物学的には40歳で使命を終えるように設計さ
れているのです。そう言われると人生観変わりますよね。
このように、ナマコの視点や生物の視点から見直すと、本当に色々
と人生や社会の風景が違って見えてきます。その新たに開けた視界
の中に、これからの社会を生き抜く上でのヒントが潜んでいるよう
に予感させられる一冊です。���非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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自分の暮らしている生態系がなくなったら、自分自身もなくなると
すれば、ある意味では、生態系は自分の一部だと言ってもいいと私
は思います。いろいろな生き物とつながりをもっている、そのつな
がりそのものも、自分だと考えてもいいのではないでしょうか。こ
う考えると、生態系を大切にするとは、自分を大切にすることにな
ります。
熱帯の貧栄養の海、つまり貧乏な海を、多様な生物にあふれた豊か
な海にサンゴ礁は変えていました。サンゴと褐虫藻の共生と、その
間の資源のリサイクルにより、乏しい環境でも、きわめて豊かに暮
らせるようになっているのがサンゴ礁。共生とリサイクルが貧しい
ものを豊かに変える手立てだというのは、きわめて示唆的です。
多様だ、というのは質がいろいろあるということです。量はほどほ
どでいいから、質の違ったものがいろいろあることが豊かなのだと、
豊かさの定義を変えればいい。
生物は円柱形をしています。基本的に丸っこい。ところが人工物は
まったく違います。(…)
生物は水っぽい、それに対して人工物は乾いている。形のみならず
材料においても、生物と人工物とではまったく違います。(…)
どうも生物のデザインと人工物のデザインとは、根本的に違うよう
なのです。
生物とはそもそも、他の生物のつくったものを利用し、自分も死ん
だら他の生き物に利用されるという形で物質のリサイクルをしてい
るものです。資源をリサイクルし続けているからこそ、38億年もの
間、生物は続いてくることができました。そして水っぽいというこ
とが、リサイクルを続けられる条件なのです。
生きているとは水っぽいということです。そして水っぽければやわ
らかくしなやかで、自分の力で動きまわったり、まわりの風や流れ
の力を受けて揺れ動きます。死ねば水気が失われ、硬く動かなくな
ります。「生きている=水っぽい=やわらかい=しなやかに動く」
という図式が描けます。
これからの技術は生物のデザインをふまえたものとなる必要がある
と思います。人間の生き方だってそうです。生物学を学び、生物の
デザインに学べば、人間として、より幸せに生きられるようになる
し、また多くの生きものたちと、この狭くなった地球の上で生きて
いくことが可能になると私は信じています。
一匹あたりのエネルギー消費量は、群体の体重の四分の一乗に反比
例して減っていきます。エネルギー消費量が減るとは、あまり働か
なくなること、つまり大きい組織の中の構成員はサボっているんで
すね。
この群体を分割すると、一匹の使うエネルギー量が上がります。つ
まり今まで働かなかった者も、システムを分割すると働き始めるの
です。
ゾウの細胞がネズミの細胞ぐらいせっせと働いてエネルギーを使う
と(…)自分の出��熱でステーキになっちゃうわけです。これはた
まりません。だからゾウの細胞はサボっているのではなく、節度を
もって働かないのだというのです。
サイズという視点は、国の政策を考える際にも重要だと私は思って
います。予算を立てる際にGDPの何パーセントという議論がよく出
てきますが、パーセントというのは正比例の考え方です。動物にお
いては正比例ではなくアロメトリー式になります。経済においても、
何でもが、単純に正比例になるものでもないでしょう。
ハツカネズミの寿命は二~三年、インドゾウは七〇年ちかく生きる
ものです。時計の時間で比べれば、ゾウは桁違いに長生きですが、
一生に心臓が打つ数は、どちらも同じ十五億回なのです。(…)
ゾウもネズミも、一生に同じだけのエネルギーを使う、つまり同じ
だけ仕事をするのですから、生涯を生き切った感慨は、変わらない
かもしれません。
生物的時間は回ります。生物の時間は円くデザインされているので
す。(…)生物は一定方向に回りながら元に戻るのを繰り返してい
ます。(…)
古代のギリシャ人は、このことを認識しており、生物に対して、ビ
オスとゾーエーという、二種類の言葉を使っていました。ビオスと
は、一回きりの個体の命。ゾーエーとは親から子へとずっと受け継
がれて継続する命。生物には二面性があることを、きちんと別の言
葉で言い表していたのです。
必ず死ぬものでありながら、ずっと続いて行きもするもの。その両
面を、この私という命は持っているのですね。
「便利」とは速くできることと言い替えられますから、結局、エネ
ルギーを使って時間を速めるのが文明の利器なのですね。
現代人は機械を使って時間を操作できるようになりました。という
ことは、いろいろな質の違う時間を意図的に作り出せるということ
です。ここはゆっくりの時間にしよう、ここは速い時間にしようと
いうふうに、時間をデザインすることが可能です。エネルギーを介
して時間を操作することで、速いだけの世界より、より豊かな世界
が経験できるようになると私は思うのです。
生物の時間はエネルギー消費量で変わるのですが、生物はエネルギ
ー消費量をみずから変えることにより、積極的に時間を操作してい
るのだと私は考えています。
私は、時間も操作できるんだ、そして必ずしも長生きだけがいいわ
けじゃないんだと気づいた時、なんか肩の荷が軽くなった気がしま
した。
次世代があるからこそ、私の思いは未来につながるのです。未来と
つながっているからこそ、今の時が意味をもつのではないでしょう
か。
ナマコは逆転の発想の生きものですね。食べ物を求めて駆け回るの
ではなく、駆けまわることを徹底的にやめると、普通、食べられな
いと思われていた砂が食べ物になってしまう。
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●[2]編集後記
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土曜日、娘の自転車の補助輪をとりました。二週間前に片方の補助
輪をはずして様子を見たところ、補助輪に頼らずにこげるようにな
ってきたので、いよいよ両方とろうと娘と約束していたのでした。
それがよっぽど嬉しかったようで、土曜日の朝、開口一番「今日は
補助輪とる!」と叫ぶので思わず笑ってしまいました。そこで早速
自転車屋さんに行き、補助輪をとって、スタンドをつけました。
自転車屋さん達の声援に見守られながら、走り出した娘。いけます。
ぐんぐん進んでいきます。おー凄いもんだ、と思っていたら、前か
ら走ってきたオジさんの自転車に突っ込んでいき、そのまま二人と
も転倒。オジさんの下敷きになって、娘は大泣きです。
「ああ、これは今日はもう駄目かな」と思ったのですが、ひとしき
り泣き終えたところで「もう一回やる?」と聞いたら、「うん」と
言います。それで漕ぎ出してみたら、またぐんぐん進んでいく。全
然めげてないのです。我が娘ながら凄いもんだな、と感心しました。
後になって、「よく諦めずに頑張ったね」とほめたら、「だって毎
日毎日、ずーっと『できる。できる。』って思ってたから」と言わ
れました。そんなこと教えた覚えもないのに、彼女は新しい一歩に
向かって自分なりに用意をしていたのですね。何だか感動しました。
今日からお休みを頂いて、そんな娘と二人旅をしてきます。母親と
こんなに長く離れるのは彼女にとっては初めてですが、ちょうど良
い母離れの儀式になるでしょう。次の子が生まれたら今ほど娘とも
向き合えなくなるので、初めての二人だけの毎日をじっくりと楽し
んでこようと思っています。
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生物学という、なかなか入ってこない情報を、一般人が興味持つように楽しく書いた本。オススメです。文体も優しく、すらすら読める。
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面白い。小説以外でこんなに視野がグラグラ揺さぶられるなんて凄い本川達雄!
ミミズはバックすることも可能。物理・化学はhow、生物学はwhy。自然科学の中で、生物学は例外的に意味を問える学問です。
基礎代謝量は体重の四分の三乗に比例する。企業を活性化するために分社化する。
たかだか戦後60年の間に、人生が1.6倍にも延びた。延びた部分は、体がどんどんガタガタになっていく。それをどう生きるかも教えずに、ただ寿命だけを延ばしてくれた医療に対して、「製造責任ってものがあるんじゃないの」。
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これは必読。生物を通して文明を論じているが、とてもシンプルな言葉で書かれてるので、わかりやすい。生き物は丸く柔らかいが、人間の作ったものは固くて四角いものが多い、という考察にはハッとさせられた。今後の日本の向かう方向や未来のあるべき姿がよくわかる。
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・生物の「体のサイズ」。それによるエネルギーと時間の相関関係
・ビジネスが持つ「時間操作」「時間環境」という問題
・「ヒトの寿命」と「人の寿命」
(人という生命体がもつ本来の寿命と、現代を生きるヒトの寿命)
不思議な視点です。
生物の持つ多様な姿・形は、合理的な結果であるとするならば、
人間の姿かたち、ライフスタイルはこの先どうなるか・・・。
そんな事を考えさせられる。
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物理的な時間ではなく生物学的時間という面白い視点からの論考です。生物の時間は連綿とした命の繰り返しという時間概念はすっと腑に落ちます。現代人はエネルギーを使って便利の名のもとにいたずらに時間を進めているのだという気づきは今までとは違った生き方のヒントになります。
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高校時代に『ゾウの時間ネズミの時間』を読んで以来の本川先生の本。
ラジオ講義をまとめたものなので、口語的でわかりやすい。
現代の問題や生き方に関して本川先生らしい新しい観点で述べていて、興味深かった。
砂を噛むような人生は天国のようだ!