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商品説明
マキとフミは、できたてホヤホヤの「新米きょうだい」二人の心は、近づいたり離れたり、すれ違ったり衝突したり…こんなふうにして、わたしたちは少しずつ家族になっていく。母を亡くした小学四年生のフミ。親の離婚で苗字も学校も変えなくてはならなかった六年生のマキ。それぞれの父母が再婚して「家族」となった二人の少女が過ごした始まりの日々を、やさしく見つめる姉妹小説の決定版。【「BOOK」データベースの商品解説】
フミとマキの父母が再婚し、ふたりはできたてホヤホヤの「新米きょうだい」に。ケンカをしたり、仲直りをしたり。ふたりの心は次第に変化して…。家族の始まりの日々を優しく描く。『小説新潮』掲載を大幅に加筆し書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
家族とは何かなんていう答えはないのかもしれない
2011/09/03 10:43
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年のお盆は故郷に帰らなかった。
母が亡くなって二度目の夏。生前母は「自分たちが死んだらあんたも帰って来にくくなるんだから今のうちに精々帰っておいで」とよく云っていた。
母のいない故郷の家にはほとんど話をしなくなった父と兄夫婦がいる。自分の故郷であることにはちがいないが、どこかに他人の家のような気がしないでもない。
故郷を遠く離れた土地で私は別の家族を持っている。私が、昔の言い方をすれば一家の大黒柱である、ちいさな家族である。故郷の家では私はもう家族ではないのかもしれない。
家族って何だろう。血のつながりの人の集まり? 戸籍上の人の組み合わせ? 企業のように同じ志の集まった集団? どれも合っているようで、でもちがう。
あんまり考えることさえないのだろうが、重松清さんの小説を読むと、ふと、家族って本当に何だろうって考えることがよくある。
この『ポニーテール』という長編小説もそうだ。
小学四年生のフミは二年前に母を亡くして父と二人暮らし。小学六年生のマキは両親が離婚して、母と二人暮らし。それぞれが別の苗字をもった小さい家族だった。二組の家族はフミの父とマキの母が結婚をすることで、新しい家族となって、フミとマキは新しい姉妹になった。
この物語はそんな「家族の始まりの半年間」を描いている。
どこかぎこちない姉と妹。何もわからない年齢ではない。互いに気をつかい、互いに寄り添おうとする。そのきっかけは原っぱに捨てられていた一匹の「しっぽの曲った野良猫」。この野良猫への接し方でフミは新しい姉のマキのことが少しばかりわかったような気がした。
だから、マキのようなポニーテールにしたいとあこがれる。
でも、家族って何だろう。血のつながりがないフミとマキ、フミと母、マキと父、そして、父と母。ここにはそんな四人の家族になるための、すれちがいや和解や涙や寂しさが描かれていく。
そして、それは何かあってもいつも元の生活に戻る「仲直りの物語」でもある。
重松さんはけっして家族とはこういうものだと答えを出すことはない。こういう家族がありました、と描くだけだ。
答えをさがすのはいつだって読者の仕事。
しかし、答えがあると決まったわけではない。もしかしたら家族とは何かなんていう答えはないのかもしれない。あるとすれば、そんな難しいことをごちゃごちゃ考えずに、まずはごはんだな、という親や兄弟の妻の、一言に隠れているかもしれない。