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商品説明
1972年7月、大学生たちによる日本初の情報誌『ぴあ』が創刊される。やがて50万部雑誌へと成長するが、2011年7月に休刊。その誕生から終焉までを目撃してきた著者が綿密な関係者取材によって綴る『ぴあ』年代記。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
掛尾 良夫
- 略歴
- 〈掛尾良夫〉1950年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。キネマ旬報映画総合研究所エクゼクティブディレクター。著書に「外国映画ビジネスが面白い」「映画プロデューサー求む」など。
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紙の本
私たちの青春
2012/02/20 08:17
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
情報誌「ぴあ」に初めて接したのは、確か1974年頃だと思います。創刊が1972年ですから、そんなに遅くない頃に出会いました。
きっかけは学生寮でした。二人部屋の相方が武蔵野美大の学生で、彼がその雑誌を初めて見せてくれました。カップヌードルが自動販売機で売られていた時代です。
その学生寮では色々なことが初めてでした。ケンタッキーフライドチキンを初めて食べたのもその寮でした。とってもジュシーで、こんなにうまいものがあるのかと驚いたものです。食べさせてくれたのは、和歌山出身のお金持ちの息子。彼はどこの大学生だったかな。
その頃、名画座、今の若い人にはわからないかもしれませんがロードショー映画が何年も経って二本立て興行されるそんな映画館のことです、はブームでした。
地方から出てきた学生にとって名画座は憧れの聖地でした。
大阪の地方都市で高校時代を過ごした私にとって、映画雑誌「キネマ旬報」に掲載された名画座のラインナップは垂涎の的でした。こんな名画座のある東京に行ってみたい。それだけでも自分の中では東京に行く、りっぱな理由があったのです。
実際東京に出てみると、そこは映画館の百花繚乱でした。一体どこの映画館でどんな映画が上映されているのか、インターネットが発達した現代では考えにくいことですが、そのことがちゃんとわかっていませんでした。
ですから、「ぴあ」の登場は、実際には創刊から何年めの出会いですが、映画青年だった人間には歓喜の何物でもありませんでした。
友人から見せられた「ぴあ」は、そのあと、自分で購入する唯一の雑誌になりました。
もしかした、「ぴあ」の時代を懐かしく感じるのは、すごく限定的な時代に東京に住んでいた世代かもしれません。
地方に住む若者たちは、「ぴあ」の時代の熱気を自分のものにできないでしょう。それほどに一部の若者の文化だったと思います。
それでも、あの時代、1970年代は「ぴあ」の時代だったといっても、誰も否定しないと思います。
それほどに「ぴあ」は時代の風景を見事に描いていたのです。
本書は今や伝説ともなった「ぴあ」の創刊から、昭和の時代をメインに描いた「青春物語」といっていいでしょう。
著者の、元「キネマ旬報」編集長でもある掛尾良夫さんは「『ぴあ』は生まれるべくして生まれた、必然だった」と書いていますが、時代が『ぴあ』を求め、1950年生まれの矢内たち創業者たちがそれを見事に「必然」したのだといえます。
残念ながら『ぴあ』は2011年に休刊となりました。インターネットが発展した時代に、雑誌形式の『ぴあ』は時代遅れだったかもしれません。
けれども、だからこそ『ぴあ』は私たちの青春とともにした、同志だったのです。
紙の本
『ぴあ』の時代
2015/08/28 23:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ぴあ」の創刊時、ぴあが運営した「ぴあフィルムフェスティバル」の立ち上げの裏側を中心にまとめめられたドキュメンタリー。
前述の通り「ぴあ」はエンターテインメント全般を扱っていたが、本書は出版元が映画出版社ということもあり、話題は映画関係に限定されているため「絵画や舞台のことについても触れられている」と思って買った読者は失望を感じるだろう。この本を読んで感じたことは「新しい雑誌の立ち上げには、ものすごいエネルギーがいる」ということ。ぴあ休刊についてさらりとしか触れていないことに、違和感を持つ人もいるだろう。