紙の本
「今晩、ご飯は?」
2012/08/19 16:37
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
連載中の「波」で、≪何かものごとを決めるときの最終判断は、ほとんどが私であった、(中略)どの着物にするか、それが決まるとどの帯が合うか、その帯にはどんな色の帯締めと帯揚げが似合うのか、どれもほとんど私の指示通りに風呂敷に包み、着つけをしてもらいに行くのが常だった。≫の一節に出合ったとき、夫永田和宏に全幅の信頼感と愛情をもって生きる妻河野裕子のイメージがはっきりと浮かびました。同時に、その夫を一人残して去らねばならぬ壮絶な孤独感も又。
あらためて本書を通読して実感することは、歌人としてよりもむしろ、妻あるいは同伴者として濃厚な存在感を示す一人の女性の姿です。例えば夫との対談(京都うた紀行)での発言、≪私の場合は、あなたと一緒に行ったというのが、非常に大きかったですよね。(中略)病気の所為で、あと何年生きられるかもわからないというそういう状況の中で、非常に濃縮された時間を過ごすことができたから、その時間を大事にしたいなあと思いましたね。≫そして、死の当日の午後の会話。≪「今晩、ご飯は?なに食べるの?」と不意に尋ねる。「魚の味噌漬けいただいたのがあるし、きゅうりも漬けようか」と答えると、「それでいいね」と安心したようだった。≫「今晩、ご飯は?」という死の直前の一言に、主婦としても見事に生ききった河野裕子の姿が見えるようです。
そういう彼女であればこそ、独り逝く孤独感を超越した≪さみしくてあたたかかりきこの世にて会い得しことを幸せと思ふ≫という死の前日に詠んだ一首が、素直に心に染み入るような調べを低く、清澄に奏でるのではないでしょうか。ご冥福を祈りたい気持ちでいっぱいです。
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一昨年亡くなった歌人・河野裕子さんの闘病の日々を夫の永田和宏さんが綴られています。
読んで驚きました。なんという修羅を乗り越えてきたのでしょう…。
河野さんの術後の激昂の日々は、どちらにとってもほんとうに地獄のようです。
ともに歌人であり相聞歌集も出されていて、愛情あふれるご夫婦の物語とばかり思っておりました。
闘病の十年を振り返られて、歌が残っているからこそ気持ちがありありと伝わってきます。
残り少ない最期の日々となった2010年の裕子さんがなんと気高いことか。
まさに人生の全うの仕方を考え抜かれて突き抜けたのでしょうね。
永田和宏さんの深い深い思いにも感涙。
人と連れ添い生きること、その人生の終わり方について、ずしりと自分に問いかけられました。
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夫婦歌人というより歌人一家。妻の河野裕子さん10年のガン闘病を見つめた夫の追悼記。若き日からその死まで互いに相聞歌を交し合う歌人夫婦の深く厚く自律した愛の交流は、すさまじいまでの芸術との闘いであり真摯に生き抜くことの痛みがある。
夫婦は二世をちぎるといわれるが終生そのことをまっとうしたこの夫婦と家族の生き方が心を打つ。
最後の一首「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
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「家族の歌」を読んでいたので、既知の部分もあったけれど、薬害に正気を失った妻と夫、母と子の相克はここで初めて明かされるものでした。
自分も夫も子もみな歌人。夫と子どもは歌に仕事に邁進するのに、自分だけが術後の不調に耐え、再発の不安におびえる日々。だとしたら、「おいてけぼり」恐怖はどんなにつらいものだったかと思います。
表現者ならばこそ、死を前にした不安も詠まねばならず、作品が残ればこそ、その作品を読むごとに詠われた時点に呼び返されて泣かねばならない。表現者ならばこそ、かつては伝わらなかった思いが詠われた作品によって伝わることもある。
魂の交歓に時差がある夫婦。歌詠み同士の夫婦ならではの回顧録。泣けました。
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妻が乳がんを発症して告知を受けてから亡くなるまでの記。岡本太郎によるかのこの記を読んだ時と同様、命を燃やすように創作していくさまが印象的。
祈るってなんだろう、というのは私のしばらくのテーマだったけど、また考えた。引用にも記した部分は、私もドイツで感じた。一心に祈る人の姿を見て、やっぱり人にそういった行為が必要不可欠と感じずにおれない。
歌そのものは、夫の歌の方が男性的な冷やかさがあって私は好きかな
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短歌を詠む夫婦の闘病の記録。夫婦どちらも才能とエネルギーに充ちていて、いつも何かを求め何かと闘っている。すごいと思うが、著者の思いが強すぎて、今ひとつ感情移入できなかった。こうした作品は他と比較すること自体不謹慎かもしれないが、自分としては、俳句の江國滋の闘病記『おい癌め 酌み交わそうぜ秋の酒』の方が心に沁みた。
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短歌を平易に語るように謳う達人。夫婦で歌人。
「手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りない
この世の息が」が最後の歌とは…。
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歌人でもありまた生物学者でもある永田和宏が、その妻で、また歌人であった河野裕子が、乳ガンの宣告を受けた2000年から、2008年に再発し2年後に亡くなるまでの闘病の十年をつづった記録である。自然、そこには多くの歌が詠まれている。たとえばタイトルは「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」という、妻の死を目前にした永田が歌った歌の一部である。二人は相聞歌集『たとえば君』という本を出すほど、結婚後もお互いを愛し、お互いを歌に詠みこんできた。ぼくは和歌というものはほとんどつくったことがないが、この31文字という日本の伝統文学が、なぜ今も滅びず続いているわけを、本書を読んでひしひしと感じさせられた。ぼくも和歌をつくってみたい。二人は歌の世界の賞を総なめするほどの才人どうしである。夫はまた国際的にもすぐれた生物学者で、しばしば学会出張で家を留守にする。東京の会社をやめて京都大学へやってきたときは、無給の研究員で、バイトをしながら実験、論文執筆にあけくれるから、当然家事育児は妻の裕子にかかってくる。妻の病気がわかってからも、永田は病気を特別視しないために同じように国際学会へ出かける。もともと不眠症をかかえていた河野はおそらく半ば寂しさも手伝い、睡眠薬をウイスキーで飲むという行為をくりかえし、晩年は統合失調症の症状を呈し暴れまわる。しかし、そうなっても、河野は生きているかぎり歌を一つでも多く詠みつづけた。(ちょうど本書が300冊目のレビューとなった。)
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京大の教授でありながら、歌人。そして奥様も子息、また子息、娘も歌人という傍目からはすごい家族です。しかし、乳がん判明後の河野裕子の最期の10年は、壮絶な家族との葛藤で大変だったようです。妻の不安定な精神状態に振り回され、大の大人の男子が泣かざるを得ないような状態で、妻への愛は変わらない!あまりにも凄すぎて、哀しすぎ、愛情の深さが怖いほどでした。
「淳の肩にすがりて号泣したる夜のあの夜を知るひとりが逝きぬ」和宏
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いうなれば「たとえば君」の続編。河野裕子発病から死去に至るまでの闘病とそれを抱えた夫婦の、家族の、物語。泣ける。
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絶唱の向こうにいろんな思いがあることを教えてくれる一冊。
前著では、すれ違い噛み合わなかった部分が目について
痛ましかったがこの本はしっとりした感じがどこかにある。
少し時間が空いたせいで、ゆっくりと振り返る事ができてこの本が出来たのかもしれない。
河野裕子さんのこころの振幅の激しさや
感じやすさの内実をよく知るご家族も苦しまれたろうが、
河野さんご自身も、伝えきれない思いと
時間の足りなさの中で、それでもご家族を深く愛し、
歌人としても精一杯の成果を残そうとしたことがわかる。
傷ついても唯一無二の人生の交差がある。
ぎりぎりの、「私」という居敷が保たれている限り、
ひとは愛する人と思いを交わしあいたいものなのだと知る。
私には?
その問いがすっくりと立ち上がってきて
どんな答えも、どこかに諦念が滲んだり、
自分が見ないことにしている寂しさがあることがつらい。
せっかく今日までを生きてきたのに。
終わりの日が近くなったなら、せめて。
愛しき言尽くして。
そう胸張って言える日々が欲しい。
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☆4(付箋14枚/P199→割合7.04%)
「考える人」という新潮社の季刊誌があって、その編集長が週一で出しているメルマガに登録している。
教養誌の趣きがあるだけあり、劇、映画、スポーツ、幅広い話題が触れられて、僕の守備範囲外の話題でかつ、とても読ませるので、いつも楽しんでいる。その最近の号で(http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/622.html)
この著が紹介されていた。
あまり説明がいるようにも思わない。
この数々の歌をみるだけで、胸が打たれませんか?
・最終的には来週結果(生体組織診断で乳がんかどうか)が出ますとおっしゃったが、それが一種の気休めであることは、口調からも察せられる。事の重大さにこちらの口調がうわずってくるのが、自分でもわかる。落ちつけ、落ちつけと思いながら、次第に焦っていくのが自分でもなさけない。
まだ決まったわけではありませ んからと念を押され、礼を言って電話を切った。
そのすぐあと、裕子から電話がかかってきた。元気な声である。いま終わったから、そっちに車を取りに行くと言う。
…できるだけ平静を保ち、どうだったと尋ねる。エコーで乳房に大きな影があり、脇の下のも真っ黒なのよ、と言う。なんでこんな時に、そんな元気な声で呑気に話ができるのかと、あきれる思いでもあった。しかし、彼女自身は、まだそんなに大変なことだとは思っていないらしい様子にほっとする。
西村教授からの電話の内容には触れずに、ふんふんとこちらも莫迦なような対応である。
…あっけないくらい元気だと思っていた河野が、実はそんな気楽ではなかったことを知ったのは、一ヵ月ほどあとのこと。連載中の彼女の歌を 読んだときである。
何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢゃない
私のそれまでの人生で、この一首ほど辛い一首はなかったと言ってもいいかも知れない。できるだけ平静を装っていたつもりなのに、お見通しだったということか。どんな形相をしていたのだろう。
・あと何日おまへは私でゐられるかきれいだったねと湯にうつ向けり
という歌があった。左の乳房のほうが形がいいとはいつも言っていたことだが、よりによってそちらが切られてしまう。「あと何日おまへは私でゐられるか」は、その左の乳房に向かって言っているのである。
・河野はまだ麻酔からは覚めず、呼びかけにはかろうじて応じるものの、話はできなかった。
君のこゑ聞けどふらふらと海月 (くらげ)なり湯あたる遠浅をゆき戻りして
この歌はもちろんあとから作られたものだが、このあたりが河野の歌のとぼけたおもしろさでもある。
・そのような河野の日常生活の変らなさにも助けられて、私もそれまでと同じような生活を続けたのだったが、それはやはり彼女には寂しいことでもあったのだ。
…せめて、こんなときには傍にいて欲しい。その単純なひとつ事さえかなわない自分たちの生活に、一方では十分満足し、手ごたえを感じつつ、一方で自分ではどう処理しようもない寂しさを抱え込んでいったのかもしれな���。
ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために
・見舞うのはこれが最後かも知れない。一度は市川さんに言っておかなければならない言葉 があった。「ありがとうございました」というひと言である。私がなんとか学者として生きてこられたのは、まさに市川さんという存在があったからである。そのことだけは言っておきたかった。
しかし、どうしてもそのひと言が私の口からは出せなかった。言ったらお終い、それは別れの挨拶になってしまうだろう。ベッドサイドで取りとめもない話をしているあいだ中、私はそのひと言のタイミングをはかっていた。しかし、どうしても言いだせない。
市川さんが「吸呑とってくれへんか」と言われたのを幸いに、茶を飲ませ、「また、来ます」と強いて平静を装って、廊下へ出たのだった。その時、病室から突然市川さんの声が聞こえた。驚くほど大きな声だった。「永田君、ありがとう」。
…「あり がとうございました」。私も廊下から叫んだのだったが、こみあげてくる嗚咽のほうが強くて、それは声として市川さんに届いたかどうか。
これから死のうとしている人。その人への感謝の気持ちを伝えるということがこれほどむずかしいものであるとは。
容体はその夜に急変し、明け方近く、亡くなった。十二月二十一日、あと十日で二十一世紀という冬至の日であった。
・今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
肩が凝り、痛いのはわかっていても、どうしてやることもできない。ほんとうは、「うんうん」と言いながら、肩を揉み、痛いところを撫でてやるのがもっともよかったのだろうと、いまなら私にもわかる。
…「なんでこんなにしんどいのやろ」という問い に、「線維化しているから、仕方がないなあ」という答は、一度は有効でも、二度三度と繰り返されると、同じ答を繰り返すこともできず、答えるほうはひたすら苦痛である。肩を揉んでやること以外に、どうしてやることもできない。
・つき合ひにくい生身とこころを連れてゆくコスモスの花の揺れゐる中へ
自分でも辟易するほどに、こころが身体から遊離している思い。必死に自分の「生身とこころ」に折り合いをつけようともがきながら、彼女は再発、そして死の恐怖に耐えようとしていた。
・あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて
どう言ってもわかってくれない。どう接しても、心がつながらない。途方に暮れて、ある時、彼女を抱きしめたまま、泣いた ことがあった。確かに私も悔しい思いで、そのことを覚えている。彼女のこの一首を見た瞬間、あの忌まわしいと思っていた夜のことが、とても懐かしく、甘美な匂いに包まれてしまったような気がしたのは、我ながら不思議であった。
この一首は、その後もなおしばらく続いた彼女の発作の折も、そして、河野裕子が私の前から死という境を越えて居なくなってしまってからも、私を支え続けてくれるお守りのような歌になったのである。
・木村先生は、自分からはどうこうおっしゃらず、ただ聞き役に徹しておられたようだが、それが河野にはとてもよかったのだと思う。遂に私にはできなかったことだ。
・白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅
その年のお題は「光」。披講さ れた河野の歌である(新年の歌会始で、選者でもあった)。
・薬袋にもティッシュの箱にも書いておく凡作なれど書きつけておく
彼女の死後、私は空になったティッシュの箱を捨てようと、その端に親指を突っ込んであわやその箱を壊そうとした。そのとき、不意にティッシュの箱の上面に、きわめて薄い字が見えるのに気がついた。それはどうやら歌の断片らしかった。
・のちの日々をながく生きてほしさびしさがさびしさを消しくるるまで
「さびしさがさびしさを消しくるるまで」、そんなことができるはずがないじゃないか。彼女が生きていたら、そう言ってやりたかった。さびしく笑って、それでも喜んだだろうか。やさしい言葉は、伝える術を失ってから浮かんでくるものだ。
・モルヒネを使ってもらっては困りますという私の反応は、まことに残酷なものではあったが、それで良かったのだと思う。もし、あの時点でモルヒネを使っていれば、先の歌を含めた彼女の最後の代表作はついには遺ることがなかったのである。それでは、彼女はあまりにも悔しかっただろう。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
河野裕子の最後の一首である。死の前日に作られた。近代以降、これほどの歌を最後の一首として残した歌人はいないのではないかと私は思う。私が自分の手で、この一首を口述筆記で書き遺せたことを、涙ぐましくも誇りに思う。
・不意に「歌まくら、楽しかったなあ」と、はっきりした言葉で言う。とっさに「一緒の本をもっといっ ぱい作ろうな」と応えると、手を伸ばし、黙って私の頭を抱き寄せた。もう決して河野の目に触れることはないだろう二人の本を思いながら、私は髪を撫でられていた。
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
死の前日に、私が口述筆記で書き遺した数首のうちの一首である。河野裕子にとっても、そして私にとっても短かった「この世」の時間。寂しくても、暖かかったと感じてくれたことを、そして、そんな「この世にて」私と出会い、私たち家族と出会って幸せだと思ってくれたことを、今は何にも替えがたい彼女からの最後の贈り物だったと思うのである。
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言葉に託されたものが生き続けるさま、生き続ける言葉を生み出すこと、生き永らえる意義、元は他人である人同士が家族であること。歌人である河野裕子さんの10年に渡る闘病の記憶を、やはり歌人である夫・永田和宏さんが辿る言葉たちに打たれた。
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歌人・河野裕子との最後の10年を綴った1冊。
正直、きれいごとではない場面が多くて痛々しいものがあるが、傷つけあい、ぼろぼろになりながらも、やはり歌人同士として、夫婦として、ともにあるべき運命の二人だったのだろうということが感じられた。
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歌人の家族でそこにある感情の複雑な渦巻きを思うと、短歌とは文芸なのか芸術なのか闘争なのかと考えて、宇宙の深淵を覗き込んでため息が出てしまう。どんなに美しい短歌を作る人にも死は訪れるが、短歌は残る。後世に残る短歌の詠う過程を克明に記録したのがこの本である。