最新のローマ帝国研究
2019/07/21 15:29
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
漠然と、ローマ帝国は広くなりすぎた領土を維持できなくなり、ゲルマン人の大移動によって崩壊したんだと思っていたが、新しい視点を与えてくれた。中々面白い。
中世への過渡期としての帝政後期
2013/09/09 14:42
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
帝政も後期になると中世よりも不自由で、技術の低下も激しかったのかもしれない。でもゲルマン人の流入の雰囲気が伝わってこないので、欧米での研究の流れがそうなのだという感覚しか味わえない。
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ローマ帝国の衰亡は、遠い昔の出来事なだけではない。何故、かくも強大な帝国が衰亡したのかを知り、その教訓を今に生かす。我々が歴史を学ぶ理由のひとつががそこにある。
終章203ページの一文こそが、本書の中で著者が一番言いたかったことに違いない。
【蛇足】
「匈奴=フン族」とは断定できていなかったのね。知らなんだ。
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コンスタンティヌス大帝の時代から衰亡まで、21世紀のローマ帝国衰亡史をと気合いの入った記述をしている。「ローマ人である」という、帝国の担い手のアイデンティティが変化したとがローマ衰亡の原因としている。しかし、アイデンティティの変化は、ローマの内外の情勢が変化して衰亡していく過程を反映した結果としては考えられないのか。ローマ人のアイデンティティの考察は、非常に興味深く重要な指摘だが、ローマの衰亡に直接影響する道路・都市のインフラ、食糧輸送システムが何時頃まで機能していたかも知りたかった。
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ローマ帝国の衰亡の要因は、外部の民族をローマ市民として、受け入れていた寛容さが失われていき、排他的になっていったことだと著者は言ってるのだと思う。そして、ここでははっきり明言せず、匂わせるだけだが、その背景にはキリスト教の信条があるのだ。
コンスタンティヌスが大帝と呼ばれ、ユリアヌスが背教者と呼ばれたのは、前者がキリストを国教としたのに対して、後者が他の宗教の信教の自由を認めたからだが、キリスト教は極めて排他的な宗教で、ローマ帝国の寿命を縮めた要因になっているのだと思う。
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南川さんは、日本で信頼できる古代ローマ史家のひとりだと思います。現在の我々の「民族」という言葉の意味が、古代ローマの歴史に接する際に、邪魔をします。19世紀以降の民族としての「ゲルマン人」という人たちは存在しないということをあらためて認識しました。(途中)
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ニューヨークウォーク、ニューヨークトークということだろうか。
トウキョウスタイルということもある。
「ローマ人であること」ブランドで、ローマ人が再生産されていた。
そこに差異性、差別性があまりに強調されると、嫌味になる。
新人類は敏感だし、まして新勢力は古いスタイルに魅力なんて感じないだろう。
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『ローマ人の物語』、ちょうどこの本の主題である衰亡の前の五賢帝時代ネルヴァの巻まで読んだところで、この本。
ローマをローマたらしめた寛容さがなくなり、不寛容なローマ(排他的ローマ主義)に社会が変質していった。カエサルから始まった外部部族の政治・軍事における比重の増加、外部部族側のエスニシティへの目覚めなどがあいまって、排他的なエスニシティ形成につながったようです。
同時にキリスト教もその性格が変貌し、排他的になり、ローマ帝国が崩壊した。
openとclementiaが同じかわかりませんが、不寛容な社会、組織は長続きしにくいでしょうね。
前著も出ているようなので、こちらも読んでみようと思います。
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現代の国民国家と違い多様な民族と風土を抱えるかつての帝国は、そのアイデンティティ(私はローマ人である など)が時代と共に変容し薄れたために、ゆるやかに自壊していった、ということか?斜め読みのため再読待ち。
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南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、ギボンの名著に“新”を冠する本書は、歴史学最新の成果を踏まえ地中海の帝国よりも「大河と森」の帝国の衰亡を点描する。帝国領土は確かに明るい地中海が全てではない。巨大な帝国は三十年で滅亡した。栄えた国が滅びること、国家とは何を考えさせる好著。
四世紀後半、攻勢に晒されるローマは「尊敬される国家」をかなぐり捨て、全盛期の推進軸(市民権の平等と寛容)とは対極の「排他的ローマ主義」へ傾く。国家の統合よりも差別と排除を優先させ、実質的にローマを支える「他者」を野蛮と軽蔑し、排除した。
「この『排他的ローマ主義』に帝国政治の担い手が乗っかかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力を失い、『尊敬されない国』へと転落していく」。著者は安易に現代と比較することに控えめだが歴史は大切なことを教えてくれる。
私は歴史学者じゃないけど、先のようなかたちでの「歴史から学ぶ」ということは必要なんだろうと思う。確かに、ゲルマン民族云々によって西ローマ帝国どーんていうのが教科書的「学び」なんだろうけれども、その転換に、繁栄から凋落へというのは(要するに寛容から排除)、アクチュアリティがあるわな
国が傾くと、声高な外交にシフトすることで、本当に考えなければならない問題をスルーさせ、瞬間最大風速的な一時しのぎの求心力を得るために排外主義に傾き、失敗してきたのは世の常。しかし、ローマ帝国もそのひとつというのは、常々「ネットで真実!」と刮目したネトウヨ諸氏にも紐解いてもらいたい
私自身はそういう内向きなものだけでなくて全てのナショナルなものは……松下電器は嫌いだけど……唾棄すべきと思っているけど、その手前に留まるとしても、自分が何であるように、他者も何であるという、自覚とその相互認識という手順が割愛されていくと、ほんと目も当てられなくなってしまう。
ざっくりとしたもの謂いをすれば、一口にギリシア・ローマといっても、ギリシアは、まさに「排外主義」に基礎づけられた自己認識によってどん尻になってゆく、ローマに超克されてゆく。そしてローマは、先験的な条件ではない「であること」の選択としての「市民権」により他者から魅力を集めた。
ついでに言及すれば、本来的に、カテゴリーに準拠されえないイエスの“戦い”が、斜陽するローマ帝国の国教となった時点で、その普遍的なものが歪められてしまうっていうのも、まあ、時期的にはローマ帝国の排外主義の生成の時を同じくしていくというのは、難ですよ。これぞ枠内猫パンチというヤツか
しかし、まあ、これはキリスト教に限定され得ない話ではあるわけなので、この世を撃つ眼差しが、この世の仮象たるものの下位に序列化されたときの問題として考えておかないと、あまり意味はない。江戸期以降の仏教や、戦前日本の諸宗教が「私たちこそ国家に有益な宗教」競争をしたわけだしね。
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歴史の時間では、ローマ帝国はゲルマン人が北から侵入してきた
ことが原因で衰亡したと習ったように記憶している.本書では帝国の政治状況を加味した解説がなされており、非常に納得できた.このような記述がある.「北からの諸部族の移動の影響を最初に受けたのは帝国の東半だった.しかし崩壊したのは西半である.西半は在地の有力者が強く、東半は皇帝政治の権力が強かった.」 この権力者たちの心がローマから離れたことが衰亡した最大の要因だ.さらに「ローマ帝国の衰亡とは”ローマ人である”という帝国を成り立たせていた担い手のアイデンティティが変化し、国家の本質が失われていく過程であった」と結論を述べている.
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歴史に疎い私でも丁寧に読んでいけば理解できる。
ローマ帝国の衰亡の原因を「ローマ人らしさ」の消失に求めている点は、組織のあり方、特に組織文化や組織アイデンティティーの観点ともつながる課題となりうる。
改めて、歴史を解釈していくことのおもしろさを認識させてくれる好著である。
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斜陽期に入っていても、まだ日は高かった筈のローマが一気に衰亡した原因を、寛容から排他主義への人々の変容に見ています。
ローマを排他的にした原因をキリスト教とするのではなく、キリスト教もまた変容していったするのが面白かったです。
排他的になることからの視野狭窄が良い結果を生まないのは、何事にも共通していると思います。
紙面の関係か全体的に少し物足りない印象でした。
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ローマ史は詳しくないので分かりませんが、確かに辺境から歴史を復元する試みは面白い。ローマ帝国を規定しているのは「ローマ人」という意識であること、その意識が変容したことによって滅亡したことは新しい。
ただ、説明の仕方がいまいち。大衆向けでもないし、専門家向けでもない。
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ローマ帝国の衰亡の原因を、寛容さの喪失であるとして論じている。
ローマ帝国というとゲルマン人によって滅ぼされたという印象をもつが、実際は魅力的な「ローマ人である」というアイデンティティーでもっていわゆるゲルマン民族などの外部部族をその内に受け入れ、帝国がまとまっていた。
それが、国家の危機に際して「排他的ローマ主義」が台頭してきたことが、急速に国家の魅力を失わせ、ローマ帝国が「尊敬できない国家」へと成り下がったとしている。
国家としての魅力を失ったときに国は滅びる。ある意味非常にわかりやすい話だが、その経緯はとても複雑だった。如何にして国家は滅びるのかについて考えさせられた。