紙の本
怨霊とは何か
2021/12/15 00:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本三大怨霊だけでなく、早良親王などの例もあげ、不幸な死が災害としての怨霊になっていったのかを解説している。時の移ろいによる政情の変化などが原因になることが多いらしい。面白かったのは、怨霊として強いほど、神として祀った時に強力だという考え方。
紙の本
最恐の怨霊は誰?
2018/01/19 21:14
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
災厄の因果を「死者の祟り」に求め、鎮魂で災厄から逃れるというのが怨霊信仰。
本書は菅原道真、平将門、崇徳上皇等を例に、怨霊信仰を解説。流刑後、仏教に帰依し静かに生きていた道真、極楽往生を願って亡くなった崇徳。両者とも生前は怨霊となる気配は微塵も感じられません。為政者たちが彼らを怨霊に仕立て上げ、治世に利用したわけです。崇徳の血で書いた五部大乗経が、何と創作だとは驚きました。
いずれにしても、怨霊信仰は、「死後は敵も味方も恨まない」という日本人の精神性を形成するのに多大な影響を与えたことは確かなようです。
将門は、道真や崇徳と異なり、江戸時代の戯作等で有名になった怨霊のようです。現在も影響を及ぼしていることを勘案すると、今や最恐の怨霊と言えるのではないでしょうか。
一方、神田明神は、いつも参拝客で賑わっていますが、ここに最恐の怨霊が祀られていると認識している参拝客は少ないのではないでしょうか。もはや最恐の怨霊は、怨霊信仰を忘れた人間そのものかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
文献を当たり、丁寧に調べた結果を書籍にする。
こうした書物はやはり面白い。
久しぶりに知的好奇心を満足させてもらった。
いくつか参考文献で気になるものがあるので、図書館で探すか、購入したいと考えている(笑)
投稿元:
レビューを見る
<目次>
第1章 霊魂とは何か
第2章 怨霊の誕生
第3章 善神へと転化した菅原道真
第4章 関東で猛威をふるう平将門
第5章 日本史上最大の怨霊・崇徳院
第6章 怨霊から霊魂文化へ
<内容>
怨霊の日本史について、菅原道真・平将門・崇徳院を取り上げている。読みやすいのでスイスイと読めるが、中身が薄い気がする。道真も将門も怖さを感じないし、「最大の」名うたれた崇徳院も、怖さの微塵もない。それは著者の筆致によるものだろう。
怨霊は、政変や戦乱がきっかけと著者はいい、江戸時代はそうしたものは少なかったので、怨霊文化は衰退し、明治以降は「怨親平等」の思想が広まり、明治期まで続くという。この辺りは、納得半ばというところか。
投稿元:
レビューを見る
日本で怨霊と呼ばれた人物たちのうち、特に菅原道真・平将門、崇徳院に絞って解説が加えられている。それぞれの人物がいかなる災厄をもたらし、いかに恐れられたかが、当時の史料などから克明に再現されている。それと同時に、文学作品や芸能などで徐々に形成されていく彼らのイメージに焦点が当てられており、歴史上の人物像と怨霊としてのイメージが乖離していくさまも分かる。
投稿元:
レビューを見る
心が奪われると魂が身体から抜け出していくのと同様に、くしゃみという生理現象によっても魂が抜けだしてしまうと考えられていた。
遺体自体に霊魂が宿るとする考えもあったが、遺体が埋葬されたところに植えられた樹木に霊魂が憑依するとする考え方もあった。
古代から中世においては、天皇から庶民にいたるまで、怨霊は実在すると恐れられていた。
投稿元:
レビューを見る
山田氏の本といえば、崇徳院怨霊の研究を思い出す。
怨霊とは何なのかという部分から始まり、いわゆる「三大怨霊」=菅原道真・平将門・崇徳院についてそれぞれ当時~近代まで語られてます。
怨霊って何ぞ?と思ったら読むのに良いと思う。
投稿元:
レビューを見る
日本の怨霊という概念がいかにして生まれ、歴史や文化にどんな影響を与えたのか。
はじめ中世の死生観、死後の世界観を紐解き、怨霊という概念の位置付けを明らかにする。そして、日本の三大怨霊とともいうべき菅原道真、平将門、崇徳院のそれぞれについて、その失意の死の経緯からそれが怨霊として認識される過程、そして後世への影響をたどる。最後に三大怨霊以外の怨霊や近世・近代の怨霊観を概観する。
怨霊というキー概念を設定し、そこからみた中世史という切り口は面白いし、広範な資料を提示した力作だとは思う。ただ、あまりにも資料の羅列感が強くて、そこから何が読み取れるのかという考察が薄い。だから、例えば菅原道真らがなぜ怨霊となったのか、あるいは怨霊として人々に認識されるに至ったのかという肝心なところも、失意のうちに亡くなったからという当たり前のところ以上には深掘りされていない。政変で失脚し悲惨な最期となった人々は多くいて、それらと道真らを分かつものはなんだったのか。当時の社会情勢や人々の心性のなにが彼らを怨念にしたてあげたのか。その辺りをもっと考察してくれたなら、より面白くなったはず。
投稿元:
レビューを見る
菅原道真、平将門、崇徳院の3人の怨霊を中心に怨霊の影響や歴史的事実、どのように怨霊が形作られたかを叙述する。怨霊とそれをなだめる仏教の関係、怨親平等と禅宗、時宗の関係などは面白い。怨霊という言葉は早良親王からだが、怨みをもって死んだ霊は祟るというのはかなり遡れると思う。長屋王はもちろん、大津皇子、有間皇子、山背大兄王なども似た認識だったと思う。だとすると日本人の死生観に根差す概念が鎮魂の歌から仏教概念に裏付けされた律令制国家になると仏教による回心、贈位によるなだめなど、社会的制度的に整備されていったということではないか。
投稿元:
レビューを見る
現代人は平素は意識していないが、実は根底にある死生観等を再認識出来た。
資料の列記ということはあるが、中世の意識が良く分かって、とても興味深い。
菅原道真・平将門・崇徳院が三大怨霊と言われて、鎮魂がなされてきたが、何故、恐怖に陥れたのかについても、深掘りしていれば、もっと面白いものになったのでは?と感じた。
投稿元:
レビューを見る
菅原道真・平将門・崇徳院を日本三大怨霊として解説した本なんだけど…。
編年体と紀伝体が入り混じっていて読みにくいし、断定的な結論をバンバン出してくるわりには、理由として提示している資料が少なかったり偏見に満ちていたりして説得力がない。
特に宗教に関することばの定義があいまいで、本のなかで整合性が取れていないように思える記述も多々ありました。
つっこみどころ満載で、大学の教授が書いた本とは思えない。
崇徳院さんについては多少読むべきところがあったけれど、それ以外についてはかなりヒドイ。
新書の書き方に慣れていないのかもしれませんが、あえて読むなら崇徳院さんのところだけで十分だと思います。
興味深いタイトルだったのに、かなり残念な1冊でした。
投稿元:
レビューを見る
副題のうちの前二者は怨霊の認識があったが、崇徳院を怨霊というイメージは無かった。『「超常現象」を本気で科学する』読了後に本書を手にとったのは、その所見を基に本書を読んだら面白かろうという意図による。道真と将門は生年が重なる部分があり、道真の怨霊による災異を知っていたのではないかと思うと興味深い。古代皇族の権力争いから悲運の天皇となった崇徳院は、祟り神にさせられた感がある。『本気で科学する』に書かれたユング提唱のシンクロニシティ=意味ある偶然の一致が、怨霊による怪異を理解するうえで参考になるのではないか。
投稿元:
レビューを見る
確かに怨霊ネタって、学校では習わないなあ…。しかし、将門首塚跡地って、逓信省やら大蔵省やらが事故死だ落雷だにビビって逃げ出したの、江戸や明治時代の話じゃないのね。昭和年間になってからなんだってよ。でもって、神田明神の氏子の皆さん、今でも将門調伏を担った成田山新勝寺には参拝してはいけないとされてるとか。ちょっとビックリよ。
投稿元:
レビューを見る
三大怨霊の菅原道真、平将門、崇徳院の話題を期待して読み始めたが、なんとなくぼんやりとした印象しか残らなかった。
第一章の霊魂とは何か、第二章の怨霊の誕生の部分が面白かった。
投稿元:
レビューを見る
菅原道真・平将門・崇徳院のそれぞれがいかに怨霊と人々に認識されるようになったか、怨霊としての在り方の変化がわかる。そして時代が下るにつれて人を神として奉る方式が変化し、怨霊から一般への幽霊へ、怨親平等という概念が出来るに至る。