紙の本
SFながら
2016/02/17 06:25
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
SFと思っていても、実際に起こるじゃないかと怖くなる。読み進めていくうちに、気持ちが悪くなるが、読むのを止められない。
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よみがえる10編
2017/01/05 10:16
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
巨匠たちがその目で見た戦争には考えさせられる。過去の文学の範囲にとどまらず、今の世界情勢をとらえているような気がする。
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巨匠達にしては。。。
2016/03/03 21:59
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投稿者:Zero - この投稿者のレビュー一覧を見る
巨匠達の作品としては、いまいちというところだが、イメージが変わった作者もいた。『地球要塞』は『旭日の艦隊』しか読んでいなかったので荒巻作品かと思いきや全然違った。荒巻作品は文明批評としてのSFも書けるのかと驚いたほど。星新一は久しぶりに読んだが、いつものショートショートとは作風が違うような気がした。
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「巨匠たちの想像力」シリーズの第一弾。誰が言い出しっぺの企画かは知らないが、現代への危機感が一杯の見事なアンソロジーでした。日本のSFは大好きなのですが、案外読んでいなかったことを思い知らされました。第一弾の「戦時体制」も10本のうち、手塚治虫の「悪魔の開幕」江戸川乱歩「芋虫」しか読んでいなかった。
小松左京「召集令状」(1964)に先ず唸る。突然、各家に昔と全く同じ形式の「赤紙」が届くようになる。最初は性質の悪い冗談だと思っていた人々は、次から次へと若者が忽然と消えて、大騒ぎになる。この時代の親たちは全員戦争の記憶が真新しい。連日国会デモも起き、政府も困惑するだけだったが、やがて諦めが支配する。「考えてみりゃ、おれは前にいっぺんこういう時代を経験しているんだ。その時とちっとも変らんーそれが始まっちまえば、もう個人の力ではどうにもならんのさ。誰の力でもどうにもならん。こういう時代に生まれあわせたのが、不運ってもんだ」(31p)遂には兵隊経験のあった中年課長も召集されて、彼はそう豪傑笑いをするのであった。なぜそうなったのか、という種明かしは最後にはあるが、それがこの作品の意図ではないことは明らかです。
筒井康隆の名作「東海道戦争」(1965)を恥ずかしながら初めて読んだ。突然鳴り響く戦車の響き。自衛隊の交戦。実は、自衛隊が東西に分かれて戦いだしたのである。これも、理由付けは重要ではない。文章の中に軍事用語が飛び交い、ホントに戦争したらどうなるか、筒井テイストで描く。
既読の手塚治虫「悪魔の開幕」(1973)は、青年誌に掲載された、たった28pの短編。独裁首相の暗殺を試みようとする青年の話である。
「丹波首相は自衛隊をはっきり軍隊と言いきり、国民のすべての反対を押し切って憲法を改正してしまった」「しかも!核兵器の製造に踏み切ったのだ。日本が中国やその他の国の圧力から東南アジアの勢力をまもるという名目でだ!」「この三年間、国民の反対運動はことごとく鎮圧されてしまった」「何万人かが官憲に殺され、罪を被せられた」「もちろん野党は丹波首相の非常大権のもとで、まるで手足をしばられた猫みたいなものだ」(112-113p)まるで「2016年このあと3年後の日本」のようではないか!正に「巨匠の想像力」である。アイロニカルなラストが待っている。
海野十三「地球要塞」は名前だけ聞いたことがあった。この文庫本で147pも使う長編である。第三次世界大戦がテーマだし、オルガ姫という「火の鳥」に出てきそうなアンドロイドは出てくるし、原爆を彷彿させるような最終兵器も出てくる。でも言葉使いはかなり古臭いので、私は実は1950年代か、60年代の作品だと思って読み進めていた。そして、途中で解説を読んで驚愕するのである。興味ある方は少しググってみてください(^_^;)。
辻真先の「名古屋城が燃えた日」(1980)は、一家の主人が4歳の頃に名古屋空襲に遭ったという設定。80歳に手が届くお母さんの話が、かなりブラックなのですが、最後の一行で作品全体をブラックにしてしまう作品。
荒巻義雄「ポンラップ群島の平和」(1991)には、戦争「文化」を祭礼行事に組み入れて平和を維持する異星人の話が紹介される。
私の何代か前の先祖は地球の日系人であるが、先祖たちの古い諺に、「負けるが勝ち」という逆説的レトリックがある。ポンラップ群島の島民たちの観念も、本質的には同質なのだ。
ポンラップ群島語には、戦争を意味する言語は存在しない。彼らのほうこそが、われわれのいく倍も文明人なのである。(415p)
2016年2月9日読了
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色々な設定で戦争を知る。昨日の戦争、今日の戦争、明日の戦争。いつの時も戦争へつながり、戦争からつながっている。今の平和のようなものはどこへつながって行くのだろう。
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巨匠というのは素晴らしい。戦争を題材にしてここまで面白く、ここまでグロテスクに、ここまでシニカルに書けるものなのだと。個々の作品はかなり古いものから比較的新しいものまで収録されている。戦前に書かれた作品もある。これはいつの時代でも戦争について物語を創作くらい人類は戦争が好きな証拠だろう。多くの人は否定するかもしれないが、自分が巻き込まれない限り、戦争はエンタテインメントである。本書を読めば、いかに戦争を楽しめるのか、不謹慎な表現で申し訳ないが、そんな自分に気が付かされるかもしれない。
以下、個別作品の感想。
◎召集令状(小松左京)
戦争は終わっているはずなのに、戦中と同じように召集令状が送られてきて、どこかへ消えてしまう。そんな不思議な事がなぜ起こるのかを解き明かす物語。召集令状の謎だけではなく、なぜ戦争をしたのかまで、小松左京の想像力で読者に物語を提供する。奇想天外な物語ではあるが、誰かの想像(思い)が国全体を巻き込む不幸な事態になる可能性はフィクションといっていいものか考えさせられる。
◎戦場からの電話(山野浩一)
シュールだ。その一言につきる。でも、兵士になる(ならされる)きっかけはこんなものなのかもしれない。
◎東海道戦争(筒井康隆)
結構グロテスクな物語ではあるが、コミカルなところもある。戦争の始まりのくだらなさ、戦争を報道するテレビのくだらなさ、戦争を続けるくだらなさなど、戦争なんて「馬鹿馬鹿しい」とエンタテインメント作品に仕立てあげて皮肉っているようだ。とても面白い。
◎悪魔の開幕(手塚治虫)
ストーリーとしてはよくあるものだけれども、これが巨匠の手にかかると一級作品になる。エンタテインメント作品なのだが政治の批判など主張があるのが面白い。
◎地球要塞(海野十三)
奇想小説だ。世界大戦と不思議な行動をする人物(ネタバレになるので正体は書かない)のかかわりは、悪くはないが今となっては古くさい感じがする。様々な場所を行ったり来たりして、話が少し長い。
◎芋虫(江戸川乱歩)
強烈な話である。戦争で命を落とす人がいるのは分かる。負傷者が出るのも分かる。では、兵士はどちらの状況になるのが幸せなのだろうかと考えさせられる。死んだらそこで周りの人々(本人もふくめて)はある種の区切りがつくだろう。負傷者は怪我の具合にもよるが、一生背負わされる。本人だけではなく周りの人々も。作品では「いっそひと思いに…」と表現されるような残酷な場面がずっと続く。まさにこの世の地獄。戦争の恐ろしさを以前より理解できたような気がする。この作品の初出は1929年。第二次世界大戦の前だ。この作品が当時の政治家をはじめ国民に広く読まれていたならば、日本は戦争への道を進まなかったかもしれない。
◎最終戦争(今日泊亜蘭)
核戦争の恐怖を訴えるとともに我々世界がある宇宙の構造をSFとして語っている。核技術と原子の世界をリンクさせることで、核兵器は我々人類を滅ばすだけでなく、さらに極微な宇宙の破壊に及ぶことを示���することで核戦争反対を訴えている。また、自分たちの宇宙も微細な宇宙のひとつであることを示すことで、巨大な宇宙での振る舞いに影響される無情さを提示される。結構深い物語である。
◎名古屋城が燃えた日(辻真先)
どこかコミカルであるが、これはこれで戦時の混乱や状況を伝えているような気がする。結末が恐ろしいことになっているが、それがあるからこそ全体で笑える。それにしても、名古屋弁で語られるところは馴染みがない人には読みにくいのだろうな。なぜ名古屋なのだろう。
◎ポンラップ群島の平和(荒巻義雄)
この作品はほのぼのとしていて楽しく読める。また、戦争状態にあるかどうかは外から見ていただけでは分からないことも教わる。勝ち負けを決めなきゃならん時もあるだろう。その場合でも殺し合いではなく儀式的なもので済ます方法を人類は学ぶべきなのではないかと思った。
◎ああ祖国よ(星新一)
もう日本は戦争をしないだろうから、この作品のように、相手国に好きにされるのは今となってはリアリティーがある。日本のスタンスを面白おかしく、それでいて奥深くには皮肉めいたものを表現するのは、さすが星新一という感じだ。面白いし、この作品が巻末だから本書の読後感がスッキリしたものになる。
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(このディストピア小説(含コミック)アンソロジーは次女の意外なお気に入り。普段は坂木司や辻村深月のような日常系のミステリを好むのに、このシリーズも中学生の時から繰り返し読んでいるらしい。お気に入りは「カンタン刑」)
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・「あしたは戦争 巨匠たちの想像力〔戦時体制〕」(ちくま文庫)は「企画協力 日本SF作家クラブ」とあるアンソロジーである。副題に「巨匠たち」とある。確かに錚々たるメンバーが並ぶ。古いところでは江戸川乱歩「芋虫」がある。これをSFと読むべきかどうかはこの際気にしなくて良いのだらう。更に、ここではこの作品のグロテスクな雰囲気よりも、その背後にある戦争が、戦時体制が問題なのであらう。さう読めばさう読めるし、もしかしたらさう評価されてゐるのかもしれないが、個人的には乱歩は乱歩であると思つてしまふ。あまりさう読む気はしない。編者としては是非これを入れたかつたのではと想像はするものの、それゆゑにこれは違和感を覚えさせる選択である。それでも銃後のとすれば何とかいけるかとも思ふが、乱歩は乱歩、やはりここに入れない方が良いのではないかと思つてしまふ。これ以外は副題から外れてはゐない。 SFでもあらうし、戦時体制でもある。おもしろい。
・収録作10、小松左京に始まり星新一に終はる。副題にふさはしい巻頭、巻末である。この中で私が知つてゐたのは乱歩と筒井康隆「東海道戦争」だけである。筒井は関西と関東が戦争を始めるといふ物語、原因不明、最後はスプラッターである。血も肉も飛び散る。しかしそこは筒井康隆、全く凄惨ではない。厭戦気分が漂つてゐるのかどうか。解説で田中美奈子氏がいふ娯楽としての戦争(454頁)を笑ひ飛ばしてゐるだけであらう。田中氏は「本書の収録作品は、血も湧かず肉も踊らない。爽快感とは無縁なのだ。」(455頁)と書く。そして「どの作品にも深い厭戦気分が埋め込まれている」(458頁)とも書く。さうか、さういふ読み方をするやうにまとめられたアンソロジーであつたかと思ふ。乱歩でも筒井康隆でもさう読めるとは思ふものの、ちよつと違ふのではないかと思ふ。それに対して、最後の二作、荒巻義雄「ポンラップ群島の平和」と星新一「ああ祖国よ」はかなり明るくのんびりした雰囲気を持つ。戦時体制下だとしてもそれを感じさせない。前者は文化人類学的な婚姻と贈与に関はる擬似的な戦争であり、しかもそれが異星の明るい南国(?)で行はれてゐることが、その雰囲気を強くする。それゆゑに、本書中で最も好印象の作品であらう。しかし、最後の語り手の言から実は厭戦気分で書かれたものと知れる。星新一も明るく楽しい作品であるが、こちらにはちよつとした毒がある。いや、毒と言ふほどのものではない。戦争に対する、あるいはもしかしたら平和に対する皮肉、シニカルな眼差しとは言ひすぎか。物語はアフリカの独立したての小国がなぜか日本に宣戦布告をするところから始まる。かの国の海軍は、遠路はるばる40日をかけて漁船とさして違わない軍艦2隻でやつて来る。日本政府は対応に苦慮して敗戦処理、賠償金支払ひ……では終はらずに、次は太平洋の小島国が……といふわけで、この先、どこまでも敗戦処理が続くのであらう。これを厭戦気分といふものかどうか。私には分からない。ただ、この軽い皮肉も、受け取り方によつては相当に強烈なものとなる。実際、戦時体制である。巻頭の小松左京「召集令状」は、ある日突然召集令状が届く物語である。その結果、受取人は訳も分からずに消えていく。これは恐ろしい世界である。戦時体制であるかどうかにかかはらず人が次々に消える。逃げても無駄である。必ず消える。かういふ作品ばかりであれば「深い厭戦気分が埋め込まれている」と言へる。私にはさうは思へないのだが、しかし、このアンソロジー自体はおもしろかつた。今少しうまくまとめてあればと思ふばかりである。
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手塚治虫作品が読みたくて借りる。
小松左京/筒井康隆両氏の作品が印象的。
SFは好まないジャンルなので小松左京作品は読んだことがなかったが、「召集令状」は秀逸だった。
筒井康隆氏もはじめて読んだ。
テンポよく、面白おかしいが、強烈に恐ろしい。
あっという間に読んだ。
この2作だけでも十分だった。
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いろんな作家さんたちの、戦争にまつわる短編集。好きなものもあれば、そうでもないものもあり。筒井康隆はやっぱり表現が苦手。星新一は鋭いが後味が軽い。手塚治虫と江戸川乱歩はやはりもう別格だと再確認。好きだったのは2話目の異次元からの電話のやつ。人の行動は、思想よりも人情に基づくべきなのだ。
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召集令状 / 小松左京 著
戦場からの電話 / 山野浩一 著
東海道戦争 / 筒井康隆 著
悪魔の開幕 / 手塚治虫 著
地球要塞 / 海野十三 著
芋虫 / 江戸川乱歩 著
最終戦争 / 今日泊亜蘭 著
名古屋城が燃えた日 / 辻真先 著
ポンラップ群島の平和 / 荒巻義雄 著
ああ祖国よ / 星新一 著
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戦争関係の短編集 江戸川乱歩の「芋虫」は、圧巻だね。戦前(太平洋戦争直前)に書かれた海野十三の作品も面白い。
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米国の大統領は基本、軍人。その5、60年代SFはほとんどが戦争テーマか、戦後の荒野が舞台だったが朝鮮戦争の講和懇願、ベトナムからの撤退で敗者の明察が含まれるようになった/日本に戦記物SFは少ない。が日本SF御三家は戦争を銃後で体験した世代。思春期に価値が逆転したルサンチマンが生んだ『東海道戦争』は裏に米軍に行使される恐怖。星作品は何もしてくれない米軍。小松は戦争の日常性。解説の斎藤美奈子は平成28年時点で「ひたひたと押し寄せる戦争」と現状を見る、平和主義でいたから隣国に侵略され財産人命を奪われているのに。
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乱歩から筒井・星先生まで、既読のものも有るが、「東海道戦争」などは多分40年以上前(当時は関西という地域さえ良く知らなかった)に読んだものだが、実に現代にもマッチしている。今のシン・コロナ騒動を見ていると、当時から日本社会の空気に支配された感覚を筆者は風刺対象として感じていたし、21世紀の日本もその状況は全く変化していないと感じる。「ああ祖国よ」は収録を見ると読んでいるはずなのだが記憶にない。この短編は今読んでみれば判るが、少年には早いから記憶に残っていないのかもしれない。汨羅の淵に波騒ぎだの、七生報国だの、千人針だの小学生では訳が分からなかっただろう。他の作品(特にSF)も、当時よくこんな発想が出来たものだと感心しつつ、面白く読んだ。この「巨匠たちの想像力」シリーズは良さそうだ。他の巻も読んでみたい。
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日本のSF作家による戦争をテーマとした短編のアンソロジー。その多くが、いつの間にか冗談のようにして始まる戦争をテーマにしており、より若い世代による『隣町戦争』にも同じテーマが連続していることを考えると、良くも悪くも「どこかで誰かが始め巻き込まれるもの」が日本人の多くに共通する感覚なのだろう。そこから一歩先に進んだものを描けるかが、ずっと課題なのかもしれない。
そうした中で小松左京の「召集令状」(1964)は戦後平和を謳歌する若者たちの下に戦前からの置手紙のような赤紙が届き始めるというあたりにぞっとする不気味さを感じさせる。そしてなによりも1929年に書かれた江戸川乱歩「芋虫」がえぐりだす人間の残酷さ。
しかし戦争というテーマに関してはむしろここ近年の若手SF作家たちの方がより切実感に満ちた作品を発表しているのではないか。このアンソロジーは、むしろ戦後日本の戦争イメージの貧しさを示しているともいえそうだ。