紙の本
芥川賞作家の柴崎友香氏の不思議な雰囲気をもった小説です!
2020/06/14 11:27
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『春の庭』で芥川賞を受賞した柴崎友香氏の作品です。同書には、夕陽と川べりと工場街を背景にした静かな世界が描かれています。しかし、癒し系ではありません。セピア色の「昭和」といった感傷にひたりたくなりますが、それとも違います。どこかピリピリしたものが感じられる作品です。同書は、掌編を20ほど連ねて、小学校から中学、高校へと至る思春期女子の姿を、ときに時間軸を前後しながら描かれています。場面は学校の教室や登下校が中心で、いかにも何もなさそうな世界ばかりで、実際たいしたことは何も起きないのすが、読んでいると何か落ち着かない気分にさせられます。不思議な雰囲気をもった小説です。ぜひ、読んでみてください。
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この作者なら他にもっといいのがあると思うのですが
2020/04/18 19:52
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまり面白くたかった。文章が片言の様だ。それが独特の味なのだろうが。物事に対する独特の感覚は好きなのだが。解説で三浦雅士が絶賛しているが、この作者なら他にもっといいのがあると思うのですが。
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初期からのファン
2016/09/12 18:08
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投稿者:スミテン - この投稿者のレビュー一覧を見る
デビュー作からのファンなので、偏りはあるかも知れませんが、良いです。日常を非日常として作品にするのでなく、常に非日常の中の日常を描き1つの世界として作品にしているような。だから読み手としては、ただの日常の出来事を読んでいるはずなのに面白い。書き手である柴崎さん自身は意識しているか、していないかわかりませんが、もし意識していないのであれば、とても生きずらい自分の人生の居場所を見つけるのに難しい人だったんじゃないかな?と勝手に思ってしまいます。だから小説家になったは必然とも思えます。雑誌等の細かいインタビューなどは一切読んでないので、本人の事や作品の描き方等の情報はわかりませんので、本当に勝手な想像と感想ですが…
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パラパラマンガのような青春の記録
2016/08/07 23:50
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公の10歳から19歳のとある一日を20個切り取った連作短編集です。
10代の頃の記憶の中には、何でもない日だったのになぜか印象的だった、みたいな日もあると思います。「ビリジアン」の中にはそういうリアルな描写が多くて、盛り上がるわけでもないのになぜか文に目が吸い寄せられました。行動原理は不鮮明なのに、気温や物の色はやけに鮮明で、誰かの記憶を薄く切り取ってランダムに覗き見たような新しい感覚の本でした。斬新。
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なんとも言えない。淡々と語られる10代の記憶。何が見えていて、何が見えていないのか。思えば友達や先生、何故かロックスターは登場するものの、両親は一度も登場してない気がする。
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想像だが、何かの節目に主人公は我が身を振り返ろうと思い、何気なく思い出した記憶をその都度書き留めていったのだろう。その主人公の「記憶日記」とでもいうようなものがそのまま小説になっている。
現在の時点から過去を回想する物語はたくさんある。さらに、そのような小説では冒頭かどこかで回想行為の動機なり理由が語られることが多い。しかし、本書はそういう形式を取らない。回想される過去は断片的で順不同だし、過去を語る理由が述べられることもない。その意図は、本書の狙いが「自分を確認する行為そのもの」にあるからではないかと思う。すでに確立した自己や自分の哲学を語るために過去を持ち出しているのではない。考えてみれば、過去の回想はふとしたときに自然と起こることが多いし、思い出される記憶も時系列に並んでいるなんてことはない。そのような自然に起こる回想と同じ形式に本書はなっている。そうすることで読者は、主人公の「整理のついた過去」ではなく「整理している真っ只中の記憶の断片」を見ることになる。つまり、主人公が過去の中に自己を見出す作業をしているのを、現在進行形で共有しているような感覚になるのだ。小説を読んでこんな感覚になったのは初めてである。その効果はじわりと効いてきて、所々で主人公と自分の記憶が重なってなんだか懐かしい気持ちになり、封じていたいような記憶も含めて自分を肯定してやってもいいのではないかという前向きな気持ちが湧いてくる。読者である私たちの記憶とリンクして、気づかぬ間に内面に深く染み込んでくるのだ。これは言いようのない感激だった。他の作品ではなかなかないような味わいだと思う。
この小説は、どんな記憶でもそれは自分を唯一無二たらしめるかけがえのないものであると教えてくれる。そして、自分を肯定してよいのだという温かい気持ちを起こしてくれる。自分を見失いそうなときに何度でも読みたい本である。
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雲のなかを走っているようだった。ふわふわしているけど、疾走感が溢れる。善く生きたいですに動揺したら、また出てきた
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走馬灯。この小説をひと言で言い表すならこの単語が相応しい。視点は一人称、時系列はバラバラ、他者への感情移入はほぼ無し、10代の日記を思いつくままに並べたような小説だ。ティーンエイジャーならではの喜びや悲しみ、仲間と敵の区別、大人への畏れと蔑み、身近に存在しない者への親近感、摑みどころのない自分に対する不安、痛みを感じている自分への距離感…。子ども時代を走馬灯のように描くことで、主人公の少女そのものを描いている。自分という存在を振り返るとき、誰もが同じような記憶を呼び起こすのではないか。絵の具の12色の緑は、なんで緑でなくてビリジアンなんやろ、みたいな素直な記憶を。
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単行本で読んだときのほうが、本自体が記憶の話だとわかりやすかった。表紙も、記憶に強弱がつく感じとかも。だけど、文庫本の方が集中して読めた。こないだの滝口さんの本も、記憶の話はおもしろいと思って読める。
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まさに記憶ってこういう感じ。
ある意味夢の中の世界のような。
事実とは異なって記憶の中で書き換わってるってこともあるよね。いるはずのないジャニスやリバーやらマドンナがポッといたり。しかも話す言葉は大阪弁(笑)
色も妙に原色じみていたり。
あと、なんか情景描写に親近感を感じるなぁと思ったら、著者とは世代的に近いみたい。関西に育ったってのもあるし。
読み終わって、はぁ面白かったってわけではないけど、嫌いではない。そんな感じ。
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色彩と外人と10代の記憶を詰め込んだエッセイのような空想・妄想も絶妙に絡まるストーリー。
途中でサラッと衝撃告白があり、それにより最後の2編あたりはぐっときたし、なぜこのタイトルにしたかも理解すると切なく深い。
これの書き手の本当のシチュエーションは明らかになっていないが、この手の小説なのでそこは読者の想像にお任せします、なのだろう。
なかなか面白かったし、この著者の文才を感じた。
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文学ですね。
大阪の少女の小学校から高校時代の記憶が、それぞれ数ページの文章でで順不同に語られる。8㎜で撮影された日常風景を、思いつくまま再生した感じ。そこに何かのイベントや転機があるわけでもなく、ただ淡々と丁寧に。時折奇妙な心象風景が混ざりこんだりする。
鮮やかに主人公の少女・山田解の姿が浮かび上がる。
しかし、それだけなんですね。何か特別な主題のようなものは感じられない。山田解は柴崎さんの記憶のようでもあり、そうなると一種の私小説ですかね。だから純文学。
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大阪が舞台という事で前々から気になっていた作品。
著者と同世代で同じく大阪育ちなので、10代の主人公・解の目を通した大阪の街の当時の様子を懐かしく思い起こせました。
1本10ページ程度の短編集で、時間軸はバラバラ。
その構成が解の記憶のあやふやさを際立てていると思います。
唐突にリバー・フェニックスやマリリン・モンローが大阪の街に現れて、大阪弁で解と会話しているところあたりも、記憶というよりは空想なのかなと。
特にこれといって大きな事件が起こるわけでもなく、主人公も仲良く遊ぶ子はいるけどクラスでは孤立しがちで……といった、まあ平凡と言える人物なので、大阪という土地に愛着のない人には入っていきにくいかも。
個人的にはノスタルジーをたっぷり味わえて気持ち良く読めました。
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非常に難しい作品でした。
1つ1つの章は独特の目線と周囲との調和を気にしない一風変わった女の子のエピソードなのですが、全体を構成する意味、時折登場するアーティスト、前後する時制など、解説を読まなければ消化できませんでした。
少し時間が経ってから再読する必要があるかな。
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色縛りの連作。
実は緑よりも赤のほうが登場している印象あり。
というのは、地の文が「微温的緑」のままだからこそ、火や火事や血や夕焼けの赤が衝撃的なのだろう。
そいえば語り手も相手も結構熱い台詞を吐いている(どうやったら、ら、かっこよくなれるんかなって、とか、意思があればどこにでも行ける、とか)。
緑と赤の落差、微温と熱の落差、が本全体を不穏にしている。
そして、やはり文体の凄まじさ。
徹底的に過去形しか使わない「寝ても覚めても」と同じ系列だ。
そしてまた、記憶。
決してその時期だけにフォーカスしているわけではなく「その数年後にこうなったからこのときはこうだった」といった行き来も、なきにしもあらず、なので、視点が浮遊しっぱなし。
それが緩さではなく凄みに達するのが、文体の効果ということか。
さらにまた、生活のディテール。
どうしてそんなものに着目して記述できるの、という驚きが、さりげなく組み込まれて、唯一無二の読後感を引き出す。
唐突に出てくる海外ミュージシャンがだいたい関西弁で気さくなのは笑ってしまう。