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- カテゴリ:一般
- 発売日:2017/09/22
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/171p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-381222-7
紙の本
アナログ
著者 ビートたけし (著)
全てがデジタル化する世界で悟とみゆきが交わした、たったひとつの不器用な約束。素性も連絡先も知らないまま、なぜか強烈に惹かれあう2人の「アナログ」な関係が始まり…。誰かを大...
アナログ
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商品説明
全てがデジタル化する世界で悟とみゆきが交わした、たったひとつの不器用な約束。素性も連絡先も知らないまま、なぜか強烈に惹かれあう2人の「アナログ」な関係が始まり…。誰かを大切にするとは何かを問いかける恋愛小説。【「TRC MARC」の商品解説】
たけしがたどりついた“究極の愛”。狂暴なまでに純粋な、書下ろし恋愛小説。「お互いに会いたいという気持ちがあれば、絶対に会えますよ」すべてがデジタル化する世界で悟とみゆきが交わした、たったひとつの不器用な約束。素性も連絡先も知らないまま、なぜか強烈に惹かれあう二人の、「アナログ」な関係が始まった。いまや成立しがたい男女のあり方を描き、“誰かを大切にする”とは何かを問いかける渾身の長編。【商品解説】
なあ、誰かを大切にするってこういうことだろ? ビートたけしが行きついた「究極の愛」。暴力的なまでに純粋な初の書下ろし恋愛小説。【本の内容】
著者紹介
ビートたけし
- 略歴
- 〈ビートたけし〉1947年東京都生まれ。芸人、映画監督。テレビやラジオの出演、映画や出版の世界などで活躍する。著書に「新しい道徳」など。
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紙の本
そういうこと。実感
2017/10/17 09:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
デジタルが横行しているこの時代に「ちょっと急ぎすぎだろ。すこしのんびりいこうぜ」と語りかけつつ、喜びや嬉しさ、また幸運を願う昂揚感を思い出させてくれるステキな1冊。男友達の会話に下ネタが散りばめられているのは、その友達がきっとたけしさんで真っ向から励ましたり、慰めたりが恥ずかしいから照れ隠しでこんなこと言ってしまうんだなってことが伝わる。みどりと悟の出会いからの関係性に私自身常々考えていたことがみごと顕れていて、悩みながらも進んでいる道に誤りがないことを確信。そういうことだよね。ありがとう、たけしさん。
紙の本
たけし作品
2021/01/05 15:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KEY坊 - この投稿者のレビュー一覧を見る
たけし作品には哀愁があり、大好きです。この作品は表紙もおしゃれで気に入って購入しました。
電子書籍
恋愛小説というより、友情小説
2018/12/30 11:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はるりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
喫茶店で、木曜日に逢えれば逢いましょう、という設定は、携帯が普及した今では、アナログだし、ちょっとロマンを感じました。
そのロマン感じるふたりを、冷やかしながらも見守っている男の友人達の会話とかが、面白い。そこは、さすがたけしさんだなぁと思った。
ただ、デリヘルとか、風俗関係の下ネタも多くて、そこは引いてしまいました。
一応、女性なので。
最終章の畳みかけがね、なんだかなぁと言った感じ。
女性のためにそこまで出来るものだろうか?とは、思うものの、恋にはそういう力があるのかも。
なのでそれはまだしも、友人のためにそこまでする?
というか、そんな友人いたら凄い。なので、友情小説。
肝心の女性の気持ちは、置いてけぼりだし、私が彼女の立場だったら、引け目しか感じない。
紙の本
新潮社の汚点
2017/11/06 06:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ライバルの文芸春秋が、又吉直樹で大ベストセラーを生み出したのに刺激されて、それじゃわが社も、と文芸出版の老舗がビートたけしを引っ張り出して「ピュアな恋愛長編小説」として売り出したものの(多分)、新潮社の社名を穢しただけの代物となった。
新潮社の編集者は、”世界のたけし”に恐れおののいてか、小説作法のイロハを教えていないらしい。たとえば30代のオヤジは、三人とも安っぽい涙のオンパレードで、昭和初期の少女小説の登場人物顔負け。三人ともそういう安易な造型で終始するので(つまり生きていないので)、読者も「まさか、こんな場面で泣くの?」と白けてゆく一方。たとえば、新幹線の中で母親を想って号泣し、驚いた隣の乗客が席を立った、などというシチュエーションは我々の現実生活の中では起こりえない。本当に号泣したいほど悲しみに突き動かされたら、一人デッキへ向かうだろう。それが、大人の分別というものではあるまいか。さらに、人間は本当に悲しいときは、必ずしも号泣したりはしないものだ、という程度の指導は、編集者の責務なのではないか。なぜ、この部分だけでも書き直しさせなかったのだろうか?
せっかく、デジタル時代にアナログ情緒を持ち込む、という着想を得ながら、登場人物が生きていないため全く小説にも何もなっていないまま出版したことは、新潮社出版史の汚点以外の何物でもあるまい。あまり読者をバカにしなさんな、と言いたい。