紙の本
拓人君が抱きしめたくなるほどかわいい
2021/03/28 21:25
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いい作家の描く子供は抱きつきたくなるほどにかわいい、この作品の拓人もそんな子供たちの一人だ。拓人は小さな生き物と話ができる、ヤモリ(ヤモリン)やカエル(葉っぱ)や蝶々、私も子供のころ動物と話ができたのだろうか、小さかった頃の私は誰か友達と遊んでいるよりも一人で冒険にでかける(といっても、今から考えると実家から大人の足で10分とかからないご近所周りをうろついていた程度のことなのだが)ことが好きだった、なぜかいつも年上の従姉にもらった小学1年生の国語の教科書を携えて。そして、あちらこちらで寄り道をしてくるから何時間もかかる。こんな時、ひょっとしたら、途中でテントウムシと会話を交わしていたのかもしれない。今でも、砂場で独り言を言って小山を作っている子をたまに見かける、小さな動物と会話しているのかもしれない
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久々の江國香織。そこそこ長かったけど、5日で読み終えた。虫と会話する拓人、小2にしては言葉遣いがしっかりしすぎている育実。江國作品には浮気や不倫が日常茶飯事のように出てくるけど、耕作の態度には腹が立った。ちょっと奈緒に同情もするけど、あんな母親は嫌だなとも思ってしまった。千波と家族があのあとどうなったのか気になる。
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思ったより呆気ない終わり方。気がつくとひらがなだけの言葉が漢字が混ざって変わってしまったんだな、と思った。
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幼いころ、世界は家と学校の半径数百メートルで閉じていたこと。教室とクラスメイトという狭い社会がなにより重大だったこと。子供のときの、寄る辺ない孤独を思い出させるような、小説だった。
後半、拓人の視点で書かれているにも関わらず、突然文章は他の部分と同じ、漢字混じりのものに変わる。それがひとつの確かな別離を表していることは明らかだ。同時に彼はべつのものを獲得していて、それが成長というものであり、どうしようもないと分かってはいるけれど、その事実に切なくなるのをおさえられなかった。(当然のことだけれど)拓人自身にその自覚がないからなおのこと。「小さい頃は神さまがいて」という、松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」のフレーズを思い出した。
そして、姉弟の母親、奈緒の視点では、「嘘なんてつかないで、愛しているならどれだけ残酷でもほんとうのことを教えて」と、「愛しているなら騙しとおして、幸せだけを見せて」のあいだを行ったり来たりするその不安定さが恋愛ということを痛いほど感じさせられた。
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淡々と日常が描かれているんだけど、細かい心情が伝わってきて、気付くとあーこの感情。。と切ない気分になった。(不倫されている妻、している夫の心情なので)
どうにもやりきれない切なさを感じつつも、純粋無垢な子供の世界観を思い出させてくれる。
本当はどこにでもあるような日常を、やりきれない思い、言葉では言い表せない感覚を本にした感じ。
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これ素晴らしい。
音、オト、言葉、気配、意識、声、気持ち
どれも同じでどれと違うことがちゃんと表現されている
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2018/04/01
言葉って何だろう。
言葉は、果たして本当に意図するもの通りに伝わっているんだろうか。
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世の中には様々な人が暮らしていて、それぞれの日常を生きています。このお話も、ある家族とその周辺の人々の日常の一場面を切り取って、同時並行で進んでいきます。中でも気になるのが、幼稚園児の男の子。彼は人の世界にはあまり馴染めないでいるのですが、それでも五感で世界と繋がっています。もちろん、幼子がみなこのような感性を持っているとは思いませんし、むしろ小説の中の特殊な子供であるには違いありません。それでも、この男の子に心惹かれてしまいます。
このお話の展開に、なぜこの子の存在が必要なのかを考えると、日常の些末な出来事など、どうでもよいことのように思えてきます。生き物としての幸福とは、いったい何なのだろうと考えさせられたりもします。人の世の喜怒哀楽なんてものより、もっと素直に世界と繋がることができれば、この世はとても美しいと感じられるのではないかなぁ、なんて。
でも、現実の世の中は、いろんな人がたくさんいて、様々な感情を抱きながら、素知らぬ顔で日常を生きています。ありのままを受け入れることができれば、世界は思いのほか単純明快なのかもしれません。何やらややっこしくしてしまっているのは、人なのかも。人間って無駄に複雑で、素直な生き物じゃないですねぇ。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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江國香織らしい世界。
言葉の遅い男の子、たくとはムシやヤモリと通じ合え、言葉にしない人の気持ちを感じ取ることができる不思議な能力をもっている。
ちょっと変わった子供たちと外に彼女がいるとわかっていても夫の帰りを待ってしまう母親。
子供の頃のことを少し思い出しつつ、母親の気持ちもわかるような気がして、読みながらいろんな思いが錯綜したが、最後はたくとも普通の大人になったようで、意外とあっさりした終わり方。
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虫や小型動物と話せる幼児「拓人」、その姉、母、父、近所の霊園の墓守、隣に住むテレビの音量の大きな独り言老婆、ピアノ教室の先生、その母、父の浮気相手
それぞれの視点で描かれる日常の風景
いや、もう感想は解説で書かれてあるところとほぼ一緒なので書かなくてもいいくらい
特徴的なのは拓人のパートはひらがなで書かれてあるところ
ただ、幼児の言葉ではなく大人のそれと同様の思考
それでいて感覚は、「いる」「いない」の基準など拓人独自の感性で描かれる
他者との関係性、生き物とのつながりによって自分の世界も変質していく様は読んでいて不安になるのと、逆に安心感もある
特に最後の4行では「おいぃぃぃぃぃぃ!これまでのは何だったの?!」って思うのと、「普通じゃん!」って思う両方の感想
しかしまぁ生き物の声が聞こえるなんて設定は辻仁成との企画みたいだね
個人的にはファンタジー要素はない方が好きなんだけど
そして周りの人たち
姉はしっかりしすぎじゃない?
小2というのは説得力がないなぁ
でもまぁ拓人と同じように特殊な能力でもあるのかね?
そして何より母の奈緒さんが怖い
怖くしているのは旦那さんでもあるんだけど
存在していないことにするという発想がアレである
浮気相手の思考は、これまで読んできた江國香織の小説の登場人物の中と比べて違和感を感じない
世間一般とは違うんだろうけどね
この小説、万人受けはしないし、映像化すると絶対にどこか陳腐なものになってしまう気がする
小説というカタチだからこそ良い作品
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江國香織の本は、昔 「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」を読んでいて、なかなか面白い作家さんだなという記憶があったので本屋で平積みになってるのを見つけて読んでみた。
登場人物がそれぞれの目線で感じることを書かれているので共感するところもあり、へぇ~と思う所もあり。
特に、ほぼ主人公の幼稚園児が感じる世界は人間の言葉はほぼ音としか捉えられず、ヤモリ等の生き物と会話ができる。
ほんとに会話できてるのかは怪しいものだが、小さい頃は感受性が強くて、そんな感覚に捕らわれる人も多いのではないだろうか。
ストーリーとしては、そんなに面白い内容ではないが、個人的には好きな作家さんです。
本好きでないと人には薦められないですけどね。
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幼子が見ている世界と、複数の大人たちの心もようとが交互に描かれている。色とにおいと心のことばに満ちている幼子の世界は、友達と遊ぶ楽しさを知るという成長により魔法のように消えて、この小説も魔法のように消える。
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どこかディスコミュニケーションな一家。自閉症気味のタクト。タクトの母、夫に浮気されている奈緒。無自覚に不誠実な奈緒の夫・耕作。隣家のテレビおばさんに、墓地で働く児島。見た目はおそらく普通すぎるほど普通すぎる人なのだろう。だけど、彼ら彼女らは自分の内にこもりすぎていて、簡単に言ったら「言葉が通じない」人たちで世界が閉じていて歪だ。
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最初は図書館で確か、借りて…その後、文庫本で買う…という、わりと良くあるパターン。
真雪。はどうなったんだろう…がまずは気になるのが、正直なところ。
さて、それ以外を…。まずは本書は、谷崎潤一郎賞を受賞しているとのこと。だから、どうだ?というのではなく…でも、評価されてる作品だということ。それは…やはり、5歳の拓人が見る、世界をつぶさに描いている部分だろうとは思う。その他は、江國ワールドあるある…な登場人物と話の流れだから。
季節は春から冬のはじめ…かな。話の流れがない、と言われがち?な江國ワールドは、私は季節で流れを感じます。葉桜の時期から始まり、ダウンジャケットを着て、シチューが献立になる季節で終わる。あ、だけど本書では、拓人は描かれている春から冬の時間の間に成長するし、他の登場人物にも状況の変化はあります。しかも、わりと沢山…かな。でも、あれからどうなった…は相変わらず書かれておらず、ですがね苦笑。
さて…他の江國作品とは違う、本書の特徴であるところの、子供目線から見た世界。後は、今のご時世だと?軽い発達障害?と見なされてしまいそうな拓人について、どう描写しているのか…。
作品中で拓人が仲間と出会う部分…自宅の壁に張り付くヤモリ。霊園で出会ったカエル。幼稚園やその他の場所で何となく?見かけるチョウチョ。あ、そしてピアノの先生のうちの庭!で出会う多様な虫たち。後は公園で見つけた、カエルの餌用のミミズ。生き物だけではなく、拓人は樹木にも生命の息吹を感じている。拓人が生き物と対話する場面では、拓人がおそらくしゃがみこんだ…地面から30センチ程の距離感で見つめている感じが伝わってくる。
拓人には余計な概念。というものを持ってないから、生き物も植物も、それどころか人間でさえ、ただソコニアルモノ。として認識されている。コミュニケーションは、互いの気配を感じ合う…といった感じ。言葉でのコミュニケーションより、それは多く使われているんだろうと。そして、言葉のコミュニケーションに日々、頼っている大人達からすれば、拓人は言葉が遅い、更に言えばこの子、発達障害じゃないの?と見なされるのであろう。
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言葉をあまり話さない幼稚園児の拓人。でも虫や動物と会話ができる。声には出さず心の中から語りかける。言葉だけのコミニュケーションではなく体全体を使って話す拓人が愛おしく思える。拓人の目を通した世界とその拓人を見る大人の世界の隔たり。虫と話し愛でるひとつひとつの仕種、言葉が伝えてくれるもの。言葉以外のものが伝えてくれるものが詰まっている。