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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公のハックルベリー(通称ハック)はやさしい。悪人であっても見殺しにするのを忍びないと思うところ、関係のあった人に害が及ぶことを心配するところ、とてもやさしいと思う。ジムを逃がすことがミス・ワトソンへの裏切りであり、とても悪いことだと思いながら、「よしわかった、ならおれは地ごくに行こう」と決心するところは、とてもカッコいい。ジムを優先して自分が悪人に、任侠のようだ。。
後見人が必要な年齢であること、17章で「ただの子どもです」と名乗ったこと、ひらがなが不自然に多い文章の書き方から考えて12~13歳くらいだと思うけれど、一人でボートに乗ったり、いかだを出したり、川で釣った魚で朝ごはんを作ったり、生活能力がとても高い。いかだに乗った気ままな旅、憧れるけれど、冒険をするなら、機転がきいて、生活能力が高く、人情に厚い人になる必要があるようだ。私にはちょっと無理かも。でも、いいなぁ。
アメリカ文学最重要作品を柴田元幸訳で
2021/12/28 13:58
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカ文学最重要作品の一つとしていい「ハック」が柴田元幸訳で読めるというだけでアメ文ファンはほっておかないだろう。また知っているようでリライトされたものなどを通して知っているつもりというだけの人も多いので、やはりこういう作品はきちんと読み通しておくべき。
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ハリエット・アンジェイコブズの『ある奴隷少女に起こった出来事』を読み終わった時、「そういえば、ハックルベリ―も同じ頃に書かれた小説じゃなかったっけ? あっちはどんな風に奴隷が描かれていたんだっけ」とふと疑問に思いました。ハックルベリーを読んだのは大昔のことで、ほとんど内容を覚えてないし、もう一度読み返してみようかな~、と思っていたところ、ブクログからのメルマガに「柴田元幸さん新訳版ハックルベリー」の記事が!
柴田さんの訳は大好きなので、うれしビックリ。
最近、こんな風に、本の方から私のところにやってきてくれることが多くて驚きます。
ハックは、夫と出会って間もないころに、夫が「好きな本」ということで岩波版(たぶん)を貸してくれて読みました。
でも、当時の私は全然おもしろいと思えなくて「トム・ソーヤーの方が好きかも」と思ったのを記憶しているだけで、内容については全然覚えておらず。
今回読んでみて、すごくおもしろいと思ったけれど、このおもしろさは当時の私には分からなかっただろうなぁ、とも思いました。理由はうまく説明できないけれど。
よく、ハックは「自由」という言葉と同時に語られることが多くて、以前読んだ時は、「えー社会の枠から外れているというだけで自由ってことになるかなぁ?」とピンとこなかったのですが、今読むと、ああ、確かに自由だなぁと思いました。
でもハックが自由なのは、もちろん、浮浪児で時間などに縛られていないから、ということではないと思った。
たとえば、既成の善悪の概念と、自分の心の奥の奥が本当に望むこととが対立した時。ハックはかなり悩むんだけれど、結局自分の心の方を信頼して任せていきます。結果とか自分の保身とかまったく顧みず、心に従うってなかなかすごい。
社会通念って、けっこう体にしみこんでいるもので、人はなかなかハックみたいに自由にはなれないよなぁ、と思います。
さらに、考え方の違う他人に対しても自分の考えを押し付けないで、無理のない程度で適当に話を合わせてあげたりするところも素敵でした。自分自身にすらとらわれていなくて、お、本当に自由でいい男なんだなぁ~と思います。
逃亡奴隷のジムとは、最初はお互いの必要に迫られて、たまたま一緒に旅をするはめになるのだけれど、実は2人は同じ価値観を共有していて、すごく馬が合うんだってことが、物語が進むにつれ、ゆっくりじわじわと分かってきます。2人とも、お互いの良さをちゃんと理解している。そういう友情の部分も素敵でした。
ところで、読む前に気になっていた奴隷制度と奴隷についての描かれ方ですが、執筆された時期はハックの方が遅くて、『ある奴隷少女に起こった出来事』発表よりも20年くらい後。
でも、まあ、ほぼ同時代のものと言ってもいいのかな。
奴隷少女が書かれたであろう時期とハックが書かれるまでの間には、奴隷解放宣言や奴隷の市民権などを認める憲法修正14・15条(=1870年あたり)という歴史的大事件が挟まれていて、その前(=奴隷少女執筆時)と後(=ハック執筆時)とでは黒人たちの意識はかなり違っただろうとは思いますが、社会全体���しては(特に白人の意識は)そんなに変わらずだったと思われるので、そういう意味で、ほぼ同時代かと。
ということで、時代設定はどちらも1830~40年代とされているので、その頃の白人から見た奴隷制と、黒人側から見た奴隷制って感じで、両者の視点の違いとか立場の差をあくまでも娯楽として読み比べました。双方に黒人コミュニティについての描写がありますが、視点が裏と表、という感じで(あるいは中からと外からの視点)、とても興味深かったです。
そして、ああやっぱり同じことについて、程度の差はあれ、同じように不当だと訴えているんだなぁ、という印象を持ちました。
特に、所有者の状況が変われば簡単に夫婦や親子が引き裂かれてしまうという制度の非情な側面について、片方は自身の体験として、もう片方は架空の少年の冒険譚として、両者ともそれぞれのやり方で、かなり力を入れて強く思うところを訴えているように思いました。
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浮浪者ハックの冒けん物語です。
『トム・ソーヤの冒険』で、トムとハックはカネもちになり、ダグラス未ぼう人がハックを息子として引き取ることになります。ハックは“はじめは学校がイヤだったけど、そのうちにガマンできるように”なり、“未ぼう人のやりかたにもすこしずつなれてきて”、“あたらしいくらしもすこしは好きになって”(p34)きます。
私はハックの自由な生活に憧れていたので、これを読んで、ハックも普通の生活に馴染んでいってしまうのかと、悲しくなりました。けれど、その後色々とあり、ハックはジムと一緒にいかだの旅に出ることになります。ハックは何か事件があってもなんとかいかだに戻ってきて、“いかだの上は、すごく自由で、気ラクで、いごこちがいいのだ。(p211)”と感じます。私の憧れていた、自由なハックが戻ってきて嬉しかったです。
物語の後半で、都合よくトムも登場してきます。トムは、ジムを救うため、“いろんなこんなん、ぜんぶこっちがつくらなきゃなんないんだから。(p432)”と言い、簡単なことをわざわざ難しくしています。それは、“冒けんしたかったから(p522)”でした。
解説で、ヘミングウェイのようにこの茶番劇は読まなくていいという意見まであると書かれています。けれど、私はこの茶番劇が大好きです。トムはどんなことを考えてどんなことをするのだろう、とわくわくしながらおもしろく読みました。トムのような考え方をしていれば、色んなことが楽しくなりそうです。
ハックは浮浪者で、ジムは黒人で、身分としては高くないのかもしれません。でも、二人とも物語全体を通して人柄の良さが表れていて、大好きになりました。
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訳も自然で読みやすいし、解説も分かりやすいし、イラストも当時のままを載せているとのことで、すごく良かったです!ハックっていい子だね。
ジムが娘のエリザベスを誤解から叩いてしまってひどく後悔している逸話が印象的だった。150年くらい前の話だけど、人間ってそう変わるもんじゃないんだね。
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日本では「ハックの冒険」より「トムソーヤーの冒険」の方が有名ではないだろうか? にもかかわらず,オールタイムベストの類に選ばれているのは,かならず「ハックの冒険」の方である.この認知度(日本での)と評価のずれは,一体何なのだろう? とかねてから不思議に思っていたのだが,そこに鳴り物入りで柴田元幸訳の本書が登場したので,読んでみた.
ハックはまともに教育も受けていない,なかば浮浪児であるが,そのハックが自分で書いたという設定が絶妙で,ハックのたどたどしい文章を通じて,彼の冒険の数々が生き生きと浮かび上がる,また冒険の道連れとなった逃亡奴隷のジムも当然ながら無学で,この二人が様々なトラブルに巻き込まれる道中が,そしてそれに対する二人の心からの反応が,彼らの周りの一見立派な世の中の矛盾を浮き彫りにする.
あとがきによればヘミングウェイは最後の10章分は読まなくていいと言ったというが,まあ,ここは必要でしょう.
で,最後になったが,何よりも翻訳が素晴らしい.本書の魅力はハックが書いたという設定の,誤字だらけで平易な単語しか使っていない文章にある.それを平仮名ばかりで「読みにくいの一歩手前」で訳した翻訳者の力量は,本当にすごいと思う.
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なんてこってしょ!
ハックとトムの物語が、こんなに魅力溢れる本だったとは知らなかった!
子どもの頃から何かのおりに、トム・ソーヤーや、ハックルベリー・フィンの名は聞いていて、そうか、男の子のロマンなのかな?くらいにしか思っていなかったし、2人が友だち?悪友?だったって事も知らなかった。
柴田元幸さんの肝入りの翻訳というのと、この素敵な装丁に惹かれて読んだのだけど、とんでもない冒険しちまったよ!ってな感じ。
ハックは、現代ならば、DV親父の下で暮らす貧困児童。
でも、彼らの時代はそんな言葉はなく、ハックの自由さに驚くばかり。
父親がダメなこともよくわかってるし、関わりたくないのだけど、善良な叔母さんたちに躾られるのも真平ごめん!
そして、巧みな、男の子らしい計画によって、島を抜け出し、いかだに乗って自由な旅に出る。でも、図らずも自分の叔母さんのニガーと出会い、叔母さんのニガーを盗むなんて、いけない事だと思いながらも、ニガーのジムを大切な友人として2人で自由へと冒険して行く。
フィンの目的はただの冒険と自由でなく、とりあえずはジムを自由にしてやる事に変わってゆき、ユーモアたっぷり、冒険たっぷり、いろんな大人たちに巻き込まれながらミシシッピ川を下ってゆく…
おかしな公爵だか王だかというペテン師と旅しても、ハックは誰よりも分別があり、知らずに身についた信仰もあり、本当に素敵な男の子の振る舞いをしてゆく。ジムのハックへの愛も素晴らしい。子どもの冒険を守るべく大人の存在として、愛のかたまりみたいだ。
そして、トムが現れる!トムがやって来てからのこの子たちのほんとにバカみたいな男の子の様子が、お腹を抱えるほどおかしくておかしくて…
でも、時々本当に切ない。
奴隷制度廃止運動が起こり始めたアメリカの社会を子どもの目を通して描かれている。白人たちはそれぞれにニガーを所有しているけれど、本当に奴隷として扱っているかというと、まるで家族のように暮らしていたりする。
ニガーたちの身分の低さが悲しいのだけど、ちゃんと愛も描かれていて、子どもの文学って素晴らしいなと思わせる。
どういう意図でマーク・トウェインがこの物語を書いたかは、柴田元幸さんが解説で詳しく書いている。ニガーという言葉に対しても。
そういう背景はともかく、本当にこのフィンの冒険を読めば、全て体感できる気がする。何が正しくて、何が悲しいのか。そして自由の身でありたいハックルベリー・フィンだけど、ちゃんと素晴らしい大人が周りにいて、行きて帰りし物語、子どもが読むにふさわしい物語だと私なんかは安心してしまった。
また、アメリカの男の子たちの無邪気なおバカさの原点も見た気がするかなー。私、ハリウッド映画が大の苦手なんだけどw
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あいかわらず、引っかかりがなくスルスルと入ってくる訳文だ。
難しい漢字が全てひらがなになっている。これは原作の文章の雰囲気を日本語的表現で反映しようとしたためとのことだが、ちょっと読みにくい(原作のスペルミスだらけの英語を読むときのネイティブも、同じように感じるのだろうか)。
ハックの大冒険の物語の詳細よりも、印象深く残っているのは風景の描写だ。筏で迎える川の夜明け、あらし、夜更けの航行の様子は、どれも目の前でハックの目線で見ているような気になった。どんな豪華な食べ物も衣服も、自由と空と川と森の美しさには勝てないのだろう、ハックにとっては。
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20年ほど前にたしか岩波文庫で読んでいたが、柴田訳で読みたくて再読。
読みながら、とにかく長いので、色々、深読みしたくなった。
例えば、この物語では、嘘や物語がかくも多用されるのか、とか。良心とは何か、とか。
読み終えて思ったのは、これはハックという子どもに託して、自由とは何かを書いた物語だった、ということ。
痛快の一言です。
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はったり少年のトムとは違った生まれ育った素養・環境ゆえか大人を見透かしているようで、でも嘘をつくのはうまくない正直者の姿。無頼漢のようだけど、まだ子供なのでそこまで頼りになるような存在ではない。その辺りのバランスの子供の姿を通して描かれるアメリカの時代や風景のみずみずしさが情景として目に浮かぶ。
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柴田元幸さんが、出来るだけ原著に忠実に、ハックの声を再現した翻訳で、ひらがなが多く最初は読むのに苦労しましたが、後半からハックの魅力全開で、どんどん読めました。
小説の舞台の時代も生活も人々の考え方も今とあまりにも違いすぎて、良心に従うことが必ずしも自分のやりたいことと一致しない現実に苦しむハックの姿は心が痛みました。しかし、困った事になると、次から次へとよくもこれだけ出てくると感心してしまうほどの言い訳や嘘八百が傑作で、何度も大笑いしました。また、黒人奴隷のジムが教えてくれる悪いことのしるしやおまじないなどもたくさん出てきて、一体ジムは何歳なのか、と思いました。ハックが女の子のフリをしていたのを見抜いたおばさんが確かめるためハックにいろいろやらせてみるのも楽しかった。
そしてハックとジムの名コンビぶりがなかなかよくて、ミシシッピ川を下るいかだの風景がずーっと読者の頭のはに流れるくらいになったところで、ハックが、自分は地獄に行こう、と決めるシーンはこの小説の白眉。ハック最高!とおもわずガッツポーズが出る。
トム・ソーヤのこだわりに付き合うハックとジムは本当にえらい。ラストで明かされる秘密もふくめて、読んでよかった!と思う作品でした。
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数年前に同翻訳者のトムソーヤを読んで世界観に引き込まれ、かなり楽しかった思い出があった。ハックの話も読みたいと思いつつ、単行本でやや高めの値段設定なので躊躇していた。しかし夏はやっぱり少年の話が読みたくなるよなーと思い満を持して購入!内容は期待を裏切らず、楽しめた。ハックもジムも現代に生きる私からすると耐えられないって思うような立場に追い込まれたりしているのに、お互いの存在が支えになっているのか、次々と道を切り開いていって、かなり勇気がいる選択もしている。愛すべき2人のキャラクターに敬意を感じる。
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ハックルベリーのお話を、子供向けの童話かなんかじゃないかと考えていらっしゃる方が多いのですが、果たしてそうでしょうか。
まあ、長大なミシシッピ川のいかだの上で、終わりなき時を暮らしているようなものですから、お忙しい大人の皆さんにはアホらしくて読めないかもしれませんね。でもね、マーク・トウェインは「トム・ソーヤーの冒険」というおはなしを、学校で「よいこ」をしている子供向けには書いているわけで、こっち、ハックルベリーね、はどうも大人向けなんじゃない買って読み終わると思うんですよ。
お仕事とか、趣味とか、人付き合いとか、まあ、何かとお忙しいこととは思いますが、一度手に取っていただくと分かりますよ。忙しく暮らしていることがいかにバカバカしいか。
柴田元幸さんの訳で初めて読み通せた割りには、えらそうな口を聞いて申し訳ありませんでした。
ブログにも、あれこれ書きました。覗いてみてくださいね。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201905070002/
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トムソーヤがおままごと好きならば、ハックは本物の冒険者。危険から逃げていかだに戻りたくてたまらないのに、なぜかいつも冒険に巻き込まれてしまう。少年の機知に富んだ対応や、スパイスのように効いた人種差別の背景が冒険を加速させている。
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柴田元幸さんによる新訳版。
ハックとジムのやり取りをはじめとする会話シーンが印象的。
持っている知識を使って自分なりに物事を理解しようとする様が、会話の中から見えてくるのが面白かったです。勘違いや言い間違いも含めて。
ハックの一人称の語りを通して、子どもたちが世界をどう捉えているのか、宗教や政治や歴史をどう捉えているのか、とても生き生きと感じられました。
特に、黒人奴隷のジムに対するハックの葛藤に引き込まれました。
ジムのことは愛しく思ってるけど、元々誰かの所有物だったため、そこから逃げ出す手助けをしてしまったという「盗みの罪悪感」を常に抱いています。しかし一方で、ジムが家族と離れ離れになったり、逃亡ニガーとして捕まってしまうことが理不尽なことだという意識もあります。
ハックの中では、ジムを捕まえることが善で、ジムを逃すことは悪。
今とは違う価値観ですが、ハックの語りを通して、彼自身の中にその価値観が埋め込まれてしまっているのがよく分かります。そして、「そういう価値観を信じ込むというのはどういうことか」を読者が体感できるようになっています。
だからこそ、その価値観に自らあらがって、「よしわかった、なら俺は地獄に行こう」と覚悟を決めるシーンが際立つのです。あそこのシーンはシビれました。
そして改めて、変な奴とされながらも常識をきちんと疑うハックと比べて、トムソーヤーはなんでも型にはめて物事を行おうとするつまんない奴だなと思いました。ハックをバカにするときも人格を否定するような言葉を使うし。子どもだからまだいいかもしれないけど、これがこのまま大人になったらかなりキツいなと。
マーク・トウェインがどのような意図をもってトムソーヤーをこういうキャラクターにしたのかが気になりました。
後半トムソーヤーが再登場してから話が無意味に停滞し、まったく展開しなくなったのもきつかった。最後のクライマックス前にめちゃくちゃ盛り下がりました。
とはいえ全体としては、語る内容にもましてその語り口に面白みがある物語として、改めて楽しむことができました。そして、ここまで書いてきた感想ひとつひとつに応えてくれるような、柴田さんの解説もとても面白かったです。