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エヴァの震える朝 15歳の少女が生き抜いたアウシュヴィッツ (朝日文庫)
1944年5月11日、エヴァ15歳の誕生日の朝、アムステルダムの隠れ家にゲシュタポが踏み込んできた。家族4人は家畜用列車でアウシュヴィッツへ−。アンネ・フランクの義姉が告...
エヴァの震える朝 15歳の少女が生き抜いたアウシュヴィッツ (朝日文庫)
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商品説明
1944年5月11日、エヴァ15歳の誕生日の朝、アムステルダムの隠れ家にゲシュタポが踏み込んできた。家族4人は家畜用列車でアウシュヴィッツへ−。アンネ・フランクの義姉が告白する、「アンネの日記」の続きの物語。〔「エヴァの時代」(新宿書房 1991年刊)の改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
アウシュヴィッツから生還した、アンネの義姉の告白。エヴァ、15歳の誕生日にアムステルダムの隠れ家がナチに見つかり、一家は家畜列車に乗せられた。飢えと衰弱と恥辱と……そして解放の足音。『アンネの日記』の続きが、ここに綴られている。【本の内容】
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生きて悩む
2018/02/12 10:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の著者エヴァ・シュロッスは、アンネの死後、義理の姉妹となる。彼女の母と安念お父が再婚したからだ。アンネは、死後その日記が有名となり、エヴァは、有名になっていくアンネを生きながらえて、目撃するのだ。そのことに、彼女は、いらだっていた。私だって強制収容所の苦難を経験したのにと。しかし、あることが切っ掛けで、吹っ切れる。そして、この体験記を書いた。
紙の本
語り継がなければならない。歴史
2019/03/03 22:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
アウシュビッツに収容されながらも生き抜いた少女、エヴァ・シュロスによる手記。
エヴァはオーストラリア・ウイーンに生まれ、第2次世界大戦の勃発後に、ドイツによるユダヤ人排斥の動きが強まる中、アムステルダムに逃れる。アムステルダムにドイツ軍が侵攻し、イギリスへの脱出を試みるが、時すでに遅く、オランダで、抵抗組織や良心的なオランダ人にかくまわれて隠れ家で2年を過ごすが、密告によって逮捕され、アウシュビッツに移送される。
エヴァは、8カ月のアウシュビッツ強制収容所の生活を母と共に生き延びる。しかし、ビルケナウに収容されていた兄と父はナチスが敗戦間近に、強制収容所から別の場所に移される途中に亡くなる。この移送は「死の行進」と後年呼ばれ過酷を極める物であった。もう少し終戦が早ければ、家族で再び暮らせたのに。
強制収容所から、奇跡的に助かった人々の中で、その当時少年・少女だった人はさらに稀である。なぜなら、15歳を一つの基準としてそれより若い人たちは、列車が強制収容所に着いた途端に選別されて殺されてしまったからだ。
本書では、他のアウシュビッツの生き残りの証言では触れられていない貴重な側面がいくつか明らかにされている。潜伏した隠れ家での生活や周辺のオランダ人立ちの様子。ナチ撤収後のアウシュビッツの状況、解放から帰国に至る経緯など。そしてオランダでは、アンネフランクの近所に住んでおり、当時の、アンネの様子も描写される。
1941年、アムステルダムに住むユダヤ人青年400人が一斉に逮捕されたとき、これに抗議してオランダの全労働組合はゼネストによって公共機関と交通機関を2日間にわたってストップさせた。オランダ人でもユダヤ人に共鳴して、自らの胸に「黄色い星の記章」をつけ、当局を混乱させようと試みた勇気ある人たちもいたこと一方、強制収容所に収容されてから外に出る機会もあったが、ポーランドの周りの人たちは見て見ぬふりをしていたことも、本書は指摘している。
アウシュビッツの生活は過酷だ。スープを飲むにもまず、コップがなければありつけない。さび付いたコップも取り合いで、獲得してもすぐに盗まれる。別途は一段10人びっしり詰め込まれ一人だけ仰向けになることもうつ伏せになることも出来ない。寝返りを打つときは一斉に同じ報告に向きを変えなければならない。「人間で出来たスプーンの束」とエヴァは表現する。シラミや南京虫に苛まれ、暖房のない真冬は凍傷にもなる。病気になればすぐに選別されて殺されてしまう。
本書は1991年に出版された物に、文庫化に際してあらたに著者が80を超えた2009年に行われたインタビューを巻末に付記している。エヴァと共に生き残った母は、その後、アンネフランクの父親オットーと再婚する。エヴァが解放後収容所のことに口を閉ざし、この書を著わしたのは40年を経てからだ。その思いがインタビューで語られている。収容所から生き残った人も今ではわずかだ。しかし、語り継がねばならない歴史は、たしかにある。