紙の本
破天荒な人柄に迫る
2020/03/18 07:18
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
三島由紀夫やDAIGOのご先祖様でもある、数奇な運命をたどった天皇の素顔が見えてきました。関東地方の住人を「戎夷」と言い放つなど、挑発的な言動に驚かされます。
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あとがきでびっくりしたが・・・
2018/10/29 21:56
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投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
期待通りだったのか、あるいは、期待はずれだったのか、ちょっと整理がつきません。あとがきで、専門が日本文学と書かれていて、う~ん、でした。後醍醐天皇そのものをきちんと読んだのは初めてでしたし、なるほど、と思わされるところもたくさんありました。特に、第8章の後醍醐の死以降の、ある意味利用のされ方的なところは、新鮮でした。明治150年とかを長州出身の首相がぶちあげて、天皇さんが欠席された、という状況で、確かなところを学べたのは拾い物でしたよ。
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楠木か楠か
2018/09/28 21:12
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
網野善彦の「異形の王権」が実際は戦前の「太平記」的な史観から脱却していない、と何度となく批判しているが、「異形の王権」は末尾にあるように同世代だが政治的には正反対に属する村松剛の「帝王後醍醐」を強く意識して書かれたものだとは気がついていないらしい。何故、本職の中世史家でも中世文学の専門家でもなく、正反対の立場の村松剛の著書を網野善彦がこだわるのか、それだけでも興味があるところだ。
「帝王後醍醐」は近代の天皇のあり方を後醍醐天皇に求めているのは著者の歴史観からすれば当然の事だ。この本の場合、官司請負制を後醍醐天皇が否定した事を一君万民の思想の原型と見做しているが、何か「帝王後醍醐」を連想する。参考文献目録に「帝王後醍醐」があるので、無意識に参考したのではないか。
この著者は楠木氏を「楠」であって、「楠木」ではないと主張している。しかし正慶元年の花園院の消息に「楠木」とあると引用していて、「増鏡」では「楠の木」と読むと書いている。それだからか、「太平記」をはじめ、「梅松論」、「保暦間記」では「楠」と記していると、いささか向きになって主張している。おそらく著者の主張する「楠」という読みが一般的ではないので、こんなに力を入れるのだろう。
「異形の王権」は昭和天皇の御在位60周年の時期に書かれたもので、この本は今上天皇の譲位と新帝の践祚を目前とした時期に書かれているから、末尾が「異形の王権」に似た表現をしている。本当は、こういう本を書く時には、著者の持つ問題意識なり時事的な状況なりを前面に出すより、一般の読者に最新の学問の成果を披露すべきだ。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
同じ題名があるなか出版する意義があるとすると新発見や視点の違いなどだがこの本に特筆すべきものが見当たらない。後醍醐本人に関する記述も少なく今一つ。ある程度のおさらいになるくらいだ。
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建武の新政って知れば知るほどその凄さが見えてくる。一君万民的天皇制を自ら着想し遂行したのは、後にも先にも後醍醐天皇だけ。明治維新の王政復古はそれをパクっただけだし、厳密には同じではない。ただ悲しいかな、斬新な行為には常に副作用がつきまとう。尊氏に裏切られ、観応の擾乱で京都をめちゃくちゃにされ、あげくのはてには武家政治に逆戻り。パクったほうも同じ。軍事政権の台頭をゆるし、皇道派と統制派の対立を生み、226事件で文民にトラウマを植え付け、大戦へと突入して・・・あーーー、これ以上書きたくない。あれ?後醍醐天皇の話がどこかへ行ってしまった。
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ここでは一応評伝のカテゴリに分類したが、一般的な意味での「評伝」ではなく、後醍醐天皇個人というより「言説としての『後醍醐天皇』」の形成過程と展開過程を追究し、その脱構築を目指している。最も強調されるのは、その「天皇親政」への意欲が中国の宋学の強い影響を受けていたという点で、既存の身分秩序を流動化させ(君臣関係の再編)、中国風の皇帝専制を新に創出せんとしたとみなし、後期水戸学以来の国体論的な「建武中興」「王政復古」観を説得的に否定している。水戸学の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたもので、藤田幽谷によって国体論に読み替えられたという。一方で、一時流行した網野善彦らの「異形の王権」論も否定し、真言密教への傾倒自体は後醍醐特有の個性ではなく、護持僧の文観に関するさまざまな伝承(特に邪教「立川流」をめぐる)も後世の創作として退けている。歴史学と異なる文学畑の方法論に疑問がないではないが、これまで常にイデオロギーに弄ばれたといってよい後醍醐天皇像を見直す契機は供していよう。
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序 帝王の実像と虚像
第1章 後醍醐天皇の誕生
第2章 天皇親政の始まり
第3章 討幕計画
第4章 文観弘真とは何者か
第5章 楠正成と「草莽の臣」
第6章 建武の新政とその難題
第7章 バサラと無礼講の時代
第8章 建武の「中興」と王政復古
著者:兵藤裕己(1950-、愛知県、日本史)
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水戸光圀の大日本史の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたものであるという点は初めて知った。
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歴史的には後醍醐天皇による建武の新政は短期間で失敗に終わり、リアルな実力を持つ武士たちが再び政権の座につく。が、天皇在任中に武家政権のわずかなスキを見出し、そのチャンスに一気に天皇親政を実現させた判断、勇気、行動力は天皇らしからぬ凄みを感じる。鎌倉時代から江戸時代まで長く続いた武士政権の中で一瞬ではあるが、権力を武士から奪い取ったという点でもっと評価、研究される人物なのかもしれない。
建武新政の失敗後も、後醍醐天皇は権力欲をあきらめない。天皇の地位を保つために京都を離れ、吉野でもう一つの朝廷を開くという超裏技的発想は武士以上の野心家だ。昭和の日本軍部が利用するほどの強烈なキャラクター。
天皇でありながら、なぜそこまで柔軟な発想ができるのか、そして、何度捕まっても再起する不屈の闘志を維持できたのか。そんな後醍醐天皇を知るためには、幼少時代から追いかけていくべきだ。が、本書は「太平記」の中の天皇しか紹介しておらず、ちょっと不満。
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岩波新書 兵藤裕己 「 後醍醐天皇 」
網野善彦「異形の王権」論への反論も含めて、後醍醐天皇を評価した本。中世史の概要もまとまっていて、とても読みやすい。
悪党や非人を軍事力として利用したり、後醍醐が自ら法服をつけて 真言密教の祈祷を行ったりする行為は 後醍醐が聖徳太子に傾倒しているだけであり、異形とは言えないという論調。一理ある。
南北朝の動乱
*鎌倉幕府滅亡→足利尊氏が 後醍醐天皇から離反→南北朝の対立
*南朝(天皇による政治を目指す後醍醐天皇)と北朝(武家による政治を目指す足利尊氏)
*血縁、地縁の共同体の仕組みが変わる→血縁、地縁によらない人の結びつき→一揆、一味同心
*人や土地の支配と従属の関係の変化
*女性やマイノリティーの地位の変化、能楽や茶の湯
後醍醐天皇の評価(物狂の沙汰か 貴族層の牢固たる家格意識を解体しようとした果敢な試みか)
*文観を介しての密教への傾倒
*楠木正成ら悪党的な者を政権の要職につけた
*政治手法の背景にあるのは 密教と中国宋代の儒学
*臣下(公家、武家)を通さず、天皇が民に君臨する(一君万民)
天皇親政=後醍醐が 宋代の中央集権的な国家をイメージしたもの
*天皇が官僚を統括して、直接 民に君臨する=既存の序列が無力化→無礼講がその象徴
*無礼講で無化する礼=上下の礼→衣冠、烏帽子など身分や序列
*既得権と世襲制の打破。家柄と門閥の否定
北畠顕家の諌奏状=後醍醐天皇の不徳を批判
*任官登用は先祖経歴の先例による
*当時の公家の政治意識を代弁したもの
*君臣の上下が 名分をまっとうする秩序社会
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平成から令和に元号が移り変わったこんにち
天皇の中でもこの後醍醐天皇も日本の歴史に影響を与えた人物の一人ではないでしょうか。
儒教などやいろいろなことについて趣味多彩で勉強熱心であり、鎌倉幕府の倒幕の企ての張本人、足利尊氏との決別により南朝・北朝の二つに天皇が別れて動乱が起るなど慌ただしい人生を生き抜いてきた人物である。
今後も研究されていくことだと思います
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建武の新政の本性は公家政治の復活ではなく、中国のような皇帝専制を目指すものであった。故に建武の中興ではなく、建武の新政である。後醍醐天皇は「今の例は昔の新儀なり、朕が新儀は未来の先例たるべし」と述べた。復活ではなく、文字通り新政を志向していた。中央集権的な皇帝専制は分権意識の強い在地領主の肌に合うものではなかった。
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仕事の参考資料につきななめ読み。
歴史学の最新研究を踏まえた概説かどうか、後醍醐天皇についての最新研究の成果を知りたいという点においては、慎重にならなければいけないかもしれない。
そうではない部分としては、面白く読める内容であった。
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鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行ったものの3年足らずで後醍醐天皇の政権は崩壊。
反旗を翻した足利尊氏の擁立した京都の北朝に対して、奈良吉野で皇位の正当性を主張、南北朝が並び立つ動乱の時代へ。
1338年、後醍醐天皇は志半ばで非業の死を遂げる。
骸は奈良の吉野に朽ちぬとも、魂は京の空を見つめ続けると言い残し、激動の人生の幕を閉じることになった。
当時においても、後世においても、賛否両論のある君主である。
後醍醐天皇は、伝統的な門閥貴族の合議による政治を否定。
天皇が一君万民の専制君主として強力なリーダーシップを発揮する政体を目指した。
未来の新儀を創出する意欲を持った後醍醐の政治方針は、既得権益を世襲的に保持し続けてきた上級貴族の利害や貴族社会の慣習と相容れず、武士のみならず公家社会内部でも天皇の政治を批判する声は少なくなかった。
また、武家の欲する所領安堵に功のなかった建武政権には足利尊氏は参加しておらず、御家人の意向を背に足利尊氏は武家政権の復活を目指して立ち上がったのであった。
後醍醐天皇の一君万民の政治構想は、のちに国民国家の建設を目指す明治政府の「国体」のイデオロギーに取り入れられ、大日本帝国の政治を呪縛した。
また、天皇の存在は、現代を生きる我々の慣習や規範に影響を与えている。
個性や自分の意思を表現することより、コミュニティ内での公平・平等・均等を良しとする暗黙の空気は、後醍醐天皇の目指した一君万民の政治的イデオロギーによって支えられたものかも分からない。
天皇という存在自体が、今後も変化していく歴史的な存在なのだなという感想を持ちました。
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逃げ上手の若君を読んで室町時代に興味を持った。本書での後醍醐天皇はもっとまともな人物像で、これまでの後醍醐天皇像は異形の王権みたいなオカルティックなイメージは払拭される。