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紙の本
実歴阿房列車先生 (中公文庫)
著者 平山 三郎 (著)
貴君、僕は大阪へ行って来ようと思う−。1950年秋、この一言から汽車に乗りたかった内田百間の「阿房列車」シリーズは始まった。5年間の全行程に同行した著者が、百鬼園の旅と日...
実歴阿房列車先生 (中公文庫)
実歴阿房列車先生
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商品説明
貴君、僕は大阪へ行って来ようと思う−。1950年秋、この一言から汽車に乗りたかった内田百間の「阿房列車」シリーズは始まった。5年間の全行程に同行した著者が、百鬼園の旅と日常を豊富なエピソードを交えて綴る。【「TRC MARC」の商品解説】
貴君、僕は大阪へ行って来ようと思う――。一九五〇年秋、この一言から汽車に乗りたかった内田百間の『阿房列車』シリーズは始まった。以後、五年間にわたる全行程に同行した〈ヒマラヤ山系〉こと元国鉄職員の著者。百鬼園の旅と日常を豊富なエピソードを交えつつ綴った好エッセイ。解説・酒井順子【商品解説】
著者紹介
平山 三郎
- 略歴
- 一九一七(大正六)年東京生まれ。作家。法政大学文学部日本文学科卒業。三二年鉄道省東京鉄道局に就職。運輸省誌『大和』、日本国有鉄道誌『國鐵』の編纂に従事する。五〇年から五五年頃、内田百間の阿房列車に同乗。七一年より『内田百間全集』の編集・校訂にあたる。二〇〇〇(平成一二)年没。主な著書に『詩吟酒の人』『わが百鬼園先生』など。
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紙の本
内田百けん氏の教え子である平山三郎氏による百鬼園の旅と日常のエピソードを綴った好エッセイです!
2020/08/10 11:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『百鬼園先生雜記帖』、『百鬼園と風船畫伯』、『詩琴酒の人 百鬼園物語』、『わが百鬼園先生』などの作品でお馴染みで、内田百けん氏の教え子として知られ、夏目漱石の流れを汲む作家である平山三郎氏の作品です。平山氏は、その生涯を通して、内田百けん氏の身辺の叙述・研究に当たった人物としても有名です。同書は、1950年秋から始まった内田百けん氏の『阿房列車』シリーズにおいて、5年間にわたる全行程に同行した「ヒマラヤ山系」こと元国鉄職員である著者が百鬼園の旅と日常を豊富なエピソードを交えつつ綴った好エッセイです。同書の構成は、「実歴阿房列車先生」(旅順開城か旅順入城式か、阿房列車走行籵数その他、べんがら始末、昇天と葉蘭の嘘、忘却す来時の道)、「百鬼園先生追想」(蝙蝠の夕闇浅し、枕辺のシャムパン、塀の外吹く俄風、百鬼園の鉄道、百けん全集刊行前後)となっています。
紙の本
実歴阿房列車先生
2020/03/16 16:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は阿房列車のお供として知られる「ヒマラヤ山系」こと平山三郎氏。もともと内田百間のファンであったことから、国鉄職員時代に国鉄の雑誌に寄稿を求め、以後交際が続く。
阿房列車以外にも様ざまな場面に同席しており、百間の随筆からはうかがえない一面が見られる。また、阿房列車を見ていると、あまり掴みどころのないように見える「ヒマラヤ山系」氏の考えていることも少しはわかるかも。
紙の本
鉄道紀行にあらず
2018/10/13 22:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、阿房列車でおなじみの内田百聞の汽車旅に毎回同行した国鉄職員平山三郎である。著者が身近でみた内田百聞の人柄を彷彿とさせるエピソードがちりばめられている。1等車で旅三昧となれば裕福に思えるが、そうでもなかったようである。日本郵船の嘱託になったときの部屋の番号が主人にふさわしい無資産に通じる643。久々に洋服を新調する際、洋服店に出向いての採寸が面倒なため、奥さんが30年前のズボンと10年前の上着を三越に持参した等々。また、鉄道紀行作家の印象が強いが、小鳥を書いた作品が多いとか校正に対する厳しい姿勢等作家内田百聞の実像を知るには良き一冊である。しかしながら、国鉄職員による著作となれば、鉄道に関する詳細の記述を求める読者には期待外れであろう。著者は、「私は国鉄職員だから、汽車が好きかきらいかと訊かれれば、まあ、嫌いではないとこたえる程度だ。」と記述している。鉄道好きにとっては、垂涎の立場にいながら、なんとももったいない話であるが、世の中往々にしてこうしたものか・・・