紙の本
しびれました。しかし・・・・・
2019/02/19 22:27
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
すごかった。想像以上だった。よくぞここまで赤裸々に書いてくださったものだ。
伊藤詩織さんのブラックボックス同様、多くのかたに、彼女の命がけの告白を受け取っていただきたい。
ただ・・・・・・。
長すぎる。重すぎる。せっかく買ったのに、前半で、やめてしまった方はいないだろうか?
もう少し短めの、重要部分を読みやすくしたものは出ないものだろうか?
その方が、さらに多くの方に読んでもらえるのではないだろうか?
文庫サイズか、新書サイズで、200ページくらいで読めたら、もっともっと広がるとおもうのだが・・・・・・。
すみません。
電子書籍
ヤズィディ教徒がISISから受けた迫害と虐殺
2019/05/06 19:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヤズィディ教徒である著者が、イラク国内でISISから受けた迫害について書いた体験談です。自身や周辺で起きた出来事だけでなく、周りの人々に対する疑心についても赤裸々に書いています。
ナチスについて書かれた「夜と霧」と同様に、著者の主観的な目線で書かれています。
紙の本
彼女が生きている意味
2020/01/19 09:26
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
非常に重い内容であるが、翻訳の配慮か途中で投げ出すことなく読めた。
このような体験をする女性が私で最後になるためにと付けられた書名。心身ともに疲労困憊し、途中で生きることを諦め、命は助かったものの抜け殻になる人もある被害者の中から、彼女のような人権活動家が出たことは奇跡だと思う。
日本の人材不足は明かであるが、外国人材の導入も不信感が拭えないし、移民問題を積極的に考えている人がどれぐらいいるのかわからない。国内の問題に翻弄されてばかりでなく、私たちはもっと世界に目を向けなければならないと考えさせられた。
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イラク北部のヤズィディ教徒のコミュニティで、少女は育った。
裕福ではないが、大家族や親族、多くの友人・知人に囲まれ、
将来はヘアサロンを開くことを思い描いて。
宗教的マイノリティであるけれど、近隣のムスリムたちとも
友好的な関係を保ちながらの幸福な暮らしが崩壊してしまう
などとは露とも思わずに。
イスラム国の侵攻が彼女からすべてを奪った。家族も、友人も、
将来の夢も。
大人の男性、老人、年老いた女性は殺害され、妙齢の女性たちは
イスラム国の戦闘員の性奴隷として連れ去られた。
コミュティが破壊され、自身も性暴力の被害者となった著者で
あるナディアの体験記は、ただ宗教的マイノリティの叫びでは
ない。過去の戦争、そして現在も行われている戦争・紛争で
心と体に深い傷を負った人々すべての叫びだ。
「性奴隷」という刺激的な言葉だけに注目してはいけない。
性暴力を含むすべての暴力に対して、私たちは「No!」と
声を上げなければならない。イスラム国の手から逃れた
後に、ナディアが声を上げたように。
自身の性的暴行の体験を公の場で語ることは、恐怖や絶望を
追体験することに他ならない。語りながらあの絶望の日々が
脳裏に甦るだろう。
それでも、彼女は立ち上がった。イスラム国の戦争犯罪を明らか
にする為に。残酷な体験をするのは自分で最後にして欲しいと
願って。
ヘアサロンを開くことを夢見た少女は、想像を絶する体験を経た
のちに人権活動家となり、2018年のノーベル平和賞を受賞した。
邦人を含む外国人ジャーナリストの殺害、歴史的建造物の破壊
など。イスラム国が行った卑劣は行為は日本でも報道された。
しかし、イスラム国が支配する地域内部で何が起きていたのか
の詳細な報道はなかった。
正直、本書の内容は読んでいて辛い。そうして、読んだからと
いって私に何かが出来る訳でもない。それでも、知り、関心を
持つことは出来る。
イスラム国ばかりではない。ナイジェリアに拠点を持つボコハラム
も、多くの少女を拉致している。救出された少女たちも過酷な日々
を送っているという。
すべての戦争・紛争で犠牲になった人々に思いを馳せる為にも、
多くの人に読んで欲しいと思う。そして、関心を持続させること
で何か変わるかもしれないとの希望を持ちたい。
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ISISのことは実際に見聞きしていたけれど、これほど残忍でひどいことを行なっているとは知らなかった。人々の私生活の中に恐怖が迫りこむ恐ろしさをしみじみと感じた。ある日突然自分がナディアと同じ目に遭ってしまったらどうなるだろうか、平和ボケしている私たちは必読の本だと思う。
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昨年ノーベル平和賞を受賞した人権活動家ナディア・ムラド。授賞式をテレビで観たとき、若い女性には不似合いな、絶望を湛えた眼差しが印象に残った。受賞理由は、戦争および紛争下において、武器としての性暴力を根絶するために尽力したこと。この本には、彼女の想像を絶する体験が綴られている。
2014年、イスラム国はイラク北部のヤズィディ教徒の村を襲撃した。ヤズィディ教は、古代から続く一神教の宗教マイノリティで、教徒たちは山岳地域に集まって、貧しくも平和に暮らしていた。ナディアは当時21歳の学生で、敬虔なヤズィディ教徒の大家族と仲良く暮らし、将来の夢をみる普通の女の子だったが、ある日突然悲劇は訪れる。
イスラム国の兵士は村人を一か所に集め、男性と年配の女性を虐殺、若い女性と年端のいかない男の子をさらって街を破壊した。ナディアも、姉や義姉、姪、甥らとともにイスラム国の制圧する地に強制的に連れて行かれ、性奴隷として売買されて、兵士からレイプと暴行を繰り返される。人間としての尊厳を傷つけられ、生きている意味を失う日々。しかし、わずかな隙を見つけて脱走、命からがら兄のいるクルディスタンに辿り着く。命こそ助かっても、たくさんの愛する家族を失ったナディアの心は、壊れたままだ。だが、今なおイスラム国に囚われている大勢の女性や子供達を救うために活動することに、ナディアは生きる意味見出す。
この著書を読むためには、私たちは想像力が必要だ。イラクとシリア、ヤズィディ教、売買される性奴隷、難民…私たちの日常からはあまりに遠くかけ離れている。理解するには、何度も地勢図を見返す必要があった。それにしても、人間はなぜ、繰り返し残酷な営みを行うのだろうか。そして、今起こっていることを見過ごしている私たちもまた残酷だと思うと、胸が痛い。
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あまりに生々しく辛い。
残酷で酷い現実が今も起きていると痛感した。その痛みをより多くのひとが知ることが大事だと思う。
どこでも起き得る時代だからこそ、ドイツのような難民受入など世界で協力し共存していくことがこれから必要となってくるのだと思った。
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私たち日本人が、戦争を70年ちょっと前の、過ぎ去った昔であり、フィクションのように感じている21世紀。
テレビでわずか数秒流される、それも芸能人のしょうもない恋愛話よりずっと小さな枠で、「あなたには関係ありませんけどね」とでもいいたげなニュースの中に。
今もこんな恐ろしい出来事が起きている。
同じ時代、同じ地球上で。
戦争というものはただ覇権や勢力、資源を争うものなら単純で、
宗教が絡んでくると戦いは魂の殺し合いになっていく。
そこまでさせる、宗教って、いったいなんなんだろう、と思ってしまう。
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映画『On Her Shoulders』鑑賞後に読んだ。
映画の中で、語られていた内容が、より生々しく詳細に記されている。自伝というにはあまりにも激烈な、これぞノンフィクションと言った内容。
非常によく書けている文章、あるいは構成で、
第一部では故郷の村コーチョの平和な日常と、やがてそこに忍び寄るISISの様子が描かれ、第二部が核心部分、ISISによる大虐殺、サービア(性奴隷)としての日々、そして決死の脱出までが。第三部は脱出行の成功、生き残った家族との再会、そして再生への物語が希望を伴って描かれる。
見事なまでの出来栄えに、共著のジャーナリスト、ジェナ・クラジェスキの手腕が存分に揮われたのだろうと拝察する(映画を見た時のアマル・クルーニー弁護士の存在、アメリカ資本による制作などの背景が、ふと頭をよぎらんでもない・苦笑)。
いろいろ思わないでもないけど、雑念を吹き飛ばすほど、記述内容は過酷で迫真(?)だった。
彼女たちが信じるヤズィデ教の教義はよく分からないが、運命論的な世界観を有しているイメージが強い。あるいは来世を信じる輪廻転生を教義に持つことから、おそらく(想像ですが)、辛酸を極めた現状にはある種の諦念か、希望を来世に託す選択をしがちではないかと感じていたが、ナディアの徹底したした「生」への固執、執念には、痛いほど感銘を受けた。これは、ひとえに、母の教えによるところが大きいのではないだろうか。
ISISに村を侵略され招集されるときに、姪にかける言葉も母の口癖だった。
“「心配いらないからね」と声をかけた。「全部うまくいくから」。それは母の言葉だった。“
ISISに拘束される前、万にひとつの可能性に賭け、生きる希望へと繋がる術を伝授するのも母親だ。
“母は、ヘズニとサウードの携帯電話の番号を暗記しておくようにと私たちに言った。「もしかしたらあの子たちに電話しなくていけないかもしれないから」と言って。だから私は、いまでもふたりの電話番号をそらで言える。”
ISISに拘束された日々に思い出すのも母のことだった。
“私は母のことを考え続けていた。人生の中で起こるどんな悪いことも自殺を正当化する理由にはならない、と母はいつも言っていた。「神様が引き受けてくださるんだって信じないといけないよ」。悪いことが起こると母は決まってこう言った。(中略)母は私が生きることを心から願っていた。だから私には死を選ぶことはできなかった。”
ヤズィデの教義より、彼女を支え、守ってきたのは母の教え、存在そのものだったのではないだろうか。
彼女の強い意志、信念、そして機転と勇気もあってのことではあるが、奇跡的に脱出に成功し、生き永らえた彼女の伝える言葉は、周囲の様々な思惑が絡んでいるとはいえ、重く貴重なものだ。
また、彼女は、過酷な体験を経て、自分の言葉の重要性も学んでいることも本書を読んでうかがい知れた。それはISISの支配を脱した検問所での受け答えがビデオに録られ政治的プロパガンダに利用された際のことだ。
“私の話は、もちろんいまも��個人の悲劇だと思ってはいるけれども、ほかの誰かの政治の道具にもなりうるのだと、このことがあってすぐに学んだ。とくにイラクのような場所ではそうなのだ。自分の発言にはもっと慎重になるべきだった。なぜなら言葉は受け取る相手によってはちがう意味にとられ、あなたの発言はいとも簡単にあなた自身に向けられる武器になってしまうことがあるからだ。”
故に、本書の記述、映画の中で見た、彼女の発言に信ぴょう性が増したというわけではないが、斜に構える前に、まずは真摯に耳を傾けようという気にもなった。
“私たちが自分の体験をどこかで話すたび、テロリストからいくらかでも力を奪っているように感じている。”
少女に、こんな思いを抱かせる大罪を国際社会は許してはいけい。
協力者と共にISISからの脱走を果たせた翌日の記述が胸を打つ。こんな夜明け、少なくとも私は知らない。知らないでいたい。
“「怖がらなくてもいい朝」。私は言った。「きれいなところだね」”
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非常に辛い内容だった。
私が日本でのんびり暮らしている間に、これほど過酷な体験をしている女性がいた。
今も世界のどこかで、理不尽な目にあっている人々、私の目には見えてない人々。
戦争、紛争下では性暴力が武器となる事実。
宗教によって弾圧される人々。
隙を見て脱走し、ある家族によって匿われ、安全な場所まで付き添われ、生き残った家族に再会でき、本当に良かった。母親、兄などたくさんの家族を殺され、故郷が破壊され、心身をズタズタにされ、それでもナディアさんは生きていて良かった。この先も彼女はそう思って生きていってほしい。ぬくぬく、ゴロゴロしてる私が言える立場ではないのだけれど。
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イラクの少数派宗教、ヤズィディ教徒である著者が、イスラム国に家族を虐殺され、自身も性奴隷として壮絶な苦しみを受けた自伝。
・
イラクでイスラム国によるヤズィディ教徒の大虐殺があったのは2014年頃。
男の人たちや高齢の女性たちは殺され、若い女性は思春期前でも性奴隷にされる。
男の子たちはイスラム国の兵士として育てられ、洗脳される。
家族はバラバラ。
家族のつながりが日本よりもずっと強いのを感じられるので、なおさら胸が痛くなります。
あまりの壮絶さにノンフィクションだと思いたくなりますが、れっきとしたフィクションであり…。
・
ただ一方で、紛争というものはあまりにも複雑で、すぐにどうにかなるものでもないこともよく分かりました。
だけどその中には宗教が違っても命をかけて救ってくれる人々がいたりする。
一般の人々が、知らない者同士命の危険を侵してでも助け合っている。
こうしている今も、無名の英雄たちがいるのだと思うと
なんだか胸が締めつけられます。
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ISISに捕らわれ、サビーヤ(性奴隷)にされながらも、辛くもその手を逃れた女性の物語。
ヤズィディ教はイラク北部に住む人々の一部が信仰する少数派宗教である。ゾロアスター教の流れをくみ、他の宗教からの影響も受けた独自の教義を有する。ヤズィディ教への改宗は認められず、ヤズィディから生まれたものしかヤズィディにはなれない。ヤズィディ教徒はヤズィディ教徒同士で結婚し、そのコミュニティはある種、大きな家族のようなものである。
少数派であるヤズィディの人々は、他のコミュニティから排斥されることも多かったが、人々は土地や権力を求める野心はもたず、また信仰を広める気持ちもなく、貧しくとも穏やかに日々を過ごしてきた。
イスラム過激派、ISISが勢力を広げてくるまでは。
著者、ナディア・ムラドは小さな村コーチョに住んでいた。貧しいながらも、愛情深い母、頼りになる兄たち、仲の良い姪たちと平和に暮らしていた。中学校で歴史を教え、家に美容サロンを開くのが夢だった。
イラクは、さまざまな民族、宗教が入り混じった国で、あちこちで紛争が起こっていた。不穏な空気は村の周辺にも漂っていたが、ついにある時、ISISが村を包囲する。
ヤズィディの人々は改宗を迫られた。敬虔な彼らがこれを断ると、ISISは力でヤズィディを制圧しにかかった。
男たちは殺された。
妙齢の女性たちは連れ去られて性奴隷にされた。
高齢の女性は殺され、穴に埋められた。
少年の中には洗脳され、ISISに加わったものもいた。
コミュニティの絆はずたずたに断たれた。
ナディアは母たちと引き離され、男たちが連れ去られた方から銃声が響くのを聞いた。
他の娘たちと連れ去られ、ISISの戦闘員の奴隷となった。
無理矢理に改宗の儀式を受けさせられ、何度もレイプされ、持ち主の男が飽きれば次の男へと売り渡された。
心の拠り所である宗教を奪われ、身体を汚される。それがどれほど残酷なことか。
ヤズィディの人々は純潔を重んじる。彼女を最初にレイプしたISISの男は「おまえは落ちぶれてしまった」と言い放つ。宗教を捨て、処女でなくなったお前を、家族やコミュニティが元通りに受け入れるはずはない、と。
悲しいことだが、ナディア自身もそれをもっともだと思う。
信じていたものを心ならずも汚すことになってしまった。これほど残酷な痛手があるだろうか。
肉体は殺されなくとも、彼女の心はこの時に殺されてしまったのだ。
ISISの暴虐の陰には、異教徒であるヤズィディを改宗させるのは、その魂を救うことになるのだから善行だという理屈がある。聖典を持たないヤズィディ教徒は徹底的にレイプしてもかまわないともしている。
ヤズィディの男たちを殺したのは文字通り大量虐殺(ジェノサイド)だろう。
一方で、娘たちにしたこともまた、精神的ジェノサイドではなかったか。
小柄なナディアはサビーヤにされる過程でもされた後も、幾度も幾度も抵抗する。
ISISの男たちや取り巻く人々を冷静に批判的に見つめる。
彼女のどこにそんな力があったのだろうか。
くじけそうになりながらも、こんなことはおかしいと彼女のうちで何かが叫ぶ。
それはあるいは、誰の心にもある尊厳そのものであったのかもしれない。
ある時、見張りが手薄になったのを見計らい、彼女は逃亡に成功する。匿ってくれたムスリムの家族に助けられ、何度も危ない橋を渡った後、義理の兄との再会を果たす。
だが何人もの兄たちは殺され、母もまた殺されていた。姉や姪たちの中には、逃亡の途中で命を落としたものもいた。甥っ子の1人はISISに洗脳されてしまった。
周知のとおり、活動家となった彼女は2018年にノーベル平和賞を受賞する。
彼女の活動はもちろん、大きな意義を持つものであるけれども、一方で、彼女が懐かしく思い出すコーチョの暮らしが美しく悲しい。
二度と取り戻せることのない、幸せだった日々。
The Last Girl。こんな思いをするのは私が最後であってほしい。
その叫びがずしりと重い。
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全く知らなかったヤズィディ教徒たちに降りかかったイスラム国の非道.そこから逃れて声をあげたナディアの勇気に感動しました.第1章,危険をはらみながらも,小さな村で大家族が笑いあって暮らす幸せに,次の第2章を読んでその喪失に言葉もありません.そして彼女を助けたナーシル達も本当の勇者です.みんなに読んでほしい本です.
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シーア派やスンニ派、クルド人、アラブ人など、聞いたことがあっても、それがどのように対立構造を生んでいるのか分からないので、とても難しかった。
また日本にいると、宗教で争いが起こるというのも、理解できなくて、想像することも難しい。
宗教によって争いが起こるのなら、そして争いが嫌なんだったら、その信仰をやめたらいいのではないか?と思うのは、日本人だからなんだろうなあ。
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金額¥1,800 413頁のギュッと濃い内容の一冊です
読む前から、きっと読んでも気持ちの良い本であるはずがない事はわかっていました
そしていざ読んでみるとやはり気持ちの良い本ではありませんでした
少しずつ少しずつ澱のように鉛のような重たいものが心の中に沈殿していくような、何かが少しずつ腐敗して嫌な臭いを放ってくるようなそんな本です
しかしそれが実際に世界のどこかで起きた出来事であり、力の弱い女性や子供、マイノリティの宗教を弾圧して良い理由にはならないことを認識しなくてはいけないと思わせる力を持った本です
世界中で起きている悲惨な出来事の被害者を著者であるナディア・ムラド氏が最後の女性-LAST GIRL-になりますように祈ります