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紙の本
文語訳聖書を読む 名句と用例 (ちくま学芸文庫)
著者 鈴木範久 (著)
明治期以来、多くの人々に愛読されてきた文語訳聖書。その成立経緯を辿り、様々な作品の中で聖句や名句がどのように用いられてきたのか、言語文化へのはたらきを探る。日本人の精神生...
文語訳聖書を読む 名句と用例 (ちくま学芸文庫)
文語訳聖書を読む ──名句と用例
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商品説明
明治期以来、多くの人々に愛読されてきた文語訳聖書。その成立経緯を辿り、様々な作品の中で聖句や名句がどのように用いられてきたのか、言語文化へのはたらきを探る。日本人の精神生活と表現世界を豊かにした源泉に誘う書。【「TRC MARC」の商品解説】
明治期以来、多くの人々に愛読されてきた文語訳聖書。名句の数々とともに、日本人の精神生活と表現世界を豊かにした所以に迫る。文庫オリジナル。【商品解説】
著者紹介
鈴木範久
- 略歴
- 1935年生まれ。立教大学名誉教授。専攻は、宗教学・宗教史学。著書に、『明治宗教思潮の研究』(東京大学出版会)、『内村鑑三』(岩波新書)、『内村鑑三日録』(全12巻)『日本キリスト教史物語』『近代日本のバイブル』『日本キリスト教史』(いずれも教文館)、『日本宗教史物語』(聖公会出版)、『聖書を読んだ30人』(日本聖書協会)、『中勘助せんせ』『聖書の日本語』『内村鑑三の人と思想』(いずれも岩波書店)など。訳書に、内村鑑三『代表的日本人』『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』など。
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紙の本
格調高く、文学的価値もある聖書の文語訳がどのように成立していったのかを紹介してくれる貴重な一冊です!
2020/04/16 09:03
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、聖書の文語訳の経緯を辿り、そこで使われている格調高い表現や聖句、名句がどのようにして使われてきたのかを解説した画期的な一冊です。同書によれば、聖書の文語訳が完成したのは明治時代ということですが、その成立過程を検証するためにキリシタン時代にまで遡って見ていきます。こうすることで、文語訳の聖書の記述が、格調が高く、歯切れのよい翻訳になっており、文学はもとより、日常の日本語にいたるまで強い影響を与えた理由が見えてきます。同書の構成は、「序章 文語訳聖書の魅力」、「第1章 文語訳聖書の成り立ち」、「第2章 修正訳と改訳ほか」、「第3章 名著にみる文語訳聖書」、「第4章 文語訳聖書の名句と用例」と、なかなか興味深く読めるものとなっています。
紙の本
『文語訳聖書を読む』
2019/04/18 21:14
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人の生くるはパンのみに由るにあらず」
「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」
「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」
「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害をおそれじ、なんぢ我とともに在せばなり」
「汝の少き日に汝の造主を記えよ」
明治期から長く親しまれてきた「文語訳聖書」
広く親しまれ、日本人の精神生活、表現世界に大きな影響を与えた「文語訳聖書」の名句、聖句、語句をさぐり、その魅力を解説する
《「名著」も、逆に言うならば、文語訳聖書を用いることによって「名著」になったと言えるかもしれない。》
本文庫オリジナル
紙の本
岩波現代文庫ではありません。
2019/03/10 23:36
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
元々岩波文庫で新約聖書詩篇付だけを出すつもりだったのが反響があったので、「旧約聖書」も4分冊で出したとある。別に日本聖書協会は文語訳聖書を共同訳新約聖書のように絶版にしたわけではないのに、それだけ需要があるという事になる。現に日本聖書協会も最近は色々な装幀の文語訳聖書を出しているし。
エラスムスが「テキストゥス・レセプトゥス」を刊行したかのように書かれているが、エラスムスも半年のやっつけ仕事にしてもそれなりに校訂をしたものを宗教改革期に色々な人が手を入れたものの「決定版」の通称がそれで、それも宣伝文句が一人歩きしたものだ。
明治訳の修正についての箇所でネストレ10版を参照にしているが、その時点では刊行されていないネストレを参照にするなら、当時の最新の校訂本だったウェストコット・ホートを使った方がいいと思う。
黒岩涙香が「鉄仮面」を書いたように書いているが、この作品はボアゴベの作品を涙香が翻案したものでボアゴベの翻訳は講談社文芸文庫で復刊しているのに、参照していないらしい。多分、知らないのだろう。しかし主人公が「牢の戸の破壊を試みる描写」はなかったから、ここは涙香が創作したのだろうか。
この本は神を「カミ」とカタカナ書きにしているが、「次第に神道の神々と変わりない呼称になってしまった」とまるで所謂「創造主訳」みたいな主張をしている。同じような事は著者が使っている「日本の聖書」でリッターという人物の主張が引用されているのと酷似している。「愛」についても原語から外れた意味になったと解釈しているが、明治期の伝道者達が原語にどのぐらい知識があって、日本語力もどの程度のものだろうか。一方の日本人の協力者達にしても漢訳聖書や欽定訳聖書で接するので精一杯だろう。ここは「書物としての新約聖書」のように「けれども、明治訳の最大の功績は、キリスト教用語の日本語訳を定着させたことである」という方が正しい評価だろう。