愉快な修行っていいな
2021/02/23 22:54
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投稿者:なのはな - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教については詳しくありませんが、本書を読んで少し仏教に対する難しいものという見方のハードルが少し下がりました。前半はブッダそのもののことをコンパクトに説明していて興味深かったし、後半は坐禅など修行について踏み込んだ内容でした。学校での学びではないオーガニック・ラーニングというものや「愉快な修行」という考え方は初めて知りました。修行とはとにかく厳しいものというイメージしかなかったのですが、愉しくやりましょうというとても前向きな本でした。
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投稿者:sas - この投稿者のレビュー一覧を見る
こういった書籍を読んだ直後は、いろいろなことを理解できたつもりなのですが、いざ「苦しみ」に出会った時には、それを受け入れるよりもそこから遠ざかることを選択してしまいます。
いろいろなことを受け入れるために、毎日、坐禅に取り組んでいますが「自分が変わった」という実感を持てません。
坐禅について、この本には「強意の坐禅」と「云意の坐禅」があると書かれています。私自身、いつも毎朝の坐禅を始める時には「云意の坐禅」を心掛けているつもりですが、途中から「強意の坐禅」になっているかもしれません。
愉快な生き方ができるように、あらためて「云意の坐禅」を心掛けてみようと思います。そういう考え方自体が、「強意」なのかもしれません。
「云意」と「強意」の差をなかなか掴み取ることはできませんが、坐禅は楽しいものであることをあらためて感じさせてくれた一冊です。
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「何をしたいか」ではなく「どうありたいか」。
何かをするために強いて勉めて頭で学ぶだけではなく、どうありたいかのために周囲との交流全体から自然に学ぶことの大切さを説いています。自然に学ぶことを「オーガニックラーニング」と名付け、そのモデルとして仏教、特に禅の修行をモデルにして考察しています。
知っていることをわかること、できることは違う訳ですが、現代は、特に人生の前半では、「知っている」ことが偉いという扱いを受けます。基礎知識の意味でそれも大切でしょうが、それでは本当に身についていない。できるようにならない。そして「知っている」ために学びを深めようとしなくなる。そんな弊害があると僕自身の経験から感じるところです。
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仏教は、経典に書いてある難解で高邁な哲学だと思えたり、千日回峰行のように苦行通して到達できるものであると考えがちです。しかし、釈迦は29歳で出家し、高名な瞑想の師のもとで高い境地を得ても、6年の苦行難行を経ても、満足するに至りませんでした。35歳で瞑想も苦行も捨て、樹下に静かに座ること7日間、ついに「法」にたどり着き、ブッダとなりました。ブッダの教えは、高度な瞑想でも苦行でもない。そのことを教えられ安心しました。▼「平安への道はない。平安こそが道である」。道を歩む一歩一歩にすでに平安があるような修行でなければならない。仏教は、苦しい修行ではなく、愉快な修行だと説いています。
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今日、仏教はさまざまに発展・変容していますが、ブッダの原点に戻って、愉快に生きる、生きることの全てを修行の糧にする、学ぶことは変わることである等、平易でありながら、「深く問う」。好著です。
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ブッダの人生から、仏教の原点を学びます。
オーガニックな学びとは、禅とは、愉快な生き方とは。
ブッダが本当に伝えたかったことを、丁寧に、分かりやすく解説しています。
語り口も、説明も、頭の中にすーっと入ってきます。
人が一般的に「学び」のモデルにしているのは「学校的な学び」だけなので、芸術や宗教の世界にある「オーガニック・ラーニング」は視野に入っていません。よく「生涯学習のすすめ」などと言われますが、この「学習」も、「学校的な学び方」が想定されています。
しかし、学びを「学校的な学び」だけで理解するのは、了見が狭すぎます。私たちは、もう一つの学びのスタイルである「オーガニック・ラーニング」も視野に入れるべきです。そのために、仏教がたいへん参考になると思うのです。 ー 53ページ
ブッダが瞑想や苦行に見切りをつけたのは、それがどこまでもハウツーに終始するものだったからです。瞑想や苦行のエキスパートから教わったハウツーは、自我が心や体をコントロールするためのテクニックでした。ですから、やればやるほど自我の意識が強化されてしまいます。
ブッダは、自我が作り出した問題や苦しみは、自我の努力では解決できないということを発見したのではないでしょうか。 ー 70ページ
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逆らえない不幸に負けないように、またありのままに自分を見つめるために、ヒントになる本。文字が大きく言葉が簡単なので読みやすい。
金銭的に豊かでない生活から豊かな人生は見出だされるとあった。貧乏学生としては勇気付けられる。お金がないから、物に執着せず生きられているのかもしれない。
生きることそのものを楽しむには、自分が生きてその場にいることを素晴らしいと認められないといけない。
生活のなかで、今自分がどうあるかを考えていきたい。
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著者の出羽三山での山伏修行での「受けたもう」の状態について非常に印象的だった。自分の中にある抵抗値が減ってくる。「受けたもう」という開かれた態度を教わったおかげで、きつい修行も愉快になる。
そこから野口晴哉さんの言葉を引用している
【雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで登る人もある。
その人々は重いスキーの道具を軽々と肩にしてゆく。
だから苦しい楽しいは心にある。
働かされることは辛いが、働いていることは楽しい。
だから働かされているつもりにならないで、
自発的に働くことが肝腎である。
(後略)】
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読みやすく、わかりやすいブッダの教え。
「うんざり」という感受性。
悪魔(煩悩)と出会えること。
学ぶことは、変わること。
ネガティブ ケイパビリティ。しない能力。
「闘う」でも「逃げる」でもない「触れてよく観る」
解像度の高い眼で、内的体験を観測する。
とてもおもしろかったです。
さっそく意識において、日々を過ごしていこうと思います。
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キーフレーズ
いつもビギナーでいること。
仏教を、禅の考えやブッダの半生を語りながら説明している本。
堅苦しくなく、読みやすい。
人生で起きたことすべてが学びという姿勢はもっともだと思った。
しかし、いまの状態をありのまま受けいれ、取り組むことが大切と一部では書いてあるが、たとえば、ブラック企業で働いていて、寝ることもままならず、自分のやりたいこととはまったく違うことをやり続けなければならない人がいる現代社会ではこの考えでほんとうに愉快に生きることができるのか疑問がある。
ブッダの時代といまの時代では、やることやストレスの度合いや性質が明らかに違いすぎるので、いまの時代背景も踏まえて説明してほしかった。
また、禅と瞑想の違いがよくわからなかった。
・周りとの交流全体から自然になにかが学ばれていく。
→オーガニックラーニング
・仏教は、各自が自分の愉快な生き方を学ぶための参考書
・生老病死はドゥッカ。パーリ語で、思い通りにならない人生の絶対事実
・ドゥッカがあっても人生の厳粛な事実を理解し、生きる条件として素直に受け入れることは愉快な生き方のポイント
・生きることのすべてを修行の糧にすることができれば、一生、現役の学生として変わり続ける。
・心身には自己調整能力が備わっていて、おのずから調っていこうとする本来の働きがあり、それを信頼して、その働きの邪魔をしないで従うことで、姿勢や身や心が調っていく。これがビーイングモード。
・ビーイングモードになるには、ドゥーイングモード、すなわち、することを減らしていく。
・愉快とは、いつも溌溂として、活き活きと元気に、自分の生きていることそのものが快く、自分の魂を感じていられる状態。
・触れてよく観る。
勉強、仕事、修行、人生にしても、受けたもう、という気になって取り組むことが大事。
・覚めた素面の眼で刻々の体験をありのままにはっきりと観ることを、ヴィパッサナーという。ヴィは区別、パッサナーは観るという意味。
・苦しみを減らし、幸せを増すには、痛みへの抵抗を減らし、快感への執着を減らせばいい。要するに、痛みも快感もありのままを受け取る。
・いつもビギナーでいること。
→愉快に生きていくためにもっとも大切な学びの姿勢。
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仏教を作ったブッダや、著者が仏教に専心した理由が書かれている。
ブッダの素の名前は、シッダールタ。大事に育てられていたが、外に出て、病人や老人を見て人はいつかおいて死ぬのだと言うことを目の当たりする。老・病・死の苦しみから逃れられないと言うことを知る。
心の中で、「いつか出家して、老・病・死の苦しみを解決する道を探したい」という思いが、少しずつ育っていった。このエピソードは、「 四門 出遊」と呼ばれている。
仏教の出発点には、生きることが苦悩であるという大きな問題の自覚があった。
苦行で弱った体を癒し、気力を回復したシッダールタは、ガヤーという町の 菩提樹 の下で静かに坐禅を始めた。そうして七日間坐り続けた末、「覚り」を開く。三五歳頃のこと。覚りを開くことを、別な言い方では「 成仏」という。「仏(ブッダ=目覚めた人)」に「 成る」こと。ゴータマ・シッダールタは、ブッダになることで、ずっと求めていたこの世の真理、「法」にたどり着いた。ここから筆者は、シッダールタのことを敬意を込めてブッダと呼んでいる。
筆者が、仏教に入っていく経緯も、すごく不思議であり、ご縁だと思った。
筆者の思っている「愉快」。野口整体という日本的な癒しの道を創始した 野口 晴 哉(一九一一~七六) という人物の「愉快」という言葉の使い方が好きで、それを本書のキーワードの一つにしている。
愉快に生涯を生き抜くことが全生(生を全うすること・筆者注) である。ジメジメして息していては全生はできない。健康に生きる為に、愉快ほど大切なものはない。 僅かな利害や 面子 の 為、その愉快を失って生きている人は 不幸せである。しかも自分の愉快を失っているばかりでなく、他人の愉快を奪ってしまっていることが多い。これは悪である。 自分の愉快を大切にする人は、他人の愉快も大切にして、傷つけないことを心がけよう。これが全生の道だ。 (月刊『全生 十一月号』二〇〇六年発行 全生
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仏教、特に禅の考え方を引き合いに、人生を豊かにする学ぶ方について説いてくれます。
筆者のいう「オーガニック・ラーニング」の重要性は、自分の子どもを見て感じたことと合致しており、腹に入りました。
また、座禅はやることを最大限減らしていくこと、というのも個人的に好きな考え方です。禅に興味が沸きました。
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仏教が示す物事の捉え方は非常に論理的であり、日常を生きて過ごすための示唆に満ちている
この著書はその入口を非常に平易な表現で記してくれている
しかしながら、一般認知されている宗教というカテゴリの意味合いが理解を阻む壁となっていることは否めない
宗教の説く言葉としてでなく、単なる理論として捉えて読む事をお勧めする
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仏教やブッダの基本。誰しもわかっている事だけれど、でも勘違いしている事などをブッダのされた事などを例にあげ、優しく解説してくれています。
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前半はブッダの経歴、後半は前を通しての学びの姿勢。赤ちゃんがそうしているように、ビギナーの気持ちで学ぶことが大事。