紙の本
純文学としても、エンタメ小説としても、濃厚の一語
2022/06/22 22:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
数十年ぶりに読んだ『砂の女』のすごさに触発され、本書を読了。前半の脱出の道行きと後半のめくるめく展開、そして衝撃の結末と、純文学なのかエンタメなのか、両者が渾然一体となったド迫力ド熱量の一作。安部公房にとっての「満洲体験」の強度と深度をも改めて感得させられた作品でした。
「おれたちと一緒にいるのが、なんといったって、幸せなのさ。」(49頁)
「家はどこにでもあった。家があれはかならずドアがあり、ドアがあればかならずしっかりと錠がかかっている。ドアはすぐそこにあったが、その内部は無限に遠いのだ。けっきょく、あの人っ子ひとりいない荒野と、すこしも変りはしないじゃないか・・・・・・いや、もっと悪いかもしれない。荒野はのがれることをこばんだのだが、町は近づくことをはばむのだ・・・・・・」(252頁)
本書の主題を挙げれば、カバー裏にもあるように、人間存在と人生、アイデンティティー、故郷(単なる「日本」ではない)、国家、自由、差別や拒絶といったことどもになるのであろうが、一読、本書の世界は「砂の女、その後」ということでもあるように感じられる。(なお、176頁の「狼じゃないかもしれんが、犬でもないな・・・・・・そのあいだの、なんとかいう動物」という表現はかの「ジェヴォーダンの獣」を、久木久三と大兼保雄との出遭いは日嘉暢子と平良三郎のそれを想起させた(単なる私見)。
紙の本
けものたちは故郷をめざす
2024/01/28 10:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
国共内戦の最中、満州から日本に向けて脱出した主人公が、荒野を抜けて南へ向かう。一人では生き残るすべを持たない少年だが、同行する男の高は技術は持っていても信用ならない人物。限界を超えた飢えと乾きの末、たどり着いた町にも救いはない、という感じがすごかった。
紙の本
現代によみがえる野性
2021/01/10 17:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦とともにソ連軍がなだれ込んで来た北支地方で、同じ町の日本人達と一緒に帰国しそびれた青年が、ソ連兵の手伝いの仕事をして暮らしている。辺境の小さな町にはイデオロギーの波も及ばず、それなりに平穏な生活ではあったが、日本に帰りたい思いが募って脱走する。苦労して町を一歩出れば、そこは国共内戦下の中国になる。そのどちらに捕まってもスパイとみなされそうなのだが、勢力図がコロコロと変わっており、偽装のしようもない。そうして見えない敵に追われるようにして、極寒の荒野を飢えと疲労に苛まれて延々と彷徨うことになる。
とにかく広くて何もない。人がいたら敵。そんな中で同道することになったのは、どちらかの工作員で、どちらかからはお尋ね者らしい男。道案内には頼りになるが、彼とて日々流動的な勢力図については出たとこ勝負でしかない。協力しあって生き延びるしかないが、いつかは相手を出し抜こうとお互いに狙っている。
日本に帰りたいだけなのに、戦争は終わったのに、なぜこんな混沌の荒野に投げ出されてしまうのか。これではまるで逃亡劇のようだ。どこまで逃げれば安全になるのかもわからない逃亡。そんな死線を彷徨う経験によって、彼らは少しづつ野性を身につけていくようだ。
これを戦争の悲惨さとも言えるかもしれないが、戦争というだけでなくあらゆる過酷な状況に飛び込み、突き進んで行く人間の心象を書き表しているのではないか。人間同士は、個人、組織、国家と、あらゆるレイヤで争い続け、自然よりも人を脅かすが、それに立ちすくんでいるわけにはいかず、覚悟を決めて突き進むしかない。それが現代世界における、けもの的人間ということになるのだろう。
戦後大陸から引き揚げてくる人の話はいろいろあるが、ここでは日本人にとっての戦争というものが遠い風景になってしまっていて、誰にとっても荒々しさを育てるための培養装置のようだ。それは悲惨であるとも、非人道的であるとも言えるものだが、もたらされる野蛮さは無用のものだろうか。そして彼らはけものとなって帰ってきた。
現代社会においては、いわれなき悪意や不条理にも、ただ黙ってやられっぱなしになることが美徳なのかもしれないが、自分の力で戦い、身を守ることも時には必要ではないか。悪徳、悪趣味、野蛮、モラルからの解放、そういう牙を内面に飼っておくことの疑似体験というのが、この作品の位置付けになりそう。それは多様な価値観の間の対立が増すほどに、この世界では重要になっているのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
安部公房の長編が岩波文庫に。
ある意味『らしくない』長編ではあるのだが、迫力があって面白かった。原点というか、あの作風の根底に流れていたのは、こういう生命力というか、生々しさであったのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
既読だったが、「安部公房 岩波文庫初収録」という理由だけで買った一冊。(尚、購入後、自宅本棚に1994年7月 21刷の新潮文庫版があるのを確認した)
当時どんな感想を持ったのか覚えていればよかったのだけれど、あいにくワタシのメモリーは極小でほとんど覚えていない。(…ということを考えると、いかに拙文であっても本を読むたびにこうして記録を残しておくことの意味はやっぱりあるよな、と独りごちた。)
さて、本題。
満洲国に住む少年・久木久三が、まだ見ぬ祖国・日本を目指す。進む道は中国大陸の荒野。時は、満洲国が消滅し、毛沢東・八路軍、蒋介石・国民軍、そしてソ連軍の三者がどこのものでもなくなった土地に入り乱れていた真っ只中。
この状況の下、正体の知れない道連れと共に道なき道を進む久三の苦悩が痛く、辛い。冒険譚と言えば冒険譚。それも、かなり過酷な。
でも、読み進めるにつれ、冒険譚という思いは徐々に薄くなり、替わって久三のアイデンティティに思いを寄せるようになってゆく。自分が暮らし育った地は(満洲国という名の)日本であったのに、ある時突然そうでなくなった。かと言って、そこがどこか別の国になったのかと言うと、それも否。『アイデンティティが人を殺す』(アミン・マアルーフ)では、帰属先は国家でも民族でも構わないという主張がされていたが、久三はその帰属先を完全に失った。自分は一体何者なのか?という思いが焦りになり、そして“けもの”になる。最後の3行は壮絶。悲痛な余韻。
投稿元:
レビューを見る
洗濯をする母とその横で遊んでいる自分の姿を壁の向こう側から眺めるという夢をみて、この作品は終わる。久三が求めていたものは、母が子供に与えるような全能感や安心感、けものから守ってくれる壁なのかもしれない。
自立するにはめざすべき父が必要であるが、この作品には父と呼べるような人物が出てこない(アレクサンドロフは父というより、母のように久三を保護してるように思えた)。久三をいつまでも子供であり続けようとするガキと誹るのではなく、子供を導くべき大人が存在しないことに目を向けるべきだろう。
投稿元:
レビューを見る
本書は安部公房が自身の経験に基づき、対戦終了後のロシアに支配された満州から日本への苦難に満ちた引き揚げをテーマとして書いた作品である。
安部公房という作家については、シュールレアリスムの雰囲気を強く匂わせる一連の作品しか認識しておらず、こうした経験を持ち作品化していたというのを最近になるまで知らなかった。本書は満州からの引き揚げという極めてリアリスティックなテーマを扱っているため、以降のシュールレアリスムの作風とどうマッチするか、読むまで想像がついていなかった。
実際、本書の多くは満州から日本へと渡るために奇妙な同行者を得ながらギリギリの駆け引きを繰り返しながら前進する主人公のリアリスティックな動きがメインであり、その行程は非常にスリリングですらある。それが最後、日本への到着を間近に控えたタイミングでの結末は安部公房独特のシュールレアリスムのような不条理さに満ち溢れており、うなされながらの読了となった。満州からの引き揚げがいかに苦難に満ちたものであるのか、そしてそれを一級の文学作品として結実させた傑作。
投稿元:
レビューを見る
圧倒的な描写力で、最初のページから読む者は一気に中国大陸の広大な荒野へと投げ込まれる。
最初から最後まで、少年の行動を駆動している「日本」への思い入れが心に引っかかる。故国とはそれほどまでの憧れを生ぜしめるものなのか。どうしてそんなにも故国を目指すのか。やっと、その故国に踏み入れたとき、憧れの故国にの人間たちはいかなる仕打ちをもって少年の思いに応じたのか。重い読後感が残る。
投稿元:
レビューを見る
世間的によく知られている作品群よりも前に書かれた小説だそうで、作風もだいぶ異なります。あのシュールさはありません。
ですが、これも深く考えさせられる小説であることは間違いないです。
旧満州国で生まれ育った少年が、終戦と共にソ連の支配から脱出し日本を目指す、過酷な道行を書いたものです。
この小説のテーマは、主人公が踏んだことすらない「故郷」に何を求め、何から逃げ出したのか?というところに尽きると思います。そこそこ親切だったソ連将校たちとの生活から、日本人のいる場所や、内地を目指す彼。しかし、一つの社会を脱しても、また別の社会に帰属する以上、そこには人間が寄り合うことで避けて通れない制約がつきまとうものです。そのことが、人間の生命の灯火が皆無の荒野を抜けて辿り着いた先で、明白に対比される。
加えて、主人公は同行者から名前を騙られたり(そもそも逃避行中は人間がほぼいないので名前に意味がない)、日本人社会からも拒否されたりします。故郷とは?アイデンティティとは?帰属するとは?…と、かなり考えさせられます。戦争がこんな状況を現実にしてしまうということも恐ろしいです。
投稿元:
レビューを見る
安部公房の作品といえば、毎回斬新なアイデアを盛り込んだ実験的な手法で、幻想味を漂わせた作品で知られる。そのような中で、あえて安部公房らしさのない、この作品を推したい。隠れた名作と思うからである。敗戦後、旧満州から引き揚げる主人公の話。社会と個の問題、国籍・民族の問題。様々なことを考えさせる作品である。
村上春樹もいいけれど、かつてノーベル賞候補と言われ続けた作家にも、関心を持ってくれればと思う。
(数学科 ペンネーム「鮒一鉢二鉢」先生おすすめ)
投稿元:
レビューを見る
満州で育った久木久三。敗戦によりソ連軍が侵攻、多くの日本人が南へそして日本へと逃げ始めるが、母親に流れ弾が当たってしまい、逃げ遅れる。
母親を看取ったあと、敗戦から数年のち、久三はまだ見たことのない日本へと向かう物語。ロシア人からも中国人からも朝鮮人からもそして日本人からも、そのテリトリーに入れてもらえない…その疎外感は強烈だった。
投稿元:
レビューを見る
主人公の少年がさいごまで何歳なのかわからなかった。
途中列車のなかであうおうさん。結局何者だったんだろう。
大陸はしらないけど、ざらざらした嫌な感じは臨場感もって伝わってくるようで苦しかった。
救いはあったのかわからない。
生きるためにはなんだってしないと生きられない時代。だれも責められないと思った。
投稿元:
レビューを見る
読みやすくて文学とは違ったジャンルに感じた。脅威的な生命力を持った2人の人物に映ったが、なかなか臨場感があって一気に読めてしまう作品だった。
投稿元:
レビューを見る
満州で日本人の両親から生まれ育った少年。ソ連軍の参戦・敗戦・中国内部の対立。満州国は崩壊していく。少年は、混乱の中、日本人の集団から取り残される。
少年は、不自由ではあるが、ソヴィエト人に匿われて生活していた。しかし、日本を目指して、一人で逃避を決意する。果てしない雪原、飢え、人への不信感。人間の尊厳を放棄するほどの過酷な逃走に終わりが見えない。
敗戦後、満州からの引き揚げ体験を描く引揚文学とされているが、最後まで読めば引揚のルポ的作品ではない事がわかる。少年は、もはや何を目指すかさえも見失う。共に雪原を南下する正体不明の男に裏切られて騙されても離れられない。反抗と服従。依存と共存。「砂の女」との共通点かと思う。
日本へ、日本人になるため、自由を得るため、そして生存するため、けものとなる。
新潮文庫の登録がないのー。もう、読まれないのかなあ。
投稿元:
レビューを見る
ヤマザキマリさんの本の中で、自分の人生を変えた本、として紹介してあったので、読んでみた。
満州国で生まれ育ち、敗戦とともに国家に置き去りにされ、両親に死なれた日本人少年が、1945年の満洲国消滅から、1949年の中華人民共和国建国の間の、無政府状態の1948年に、ソ連の拠点を脱出して日本に(ほぼ)到着するまでの冒険譚。
島国日本とは全く異なる圧倒的な風景に加えて、国家不在の人間社会における相互不信と裏切りの連鎖で、終わり方もこんなだとは露とも思わす、衝撃的だった。
極限状態においては、ひとはけものに戻る。