映画を「語る」ということ
2020/09/27 00:08
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投稿者:まるわれい - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画監督、押井守が「1年に一本ずつ、50年分の映画を語る」という意図で語られる本で選ばれる映画がイコール映画史に残る傑作・名作であるとは限らない。むしろ脱線して思いもよらぬ結論に落着していくところに本書を読む意味がある。押井守による「映画の演出論」として読むも良いし、「アニメ業界のよもやま話」としても一級の本である。
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1968年から2017年までの50年間から、各年1本映画づつ押井監督が選び、語り尽くす一冊。ストーリーを説明するのではなく、ディテールへのこだわりが凄い。映画への熱を強く感じる、非常に「濃い」本です。
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
「新幹線大爆破」の無軌道さが、攻殻機動隊につながったとは意外な気もします。「デヴィッド・リンチにはかなわない」と謙遜していますが、今や世界に誇る鬼才のひとりと言えるでしょう。
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押井守さんが考える映画の見方や見てどう語るという話がインタビュー形式で書かれています。本題からは外れますが、山岸凉子さんの漫画が映像化に恵まれないという話が出てきて興味深かったです。
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押井守監督の選ぶ映画ベスト集とか読むしかねぇ!と思って読んだ次第。
実際読んでみると、ただのベスト本で終わってない予想よりもさらに良著だった。作り手としての視点で観る映画の見方は、なるほどと唸らされた。なにより、映画の選び方が『考えさせる』点で選んでるところが良い。ダメな映画だけど、『考えさせる』から選んだ。押井守監督の、ここをもっとこうしたら名作になったのに!とかいう問答を聞けたりして面白かった。
失敗から多く学べる、という文言が出てくるが、ただの話題作や良作だけを選び取って観るだけじゃなく、自分の審美眼も鍛えて、自分の感じ方を世間のバイアスを出来るだけ取り去って観ていきたいと思った。
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「見て終わる」ではなく「見て語る」
押井守は正直だ
1968年『2001年 宇宙の旅』から2017年『シェイプ・オブ・ウォーター』まで、押井監督が毎年1本の映画を選び語る
その1本は必ずしも監督にとってのベスト映画っていうわけではなく、語りたい1本
キューブリックに愛想を尽かし、リドリー・スコットを“サー”と呼び敬愛する監督
自らの演出論や自身の作品への引用を語る
『ベイブ/都会へ行く』なんて認めてないのに語る
押井監督は来年70歳かあー
映画について語りたくなる一冊
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エイリアン3を褒めていたり頓珍漢なコメントや論評も多いのだが、時折ハッとするような視点でものを見ているので念のため目を通してしまった。
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、ベスト50とかではなか、1年1作品を選んで、そこから様々なテーマに拡げて押井守が映画について語る一冊。
・なので、選ばれた50作品は、必ずしも押井守が好きな作品、高く評価している作品とは限らず、何か語るべきテーマのある作品になっている。
・こういう本を読んで、そこで言及された作品に触れたくなるか?は僕にとって重要なポイントで、この本はメチャメチャ映画を観たくなった。特にペキンパーとサーことリドリー・スコット。
・そうそう『逆襲のシャア』のところで、富野由悠季と宮崎駿についてのエピソードが楽しい。このエピソードを本人たちの口から聞きたい。
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著者が映画を見はじめた高校時代から現在に至る50年。その間の数多の作品を「1年に1本のみ」という縛りで選んだ50本の映画解説。
「あわよくば高度経済成長からバブルを経て昨今のヘタレた日本の戦後史の一部を、映画を通じてフレームアップできるのではないか」
という著者というか企画制作側の意図が上手く反映されたかは定かではないが、
“「映画を見ること」は「見た映画について語ること」によってし成就しない、「映画は語られることによってしか存在し得ない」のだ”
という著者(というか本書の場合、語り手)の思いは存分に汲み取れたか。確かに、こうして語ると面白いのかもしれない。多い時には年間1000本見たという著者ならではの、縦横無尽な、業界の裏表も知悉した分析は、映画を楽しむ新たな視点を与えてくれそうだ。
自分も昔、映画を見はじめた大学生の頃は、年間200本ほど鑑賞し、ひとりの役者、ひとりの監督の作品を通して観るなんて鑑賞方法も採っていた。そうでもしないと、それまでほとんど映画なんて観てこなかったハンデを克服できないと考えたから。要は、体系的に映画を学ぶような、そんな鑑賞の仕方だった。
今は違う。むしろ、この監督の作品だから前作と較べてどうだとか、このジャンルの作品では他にこんな作品がありそれとの比較で、と言った見方はやめようと思っている。予備知識もなにもなく、素のままで見てみた作品そのもの、単体としてどんな味わいがあるかを楽しもうとさえ思っている。
とはいえ、こうした(本書のような)作品比較、あるいは同じ監督作品の第1作からその作品までの並べて俯瞰して見てどうか、という批評も悪くないし、語るには値するだろう。
でも、まだ今はいいや。そんな楽しみ方は、もう少し鑑賞した作品群が増えてからでいいだろう。今は、年間50~80作を、極力劇場鑑賞で楽しもうと心がけている。そう思って数年が経ったか。その合計ですら押井守の年間1000本に及ばないが、数が増えてくれば、自然と、横串を通してなり、俯瞰して語れるようにもなるでしょう。
本書は、そういう意味で、1作1作の映画評ではない。 当人も、
「いい映画だからという理由で「50年50本」を選んでいるわけではない。映画の正体に近づくために、映画の正体について語るために50本を選んでいる。だから、傑作をセレクトするわけではないんだよ。」
と語っているように、己の映画論、監督論を語らんがためのセレクションだ。
それでも、古典と呼ばれる作品は何が優れているか、映画が持ちえる時間の表現方法、音楽と音声と映像の組み合わせ方、映画監督がやってしまう2つのこと等々、やはり、単なる映画ファンでは持ちえない、映画製作を職業とした者ならではの考え方は傾聴に値する。
作品の背景を楽しもうとか、制作された意義とかよりも、なぜこの監督はこう作ったのかとか、どう撮れば、あるいはどうすれば成功したのか(興行的にという意味ではなく、作品として成立するか)という視点は一貫している。
自分の映画空白の時代(2005-2015)の面白そうな作品も紹介してくれていたので、本書を参考に観てみようとも思った。
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【メモ】
「映画を見ること」と「見た映画について語ること」は別の経験に見えて、その実は全く同一の経験である。いや、より正確に言うなら「映画を見ること」は「見た映画について語ること」によってしか成就しない、「映画は語られることによってしか存在し得ない」のだとして、しかし振り返ってみればその「語られた映画」と「見られた映画」は、実は依然として全く別に存在するものなのだ、という不可思識さこそが「映画を見る」という行為の真相なのです。
「2001年宇宙の旅」の最大の功績はあの音楽を用いて宇宙の時間を描いたこと。あの滑るように動く宇宙船。巨大宇宙船をゆっくり動かすことで、宇宙そのものの壮大な時間を演出してみせた。これをエポックメイキングと呼ぶんだよ。エポックメイキングの定義って、自分に言わせればそれだけだから。エポックメイキングと化した作品のゲートを通らないと、その世界に入れない。その部分を変更すると、もはやそのジャンルではなくなってしまう。圧倒的な影響力を確立してしまった作品をエポックメイキングと呼ぶんだよ。
当時の自分が基準なら 『2001年宇宙の旅」を選ぶけど、いまの自分が基準なら別の映画を選ぶ。この本の主旨に関わる部分だから、あえて最初はもう1本選んで、並べて語ってみたい。両作品というか両監督を比較することで、キューブリックに愛想が尽きた理由も明確に見えてくると思う。
いまの自分を基準にして1968年の映画を選ぶのなら、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」をセレクトしたい。公開当時は 『ウエスタン」という邦題だったのだけど。
――押井監督が「2001年宇宙の旅」を選ばないとは、意外ですね。
意外でもなんでもないよ。「2001年宇宙の旅』を選びたがる気持ちは分かるし、こういう映画ははずしづらい。でもそれは映画を教養で語りたがる人間の悪癖だと思っている。教養で映画を選ぶのではなく、「もっと自分の欲望に忠実になろうぜ」ってことだよ。キューブリックとレオーネ。いま繰り返し見たい映画はどっちだ?となったら、そりゃあレオーネに決まっているんだよ。
――おお。それはなぜですか?
映画の本質が分かってきたから。別の言いかたをするならば、「映画としての語り口の面白さ」かな。けっきょく映画ってそれしかないんだなって、最近つくづく思うようになったんだよ。
ストーリーとは別物。映画としての豊かさ。僕の言葉で言うと艶っぽさかな。当然、レオーネのほうが艶っぽさがある。スケール感で言えば、両方ともスケール感を撮った映画ではあるんだよ。レオーネのテーマは常に歴史だったから、必ずスケール感をともなっている。
「愚作駄作を回避するな」と。傑作だの名作だの言われているものだけ見て、映画を分かった気になるなってことだよね。なくとも、ジャンル映画と言われるものには快感原則と言われるモノの秘密が必ずある。それでいて、ヤクザ映画と実録映画の快感原則は明確に異なるんだよ。そして観客は無意識にそれを嗅ぎ分けてしまう。だからこそブームになる。だから色々探る。いろいろバリエーションを試す。
自分1人で、ものを��って、それを繰り返すなかで本質が掴めるとは到底思えない。他人の体験も自分の体験にすることで本質が見えてくる。映画はそのために見るんだよ。
映画なんて基本的にアウトローの仕事で、世の中にケンカを売るのが筋だったけど、日本の戦後社会が、すなわち高度に管理された資本主義社会が「アウトローの居場所」を認めなくなった。だから消えていった。ヤクザ映画に限らず、かつての日本映画は社会にケンカを売っていた。
庵野が『新世紀エヴァンゲリオン 』を作る際に聖書を貸した。「聖書「外典偽典」という全集があるんだけど、それを。かなりマニアックな濃い本なんだけどね。イブがもう1人いるよう聖書の外伝のお話。それが「エヴァ」の元ネタになったんだよね。
富野さんは屈折した人なんだよ。つくづく屈折していると思う。富野さんは「アニメ屋ごときが」とか「自分は作家になれなかった人間ですから」「所詮はおもちゃ屋の宣伝映像を作っているだけですから」とよく言うでしょ?アニメーションという業界自体が社会の吹き溜まりではあったんだよ。挫折した人間が寄り集まって、傷口を舐め合っている感じというのかな。そういう意識が横行していた時代ではあったんだけど、富野さんはその意識をいまだに引きずっている人。僕がアニメ業界入りしたときもそうだったんだけど、僕はその自嘲的な意識がイヤでイヤで耐えられなかった。「なんでそんなコンプレックスを持たなきゃいけないんだろう?」と僕は思っていたし、いまもそう思っている。自分の仕事にもっと自信を持っていいはずだよ。だけど、富野さんはそういうふうに屈折していて、本音を隠しながらアニメを作ってきた人なんだよね。その富野さんの本音が「逆襲のシャア」でいきなり炸裂した。
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押井守監督が「1年に1本」という縛りで選んだ50本の映画をリストアップし、インタビュー形式で語る、という内容。
1968年からスタートし、まずは「2001年宇宙の旅」を解説。すごいすごいと褒めてはいるが、現在はキューブリックへの「愛想が尽き果てた」とのこと。一方、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」については「わたしはレオーネの直径です!」と言い放つ。
こんな具合に押井節のオンパレードである。
つまりこの本で選ばれた映画は、必ずしも好意的な理由で選ばれたわけでは無く、いま押井守が「語りたい」作品が選ばれているのだ。その為、選別基準は様々で、中にはめちゃくちゃにこき下ろしている映画もある。しかしその快刀乱麻を断つような語り口がまあ面白い。
そして、どの映画評も作品の本質を突いており読み応え充分。例えば、セルジオ・レオーネの作品では、映画の「快感原則」を追求するためには「ダレ場」が必要だと論じる。また、「劇場版 あしたのジョー」では「主観的な時間」を描くことについて論じ、映画の本質は時間を映すことだと解説。
作品について語ることもあれば、作った監督に対しての愛や文句を言ったりもする。特にリドリー・スコットに対する愛がだだ漏れ。上記した「主観的な時間」について、「ブレードランナー」に流れる時間は大好きとのこと。なるほど確かに「ブレードランナー」は微睡むような心地よい時間の流れがあるよな〜と、大いに共感した。
対して、「戦場のピアニスト」を「言いわけ映画」の典型だから選んだ、とこき下ろし、「新幹線大爆破」はツッコミどころも含めて、かつての東映の勢いを体感するには絶好の映画だと紹介する。
監督に対しても容赦なく、「タクシードライバー」の項ではスコセッシはどちらかというと嫌いな監督だとばっさり。「ボーダーライン」なんかは、続編の「ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ」に対するダメ出しの方がメインになっていたりする。
個人的には、ただ良いことばかりを書いている映画評よりもよっぽど面白く感じた。もちろん、映画監督としての視点や、切り口の独自性、映画作りへの理解等があってのことだが。
映画は観て終わりではなく、感じたことを言葉にすること、そうして初めて映画が価値を持つ。この言葉は特に印象的。この本は、押井守なりの色んな見方をインストールさせてくれる本で、読めばもっと多角的に映画を観ることが出来るようになるだろう。
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富野さんのホンネが人類粛正なのは、最初から変わっていない。
問題は、ガイゾックやイデのような圧倒的な暴力に「粛正される」ことはあっても、テンパった人間による粛正は絶対に成就しないこと。
要するに、ご当人同様に腑抜けなのであって、だから、ザブングル以降、全てナンダコリャにしかならない。
一方、押井先生の方は、なんでそんなに「スカイ・クロラ」の自己評価が高いの、ということが全く理解不能。
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2025年3月27日読了。押井守が1968~2017年の『2001年宇宙の旅』を皮切りに各年1本の「これは語りたい」と思う映画を50年分50本取り上げインタビュアーに対し自説を語りまくる本。辛口コメントを言うばっかりの人間ではない、ヒット作も野心作も「お仕事」の映画もそれなりにこなす彼の根底には「駄作・名作含め映画を見まくった」という実体験に基づく深い分析と自信があるのだな…と納得。ほめる監督が偏っているとか一方的過ぎるとか何を言われても自分に都合のいい切返ししかしないじゃん、とかの批判はもうこの人には言ってもムダなのだろう。定点観測的に今後もこの企画を続けてはどうか?並の映画監督や評論家ではここまで言いたい放題できないだろう、是非読んでみたいものだ。