科学の意味を問い直す「新しい科学論」の一冊です!
2021/05/05 12:47
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、進化学を中心とする科学史、科学技術社会論、サイエンスコミュニケーションに関する研究を行っておられ、『現代思想としての環境問題 脳と遺伝子の共生』、『動きはじめた人工生命』、『フランケンシュタインの末裔たち 人工生命のワンダー・ワールド』、『生命の見方』、『進化論の挑戦』などの著作で知られる佐倉統氏による著作です。同書の中で著者は、「科学を毛嫌いする反知性主義も、過度に信奉する権威的専門家主義も、真に科学的であることはできない」と言い切ります。そして、科学における「事実」とはなにか?「普遍的な知識の体系」である科学だが、「いつでもどこでも正しい」わけではないのは、なぜか?どう考えればいいのか?といったことを一つ一つ丁寧に解き明かしてくれ、科学の意味を問い直す「新しい科学論」の一冊です!
科学技術に向き合う姿勢を再考させる1冊
2022/05/27 14:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
大風呂敷を広げた書名で、これだけでは「科学の何を述べるのだろう」という印象を受けますが、著者が力点を置いているのは、「科学と社会の距離感をどう取るべきか」という点でした。
現代の科学の最前線は遺伝子を操る生命工学とか、核エネルギーとか、AIもそうですが使い方を間違うと人類の存亡にかかわる技術と直結しています。それを研究し、扱う科学者には「この技術(知見)がどう使われるかまでは興味なし。ただこの技術(知見)を突き詰めたい」などという姿勢は最早許されませんし、また社会を構成する一般の市民にも「最近の科学は難しくてサッパリわからない」という無関心な姿勢では立ち行かないという状況になっています。そこで、一般社会の市民が科学技術とどう関わり、また科学者が社会とどう関わるべきか、というお互いの距離感の取り方について述べた本です。
科学者が考える「科学的知識」と、日常生活における「日常的な知識」が必ずしも一致しないという構図が挙げられています。『美しい夕日を眺め「夕日が沈む」と感じたとき、科学的には”夕日が沈む”のではなくて”地球が自転している”というのが正解ですが、その科学的知識だけをシチュエーションも考えずに振りかざしていては生活が成り立たない』という例が挙げられています。
また、普段の生活では何かの科学的な判断が必要な時(例えば栄養の採り方とか)に、科学者でない限りは詳細な前提条件などはあまり考慮されませんが、科学者はあくまでもその知見が成立する条件に拘ったりします。
そのあたりの行き違いを、お互い歩み寄って理解を深めるべきというのが著者が一貫して主張している点です。ただ、テーマが大きすぎるためその具体的な方法論については、新しい視点や着想を得た印象は受けませんでしたが、本書が採り上げているのは非常に重要な論点だと思いますし、今後ますます重要になっていくテーマだと思うので、今後も誰もが関わっていく必要があると感じます。
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読み終わった。タイトルから原論っぽい印象を受けるが、社会(特に日本社会)における科学のあり方の変容みたいな感じの内容。知らないことがたくさんあった。
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・科学とはなにか、とは、これまで私が考えてきたように普遍的な一意の答えを求めるものではなく、人間社会と切っては切り離せない中で時代にも応じて常に探し続けなければならないことを教えてくれた
・著者の個人的な俯瞰であるとは注釈があるものの、新しい視点を与えてくれて大変な名著であったように思う
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あとがきを読むと、なぜすべての章でアガサ・クリスティーが出てくるのかとか、本書の成り立ちがわかる。まあ、やっぱり最初の自伝的な部分が一番おもしろい。河合雅雄先生から受けたことば「そろそろ、サルの気持ちがわかるようになったか?」とか、飛行機の中で新聞を読んでいて大したニュースはないと言ったら、実はベルリンの壁が崩壊していて、杉山幸丸先生に「どこ読んでるんや」と言われた話とか、笑える。科学技術の歴史などは興味深いのだが、知っている話も多く、やはり当事者研究の話が科学研究の新しい方法論の流れで出てきたのに最も驚いた。ちょうど熊谷さんと國分さんの「責任の生成」を並行して読んでいたから。それと日本の科学技術について。加速器とかと比べると費用面でケタが落ちるカミオカンデなどは、ビッグサイエンスではなくミディアムサイエンスと言うんだ。これは知らなかった。そして、このあたりが日本の得意分野であるということ。浜松ホトニクスのフォトマルの技術は大したものだからなあ。このあたりの話から、最終章で家電の話が出てきたところで、いよいよ梅棹先生の話題が出るのではと思ったが、まったくだった。著者はきっと、河合先生の指導教官でもあった梅棹先生からも影響を受けていると思うのだが。最後に、教育談義になりそうになって、止められてしまうのだが、そのあたりをもう少し展開してほしかった。科学コミュニケーターの仕事も興味深いが、やはり小中学生時代の理科の先生から受ける影響も大きいのではないか。自分自身はまったくそんなことはなく、高校や予備校では影響を受けたように思う。でも、いまの自分の仕事を考えると、小中学生に理科の授業を通して、科学技術に対するものの見方を伝えられればいいなあと思う。あまり、かたよった価値の話はしてはいけないかもしれないが、でもやっぱりそういう話が一番印象に残るのではないだろうか。
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現代社会において科学はいかにあるべきか、一般の人間は科学技術といかに接していくべきかについて、科学の発展の歴史的な経過をたどりながら、読者を丁寧に導いてくれる。
科学の規範モデル、ロバート・マートンが提唱した理想主義的なCUDOSに対する、ジョン・ザイマンが現実の姿だとしたPLACEという対比。
科学者共同体の共有財産として知識を共有するという古典的な知識生産モデルから、特許による囲い込みに見られる経済原理の侵食。
1999年に発表されたブタペスト宣言を、今日的にバージョンアップするための考察。シチズン・サイエンス=市民科学の興隆に向けて。
ほぼ同時期に読んだ『解放されたゴーレム』と重なる部分もあり、科学技術と社会との関係を良いものとしていくことが、正に現代的課題であることが良く理解できた。
各章のエピグラフは、すべてアガサ・クリスティーの作品からの引用である。著者はおそらくクリスティーファンなのだろうが、まさか科学に関する記述がこんなにクリスティー作品にあるとは驚きだった。
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科学とは誰のためにあり、何のためにあるのか。
科学は、事実を語るもので価値を語るものではない。価値を語るのは、人文である。
専門家の鼻持ちならない上から視点はあかんし、科学的視点のあやふやなシロウトの傲慢もまた、害である。答えはその間のどこかに。
必要なのは、科学の「縁側」。
玄関から正面切って科学どやさ、ではなく、ちょっと気軽に上がって、気軽に話ができればいい。
そう言うことなんだろうね。
科学知識は絶対に必要なのだが、生活に必要なのは、必ずしも、科学的な視点ではない。そこに矛盾がある。
読みやすいし、全体に納得なんだけど、人文的価値に立ち入ると弱い感じ。
そっちの知識とか知見が十分とは思えないが、簡単に語ってしまうところは、科学的知見のないシロウトの傲慢と通じるところがあって、面白い。
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科学について語っているのは間違いないし,大事な側面について語っているのだけど,「科学とはなにか」と言われると個人的には「科学研究」あるいは「科学とはどういう営みか」と感じてしまう。
そういう側面がないわけではなし,科学とは科学研究だけではないので,私の認識の問題(偏り)でもあるけれども,本書はどちらかというと「科学知とはなにか」の方が適しているように思う。
でも,実は私のこの認識(科学とはなにか=科学研究or科学とはどういう営みか)自体が古臭いもので,その認識を改めようとした本なのかもしれないと思う部分もある。
10年後にまた読んでみたい。
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正直なところ、作者の思い出話しとか科学の歴史とか、第4章まで眠い。読み飛ばせばいい。
本書は第5章から本筋が始まる。ここの出来は良いと思う。
本書はブルーバックスです。
全てのブルーバックスの最終ページにある「科学はむずかしいという先入観を改める表現と構成」なる言葉から逸脱したような本書は誰に書いた物なのだろうか。
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自身の体験や、科学の歴史的な歩みを追いながら、科学と社会の関係を俯瞰的にみつめ、科学技術のあり方や向き合い方を提案してくれる。示唆に富んだ本。
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トランスサイエンスやコミュニケーターなど、科学と社会を繋ぐ役割を考えさせられた。社会科学出身者が自然科学と向き合うためにも有用だと思う。
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天動説と地動説の使い分けは非常に面白い例だった。
科学は絶対的な事だと思っていたが、恣意的な解釈になっていたのも意外だった。
またSTAP細胞の例でもあったが、間違った(検証不可)論文発表の多さも驚きであった。
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人々が科学・科学技術とどう関わってきたかという歴史と、
これからどう関わっていくべきかというひとつの指標を
著している。「科学とはなにか」と言うよりは「私たちに
とって科学とは何であったか、何でありえるか」という
ニュアンスの方が近いか。特に、他の何処でもない日本に
住む日本人人としてどう科学と向き合っていくかということ
を考えているところが興味深かった。科学・科学技術とどう
向き合うかということは、ウィルス陰謀説や地球温暖化は
科学者の嘘などという言説が大手を振ってまかり通る今、
ひとりひとりがきちんと考えないといけないことなのかも
知れない。
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科学とどう付き合っていけばいいか、ずっと知りたいと思っていたことへの答えをの一つバチッと知ることができました。
「論文によると〜」というようなセリフに対して、これってどのぐらい信じていいことなんだろう、という疑問を自分は以前から感じていました。
この本では、その疑問への解を提示してくれてると思います。
科学的事実が確定されていく仕組みや、科学界の内情を紹介する章はとても面白く読むことができました。
また、「科学的事実と価値判断を混同してはいけない」というルールは科学に縁取られた世界を生きる上では極めて大切だと思いました。少し遅めかもしれないけど今このことを知れたことに感謝しています。
最近自分と接点の多い子育て関係の情報には本当に嫌になるくらい事実、価値判断の安易な結び付けが横行しています。
大切なのは自分がいま、ここでどう行動したいか、どう生きていきたいかを考えること、それを実現するために科学を利用、飼い慣らすことだと知り、考えることがもっとシンプルになる気がしました。
価値判断を考える学問である人文学はどう考えても世の中にとって重要であるし、自分個人でもちまちまと勉強していきたいと、改めて思わされました。
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科学そのものというより科学技術と社会の関係を中心とした科学技術史という感じ。期待とは少し違った内容だったけどあまり考えていなかった視点や角度もあり楽しめた。特に面白かったのは日本における科学の受容のされ方で明治時代に「科学技芸」という語が使われていたこと。職人による技術や言語化し得ない感覚も含む「◯◯道」との境界が曖昧な受容は、例えば帝国日本軍部の兵士の技芸や精神に至上の価値が置かれたことにもつながりそう。
科学が社会に利するためのものであるか、それと科学が明らかにする「事実」とは別物かという話の歴史的推移も面白かった。