紙の本
わたしを攫って行つて呉れぬか
2022/05/06 06:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学者としての研究の道か、文学者としての歌人の道か、それに結婚を誓う恋人がいて、自殺未遂を為すほどに悩んだ青春期、それでもその時代を辿ろうと歌人で細胞生物学者の確固とした地位を築いた永田和宏氏が決断したのは、2010年8月に乳がんで亡くなった妻で歌人の河野裕子さんが残した青春期の日記と手紙があったからだ。
亡くなった人とはいえ、個人的な日記を読み、そしてそのことを文章にする。
そのことに「強い困難と逡巡」があったことを、永田氏は「はじめに」で綴っている。
しかし、二人の長い交際のあと結婚に至るまでの日々を描くことで、永田氏は歌人河野裕子の青春だけでなく、自身のそれをも描き切っている。
互いの高名な歌人として生きた二人にとって、時にぶつかり、時に慰め合ってきた長い時間の果てに、すでに亡くなった妻がまるでこの世界に舞い戻って、ともに自分たちの青春の、美しく、悲しく、切ない時間を、永田氏の執筆を支えてきたような気さえする。
河野さんは1946年生まれ、永田氏は1947年生まれ、そんな二人が出会い、邂逅した青春期はまさに学生運動が盛んな時期であった。
そんな中、河野さんは二人の男性への思いに悩み、歌を詠み続ける。永田氏は自身の将来への方向に悩み、歌を詠んでいく。
おそらくここに記された青春期は決して特異なものではないだろう。
きっと多くの若者の心情にシンクロするだろう。それゆえに、この書はこれからの青春期の一冊として読み継がれていくような気がする。
投稿元:
レビューを見る
何がきっかけだったか、、同じ作者の「歌に私は泣くだらう」を何年か前に手にとった。筆者と妻、河野裕子との日々を綴ったものだった。歌人の夫婦、歌人というのは、こんなにも率直に歌を詠むのか。歌に全てさらけ出せるのか。と驚いて、感銘を受けた。その記憶があったので、この本の内容にも、興味を惹かれ、読ませていただきました。ご本人の生い立ちに始まり、お二人の馴れ初めから、結婚に至るまでを、やはり、極めて個人的なことも隠さず綴られてます。そして、至る所に散りばめられた、短歌が、心を打ちます。書かずにはいられない、詠わずにはいられない、内なる情熱にも、感銘せずにはいられなかった本でした。
投稿元:
レビューを見る
強烈な印象を残す本。
男女二人の出会いの過程が
それぞれの目線で、
繊細な織物のように鮮やかな
「ことば」で紡がれていく
モヤモヤした想いも、
燃え上がる想いもそれ自体は
多くの人が経験するが
共有されることは稀。
妻を亡くして、一人この本をまとめた
著者の心情にもドラマを感じた。
投稿元:
レビューを見る
このようにしか私たちには生きられなかった・・
大学時代の出会いから結婚までの5年間を、赤裸々に綴った青春の記。二人が詠んだ短歌に秘められた衝撃の事実が明かされていく。
ドラマよりも小説よりもこの一冊に心が揺さぶられた。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに
息が足りないこの世の息が (絶筆)
歌人の河野裕子は2010年、乳がんのため64歳で亡くなった。
妻が遺した日記と300通を超える往復書簡。
著者の永田和宏はこれを開くべきかどうか、長い間迷い続けたと言う。
愛の記憶を手繰り寄せながら「自分は河野にふさわしかったのか、ほんとうに俺でよかったのか?」と、答えを探す男の姿が見えてくる。
陽にすかし葉脈くらきをみつめをり
二人のひとを愛してしまへり
たとへば君ガサッと落葉すくふやうに
私をさらつて行つてはくれぬか
詠まれた日の日記には、「永田さん、あなたもNさんも 同じ位同じだけ好きな 阿呆な私を、どうぞ つき放さないでおいて。」と書かれていた。
河野裕子が、"たとへば君"と呼びかけた相手はどちらだったのか?
(どうにもならないこの気持ちごと
どこか遠くへさらって行ってほしい)
二人の間で揺れる思いが悲痛な叫びとなってうたを詠ませたのだろうと思う。
母を知らぬわれに母無き五十年
湖(うみ)に降る雪ふりながら消ゆ
継母との確執、大学院の入学試験に失敗し初めての挫折を味わう永田和宏。
河野との婚約、結婚の約束が重くのしかかり、ついには・・
著者が歌人という表現者でなければ、この本はたぶん書かれていなかっただろう。 読み終えて数日経つが、気持ちの揺らぎはおさまりそうにない。
大切に置いておきたい本との出会いに感謝したい。
投稿元:
レビューを見る
妻の遺した日記に、夫の日記、回想、双方の手紙を挟みながら、二人の出会いから結婚に至るまでの出来事、心の動きが、その時詠まれた歌とともに綴られていきます。稀有な才能の二人の真摯な青春の実録であり、叙情性に満ちたサスペンスのようでもありました。何より河野裕子さんの著者を愛し抜こうとする気持ちに心を打たれました。
投稿元:
レビューを見る
河野裕子の情熱的で一途な熱い生き方に感動する。
そしてひいては二人の恋愛を通じて人間の愛の深さに心が震えた。
投稿元:
レビューを見る
短歌は、1首だけならすごくいいなと思うんだけど、というか本当はすごく好きだと思うんだけど、短い言葉にあまりにもたくさんの思いが凝縮されていて、あと、短歌の中にあるリズムをつい探してしまって、いくつも読むのはすごく疲れるので触れないようにしてきた。
この本は短歌集ではなく、合間合間にそのときを詠んだ短歌があるのが私にとってはちょうどよくて、堪能できた。
思い詰めて倒れてしまうほどの恋って、そんなことあり得るのかと思ったけど、読んでいくとすごくわかる…。
才能と才能が運命的に出会って、
でもその運命がもう1つ現れる。
2人の運命の人に引き裂かれるような思い。
これは小説や少女漫画の世界ばりの苦悩…!
あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年 永田和宏『メビウスの地平』
私には短歌をどこかパフォーマンス的に感じてた部分もあったけど、短歌に詠まれた言葉が、どれも短歌のためにあるのではなくて、短歌にすることでようやく表せる言葉なんだと感じられた。
投稿元:
レビューを見る
永田和宏は、歌人であり、生物学者である。有名な歌人である河野裕子と1972年に結婚したが、河野裕子は2010年に亡くなる。河野との最後の日々を綴った著書に「歌に私はなくだらう-妻・河野裕子 闘病の十年」がある。本書は、主に、河野裕子との出会いから結婚までを、河野の日記や短歌を用いながら描いたものである。
読後の感想は2つある。1つは、若い頃の著者・永田和宏の情けなさ。そして、もう一つは、当時から現在に至るまでの永田和宏の正直さ・誠実さ。
京大生であった永田和宏は、京都女子大の河野裕子とつき合い始める。それは、軽いつき合いではなく、お互いの魂を求めあうような激しいつき合いである。3年生になった頃から永田は悩み始める。河野裕子、および、彼女の両親が、早く結婚したがっていることに。もとより結婚することに否はないが、早すぎると永田は考えている。それは、永田が学者としての道を歩むために、大学院に進学を考えていたこと、また、歌人としても身を立てたいと考えていたこと。結婚・進学・歌の道の3つをどのように両立させるかを悩んでいたのである。悩み過ぎて、大学院進学の勉強に身が入らず、大学院受験に失敗してしまう。そして自殺を試みる。その後、働き始めた河野裕子を妊娠させてしまい、中絶させてしまう。そして、その時には知らなかったことであるが、河野裕子をも自殺未遂に追い込んでしまう。結局、永田はいったん就職をし、河野と結婚する。その後、再び大学に戻り研究者の道を歩むと同時に、短歌でも身を立てることに成功し、河野も有名な歌人となる。追い込まれて自殺を図る、そして、河野を妊娠させてしまう永田は格好悪い。
しかし、そのようなことの詳細を、赤裸々に、詳らかに永田は本書にしたためている。河野の当時の日記や短歌、自分自身の当時の短歌や記録を用いながら書かれている。このような記録を書く作業は、とんでもなくつらい作業であったはずである。自分がとった行動に対しての後悔や恥ずかしさ、また、それが河野を傷つけたことに対しての悔恨の念。そのようなものを感じながら書いていたはずである。そこから逃げずに、最後まで書ききった永田和宏は、正直で誠実な人であると信じることが出来る。
永田と河野の短歌には、このような激しい感情が表されていたのだということを知ることが出来たこと、というか、短歌というものが、そのように出来ているものだということを知ることが出来たことも、本書を読んだからこそ。
投稿元:
レビューを見る
最近いわゆるエッセイ?的なものを読んでないなぁと思い、以前NHKで見た永田さんドキュメンタリーをきっかけに積読してた本作をやっと読了。
一瞬を言葉で切り取る短歌の魅力に触れつつも、永田さんがこの文筆のプロセスで振り返り再度なぞり直した河野さんとの日々。
河野さんの「女は生と死を孕む」に落涙。
誰かと出会って好きになる。
誰かや何かの比較なんて何の意味もないと思えるくらい、自分の中から湧き出す衝動と感情。
その快楽と悦楽と幸福感と同じくらい、だからこそ自分でよかったのか、と惑う苦悩。
苦しい、でも幸せ。
幸せ、でも苦しい。
それを注げる対象のいる奇跡。
ああ、ほんと、生きるってコレだと思う。
昨日も今日も明日も、これからも彼を愛して共に歩んでいけることに感謝。
投稿元:
レビューを見る
この本に基づくNHKだったかのドキュメンタリーを見て原作を読みたくなった。
河野裕子さんの歌が好きで、この歌人が生涯にわたり書き記した日記や歌を読んでみたい気持ちからだったが、ちょっと肩透かしを食らった印象。
永田氏が書いているから仕方ないんだろうけど、河野さんよりも永田氏の青春の痛みを描いた本という印象。
2度の大学院受験失敗、自殺未遂、初体験で妊娠させた挙句、無責任にも女の方から中絶を言い出させたことなど永田氏への見方はキツくならざるを得ない。
しかしそんな男に生涯愛を与え続けて、「このようにしか私は生きられなかった」と言い切る河野さんが清々しい。
だけどその言葉を借りて永田氏が「そのようにしか私たちは生きられなかった」と言うのはちょっとズルい気がするな〜。
もっと河野さんの歌を読みたい。
投稿元:
レビューを見る
買おうかとおもっていたが、図書館で貸し出していたので6月に申し込んだら11月初めに届いた。貸し出期間二週間なのでいそいで読もうとしたら、読み出したら止まらず一週間で読み終わった。永田先生夫妻の結婚までの恋愛記であり、大学闘争と短歌にのめり込んだ大学生活の青春記です。先生の出自の苦悩など、赤裸々に語っている結婚までの半生を短歌を織り交ぜ語り書けてます。文庫本になったらすぐに買おうとおもいます。
投稿元:
レビューを見る
共に歌人である永田と河野の若き日々を、二人の日記や歌集を元に、永田自身が著した。
自身の語りづらい出来事までも、正直に振り返っていることに驚く。永田氏は、こうやって河野裕子を失ったことを納得させていくのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
凄い本ですね、奥様(河野裕子さん)の遺品整理過程で見つかった、奥様の青春時代の日記(そして自分の日記)、そして手紙の数々(奥様の、そして、自分の)。奥様の没後10年を経て、ようやく遺品の数々を読み始め、思わぬ形で悩める(奥さんも、そして永田さんも)青春の日々が蘇る、という展開。そして折々に詠まれた、お二人の短歌(詠唱というのでしょうか)の数々。半世紀ほど前の昭和の時代の青春の物語、として読み進めてますが、なんとも凄い本です。★四つです。
投稿元:
レビューを見る
ここまで、書けるんだ、あるいは、ここまで書くんだ、まあ、そういう驚きの連続でした。ボクたちが、テレながら、笑ってしまう「愛」ということを信じている人がここにいます。
「わたしは、ウソは書きません。あったことは全部書きます。そこに今の私がいます。」
と、自らの人生を、母の死、後に妻となった女性との出会いからたどり直そうとなさっている様子には、青春回想記と云ってしまえばそれまでですが、やはり胸打たれるものがありますね。
そういうふうに生きている歌人がココに立っています。
ブログにもあれこれ書きました。よろしく!
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202403070000/