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投稿者:ママさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
心の闇を探っていくような気持ちで読み進めました。
誰にでもある意味ある事ですが、それがとても大きな時、きっと人は心を失くしてしまうのではないのでしようか。
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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
追記されたってことで、単行本から再読。
「光」はなくても全く問題なかったけど、
あったほうが、明るい未来がよりわかりやすいかな。
紙の本
ヘビー級
2024/04/10 08:55
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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
登場する人物たちがロクでもなさすぎて読み進めるのに苦労する。
そして、失踪した弟・希望(のぞみ)に対する兄・誠実(まさみ)の勘違いが
最初の段階で読み取れたので、これがクライマックスなのか?と不安感もあったり。
それでも読み切ると読んでよかったと思える作品。
内容的に重くて次に寺地さんの作品を読むまで間隔がいるかな、
と思いながら読んでいたけれど、
最後まで読み切った今、次の作品を探している。
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今回もしっかり突きつけられます。わたしの中で、突きつけ系作家男性は朝井リョウ、女性は寺地はるな。しっかり痛いの。でも、これは生きている限り必要な痛みだと思う。
本作は、主人公不在で進むストーリーから、朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』を彷彿とさせます。じっくり、最後の一文まで、しっかりと希望くんとはどんな人物だったのかを考えさせられます。
p.77 出張の準備は、いつも自分でする。自分のことは自分でやる、そういう自立した夫婦になろうね、と結婚前にふたりで話し合った。
風呂上がりに下着とタオルとパジャマの用意がされていなかっただけで激怒するような、そんな父のような男になりたくはなかった。箸のありかもわからない、洗濯機の動かしかたも知らない。あまつさえ、それを男らしさの証明であるかのごとく、周囲の人間に声高に話して聞かせる父のような男には、死んでもなりたくない。
p.84 誠実と希望。よくもまあ、そんな名前をつけたものだ。
希望。明るい言葉のようでいて、じつはなにもたしかなことはない。先のことはいつだってあやふやだ。すでに何百回と思ったことを、線香をあげながら思う。
位牌の横の写真の父はにこりともせず、真正面を睨みつけている。実家に来た時まず仏壇に手を合わせるのは「そうしなさい」と子どもの頃に嫌けられたからで、そこに意味はない。故人を敬う気持ちなど微塵もなく、ただ機械的にロウソクに線香をかざし、両手を合わせる。
「みっともない」という言葉を、父はよくつかった。世間様に対して、みっともない。
子どもを見ればどんな親かよくわかる、とも言い、だから態はきびしくしろと、妻に命じるような男だった。みずから巣をするのではなく。
お前らがみっともない真似をすれば俺が恥をかく。父の言う「お前ら」には、母も含まれていた。父の意識は常に家の中でなく、外に向く。「世間様」がせいぜい会社の同僚や近所の数世帯のことだと知ったのはいくつの頃だろう。でもその頃にはもう「みっともなくないこと」が自分の行動規範として染みついてしまっていた。
p.258-259 弟さんに対する全員の印象がバラバラなのは、それぞれが自分が見たいものを投影してたからなんじゃないでしょうか」
勝手に期待されて勝手にがっかりされた経験があるでしょ、柳瀬さんあんたにも、という高遠の言葉の意味がわからなかった。
「どういう意味ですか」
「やさしい人だと思ってたのに違った、とか、あなたにはがっかり、とか女に言われたことないですか」
「ああ…・・・・・」
数え切れないほどあるが、正直に認めるのは熱だ。軽く関堪いをしてごまかす。
「そういう時に、勝手に期待してんじゃねえよなんて言えるのは「ほんとうの自分はこうだ』ってのがある人間なんでしょうね。俺はこうだ、こういう人間だ、っていう明確なイメージがある。もちろん思いこみの可能性もあるんでしょうけどね。けど弟さんは違う」
「違う」
「期待に応えようとしすぎる。たぶん相手の欲しがってるものがわかりすぎるんでしょう。自分には関係ないと無視することもできない」
俺の息子は十歳で。���突に高遠の話が変わったが、誠実は黙って話の続きを待った。
以前は「ガキ」と呼んでいたが、なにか心境の変化でもあったのか。
息子か。どうやら男子だったらしい。
「思ったことをそのまま口にするんです。自分の中で順番とか習慣がかっちり決まってて、それを乱されるとパニックになる。クラスの連中にも興味がなくて、顔も覚えられない。当然空気なんか読まない。人の気持ちなんかはなから知ろうとも思ってないみたいに見える。わかりますか?そういう人間がいるってこと」「なんとなくは、わかるつもりです」
「息子は世間的に「普通じゃない」ってことになってる。生まれた時からずっとはみだし者、邪魔者です。だけど柳瀬さん、あんたの弟さんに比べたらあいつはずっとまともだと思いますね」
「弟はまともじゃないと言いたいんですか」
「他人が欲しがってるものをひたすら差し出し続ける人間は、きっとどんどん心が空っぽになっていくんです。自分の意見じゃなくて相手の言ってほしいことを勝手に淡み取って口にするような、他人の欲求を際限なく受け止めようとするやつは、それこ20 そ燃密かなんかの類に思える。気味が悪い」
弟は妖怪なんかじゃないです、と反論する声が裏返った。すみません、と高遠は肩をすくめたが、申し訳ないとは露ほども思っていなさそうだ。
「・・・・・・希望は周囲からそんなふうに扱われるのが嫌で、消えたんでしょうか」
誠実の呟きに、高遠は反応を示さなかった。ぼんやりと壁のほうを眺めている。
俺は息子が、となかばひとりごとのように高遠が呟いた。
「あいつがあいつで、ほんとうに良かったと思ってますよ、今は」
p.284 の希望が、放火犯の疑いのある女性と共に失踪したらしい。
兄である誠実のもとに、母から突然連絡が入るところから、物語の幕は開く。
ミステリ、逃避行、果たしてどう転ぶのか。続きが気になりぞくぞくする感情と共に、物語に向き合う覚悟を固める。
今回、私は何をつきつけられるのだろう。
寺地はるなは、人間の心の奥にあるものをむきだしにする作家だ。自分では全く意識していなかった、噛いは想像すらしていないものを、彼女の書く物語は洗い出し、
つきつけてくる。
寺地作品には、世間から、「変な人」「だめな人」といったレッテルを貼られていたり、抱えている病気ゆえに周囲から理解されづらい行動をしたり、といった人物が多く登場する。
二〇二一年に刊行された「雨夜の星たち』の主人公は、他人と関わることに不器用で、自分のルールで人生を歩んでいる女性であり、二•二三年本屋大賞にノミネートされた「川のほとりに立つ者は」では、ディスレクシア(発達性読み書き障害)を持つ人物をキーパーソンとして物語が展開する。
彼らに寄り添う人々や、家族との関係性を描いてゆくというのも特徴のひとつであろう。
『ガラスの海を渡る舟』には、今作と同じく「きょうだい」が登場する。自分には秀でたものがないと思っている妹と、才能も何も気にならない兄。ふたりの感情が次第に重なってゆく様子が描かれる。
また河合隼雄物語賞を受賞した「水を縫う」は、世の中の「当たり前」に生きづらさを抱えている人たちの背中を押す家族���説だ。「当たり前」ではないかもしれない、しかし互いを想う気持ちにあふれる家族の姿がそこにはある。
繊細で職く、鴨つきやすい人間の心の切実さをありのまま描くことで、寺地さんは小説を通して私たちに問いかけてくる。明確な答えは示されない。
その答えはあなたが感じることだと、強くて優しい筆致が心に投げかける。
もう知っているように思っていても、この生きづらい世の中で、知られていないこと、知らなかったことはいっぱいある。知ったような気になってはいないかと自分自身を深く見つめ直す機会を、いつも与えてもらってきた。
今作「希望のゆくえ』は、私たちにどういう問いかけをしてくるのか。一体、なにを洗い出されるのか。つきつけられる怖さを感じつつ、物語に没頭してゆく。
p.290 希望は、親のいうことをきくことで、価値観を押しつけられ、断ってはいけないという気持ちを植えつけられた、いわゆるアダルトチルドレンだ。
他人への肯定に常にまわってしまう。期待される言葉を続ぎ出すだけの空つぽな自分。良い息子、すてきな彼氏、いい人、本当は、そのどれでもない。希望はそんな、自分に耐えられなくなって逃げだしたかったのだろう。
私も考える。自分は人に何かを押しつけ、奪いとっていたことはなかったか。
先述した真珠貝のシーンを覚えているだろうか。誠実に対する希望の想いが、最後の最後に明かされる。
「すごいなあ、兄ちゃんは」
この解説を先に読んでいる読者のために、ここでは詳しく書かないでおくが、その一言に込められた希望の切実さは、痛々しすぎる。
希望は、兄を馬鹿にしたわけでは決してなかったのだった。むしろ、誠実を羨ましく思い、空っぽな、真珠になれない自分への絶望を口にしていたのだ。
考えもしなかった希望の想いを知り、誠実は思う。真珠になんか、なれなくったっていいじゃないか。
その言葉に、花丸をつけて、希望に伝えたい。
空っぽということは、今から自分で満足できるものや好きなものを詰めこむことができるんだ、という言葉も添えて。
希望は、体と心が失踪していた。誠実は心が失踪していた。誠実は希望のゆくえを追うことで、自分の心の歪みに目を向け、自分の本当の姿を見つめざるを得なくなった。弟の苦しみを知ることで、弟に今までとは違った感情を覚えることができた。
しかし希望は失踪以後、実際には誠実の前に登場していない。不在という事実と記憶で、実在を得る。いることで知りえなかったものが、いないことで浮かび上がるこの構成が秀逸すぎる。
人は名前を付けるとき、願いをこめて名前を付ける。
「誠実」(まさみ)も「希望」(のぞむ)も、現状ではまったく似つかわしくない。それでも、寺地さんが彼らにこの名前を付けたのには、「失踪した心を見つけることができたその日には、どうか本当の意味で真心のある人間になってほしい。未来に望みがあると思ってほしい」という祈りが込められているのではないかと解釈した。暗闇のなかから光がさしてきた。
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小説って、人間関係の温かな爽やかな部分に救われるものと、人のいやな部分・負の感情にひたすら共感できるものと2種類あるように私は思っているのですが、これは後者の小説。
タイトルの「希望」は人名です。ゆくえをくらました弟を、兄視点(毒親と不倫妻)、弟の周りの人(斜に構えている同僚)の目線から描いていくもの。
最後に彼の空っぽだった箱がなにかで満たされますように。
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弟の突然の失踪から、行方を追う兄は関係者の語る姿を通し弟の複数の顔を知る。本当の弟はどこかー
面白かった。
今時で言う、毒親育ちの兄弟。機能不全家族。
弟の姿追いながら、自分が目を背けてきた事に向き合う。
本当の姿とか、
他人に与えつづけ、自身はからっぽな人とか
タイムリーに考えていたことが題材でドンピシャでした。
複数の顔とか本当の姿とか、関わる相手によって変化することは当たり前。どれもが自分自身。
与え続けて自身はからっぽな人…
からっぽな人って怖い。相手の欲しい物が分かってしまうから、なんでも与え、なんでも肯定する。寧ろ傲慢では。と感じる。
頼んでもいない事を一方的に与えて、最後疲れて消えるって。どうしていつも被害者側にいるんだろう。
最後からっぽだった弟が気づけて良かった。
兄も自身と向き合えて良かった。
登場人物皆、性格が悪いと寺地さんが言っていたけど全くそんなことは思わなかった。
良い人、悪い人で人間はわけられない。
生きてる中で、いい時もあるし悪い時もある。
明確な答えがないけれど、寺地さんの作品は考えるきっかけをくれる小説。
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最初は登場人物が誰も好きになれなくて、それでいて胸がざわついて私も誠実と同化して希望を追い求めてしまった。いい人じゃない事、立派じゃない事の方がむしろ当たり前なんだって最後には着地出来ました。オリジナルのラストも良いし、文庫化で新たに付け加えられた部分も良かった。何も重すぎる荷物を背負わなくてもいいんだよと言ってもらえた気がします。
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どんなに幸せそうに見える家族、良い人に見える人でも裏はある。家族なのにそれぞれの見え方は違う。家族のことを知っている、わかっているのか不安になった。
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感涙エール小説、って帯に書いてあって買ったけど、エール小説では無い気がした。
結局最後まで希望は誠実に何かを与え続けていて、そういう意味では希望は最初から最後まで与えすぎてしまう人だったのかもしれない。でも、これまでと違うのは与えられるだけでなく、与えられた誠実が希望に与えることができたことで、それが大事なんだろうと思った。
寺地はるなさんと言われると昔読んだ「どうしてわたしはあの子じゃないの」が印象的で、そういう本を書く人だと思って手に取ってしまったので少し違くてきちんと読めなかったきがする。今度はまた、心をリセットして読みたい。
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寺地はるな『希望のゆくえ』
2024年 新潮文庫
失踪した弟とその兄、そして彼らを取り巻く人々を主人公とした物語。
みんなが家庭、親との歪ともいえる愛と環境の中で育ち、心と未来を見間違えてしまっているような。
弟はなぜ失踪したのか、どこにいるのかを兄が探し始めるとともに、それぞれの過去やトラウマと向き合っていきます。
でもそれぞれがちゃんと過去と向き合い、逃げていたことへは向き合い、また誤解は誤解と受け止め、そして未来や夢の希望を探し始めることができて本当に良かったです。
兄弟(誠実と希望)もお互い認め合い、今頃はちゃんと目を見て話しができているのではないかなと思っています。これは僕の希望だけど。
読了後の浮遊感が心地よい素敵な作品でした。
#寺地はるな
#希望のゆくえ
#新潮文庫
#読了
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人の顔色を窺いながら生きる辛さを感じました。一方、何があったのか知ろうと行動し続けることも時には必要だと感じました。
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登場人物の言葉が、グサグサきたり、若い頃に感じて上手く言語化出来ずにいたモヤっとした感情が思い出されて辛い
断れない人…
一緒に居る人の顔色や機嫌を窺って疲れ果てたり
心が抉られると同時に溜飲を下げる描写もある
悪い人といい人の間にグラデーション
悪い人もいい事をするしいい人も悪いことを心に思い描いたりする
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世間体ばかり気にして、経歴や見た目をひたすら磨いている自分が苦しくなる
でも中身を磨きたい、評価されたいとがむしゃらになってることもまた幸せではないかと思えた。
期待に応えたいと過剰に合わせてしまう弟と重ね合わせてしまった。いつしかそんな自分に慣れてしまったが、私も彼のように変わりたい
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掴めないような掴めそうな、ふわっとした感じがしました。
嫌いじゃないけれど、一節もやっとすることがありました。
モヤモヤな毒親だらけではありましたが…それらは置いておいて。わいせつ行為で他人に加害したことを母親のせいとか、他人のせいにするのは聞いたことありますがそのことを深くケアせず文中にポッと出てきてスルーされてしまうと、そうなんだと思う男性が野放しになったら嫌だなと思いました。
加害者は女性もいますが圧倒的に件数は男性加害者が多いのと、男性は男性加害者に対して何故か甘いところもあるので、過去に酷い目にあったらわいせつなこともしてしまうよね、なんておかしな見方が広まることが止まらないのは嫌です。
あの一節が必要なものだったのか、やや無神経なのではとモヤモヤしました。
タイトル、シンプルに「きぼうのゆくえ」と読んでいたので実は…のところは読み始めてわかるのが仕掛けになっていてそれは面白かったです。
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付けも付けたり、兄弟の名前が、兄が誠実(まさみ)で、弟が希望(のぞむ)。これだけで、タイトルの意味がガラッと変わります。
しかも、こんな素敵な名前を付けた両親がまた、なんというか…この父親の酷さはかなり腹が立つ。
というか、それ以外にも、いろいろな家族関係が語られ。最近よく聞く「毒親」という言葉が浮かびます。個人的には、毒親って言葉、嫌いですが。
自分も親でもあるので感じるけれど。。。親も人の子、誰かに育てられた時期があり、誰しも育った環境での接した人の影響は受けると思う。でも、生まれながらの性格も絶対あるし。
例えば、両親が同じように接して育てたつもりでも、兄弟姉妹で、性格が同じになるわけじゃない。
自分自身も、弟とは全然性格違うし、でも似てるところもあるのかもしれない。今思えば、父はザ・昭和の父親だったなあと思う。けれどそれも、何十年経つと、笑い話になってたりする。
寺地はるなさんの作品は、まだ3作しか読んでないけれど、とても読みやすい優しい文体ながら、『自分と他人とは違うということ。人それぞれの生きづらさ、その形も種類も違うということ。でも、それを抱えて生きていって良いのだ』ということが主軸になっている気がします。
やっぱり自己肯定感が低いのって良くないなって思う。(特に日本人はその傾向強いよね)
私は私が好きで(笑ってもいいです)それは別に、自信があるとかそういうことじゃなくって、だって、自分は自分の人生しか歩けないし、自分を一番愛してあげられるのは自分じゃん、と思うからなのです。
基本、ミステリー派なので、グイグイと謎解きを楽しみ、本の中に没頭するのが好きな私ですが、そういった作品の合間に、時々差し込むように、寺地はるなさんの作品、これからも読んでいきたいなあ~と思いました。心がふんわりとリセットされる気持ちがします。