投稿元:
レビューを見る
エッセイでありながら、どうにも眉唾な感じがしてならない。『深夜特急』のファンだっただけに残念である。
ただし、そんな感情を持ってしまった裏には、旅行ができる作者に対する嫉妬があるのかもしれないと気づいた。
投稿元:
レビューを見る
ややキザなところがかなり苦手なんだけども、しかし誰よりも共感できて、使われる比喩でここまでスッキリできる作家もいないんだよなぁ。
三島に対する、『なにをかくか』ではなく『いかにかくか』なんて分析もモロビンゴ。
なかなか上手く表現できないで自分の中に沈んでいる考えを綺麗に掬いあげ、絶妙なレトリックで磨きあげて誰にもわかりやすい形にしてくれる、そんな感じ。
イヤ、これってマジでかなりの快感。。。
何にも増して『キザ』ってのがダメで、そう感じる作家の作品はまず2度と読む事はないんだけど、キザでも唯一許せる作家が沢木耕太郎かも。
投稿元:
レビューを見る
1982年から10年間の間に書かれたエッセイや書評をまとめた本。『路上の視野』の続編という位置づけです。やはり僕にとって一番興味深く読めるのは、「第1部 夕陽が眼にしみる:歩く」。中でも「異国への視線」で展開されている小田実『何でも見てやろう』論、吉行淳之介『湿った空乾いた空』論は秀逸です。第3部に収録されている「彼の視線:近藤紘一」も、何だか泣けるなあ。
文庫本は、『路上の視野』同様3冊に分けてまとめられています。
投稿元:
レビューを見る
面白いんだけど、なぜか途中で飽きた。沢木氏の書くものはいつもそんな感じ。他に本がなかったので全部読んだけどさ。
投稿元:
レビューを見る
この本はエッセイだけど。旅のお話と氏が読んだ作家たちのお話が半分ずつ書いてある。ちょっと不思議だなあと思ったのは。色川武大とか開高健とか藤原新也とか。自分の好きな作家たちが本書に登場するんだ。こういう自分の好きな人たちばかりで囲まれた感じがいい。その主催者が沢木氏なわけだから。ボクの変態度はUPする。多くの旅の写真展にはなぜか子供と老人ばかりなのはなぜか。そう。旅人は自分の中は世話しないが現地に飛び込めば彼らと同じ暇人なのである。声をかけてくるのも子供や老人。他の忙しくしている中間層には出会わない。むむ。夏に向かってまた例の旅虫が騒ぎ出した。
投稿元:
レビューを見る
沢木耕太郎80年代後半あたりのエッセイや書評をまとめた本書。
「旅」に関連したエッセイはさすがの一言に尽きるが
書評になると、若干思い入れが強く偏向的なためか、理解し難い文面が目立った。
まぁそれは書評が「だめ」というよりは、わたくし個人の力量不足のせいかと思われる。
文章から著者の内面性を探るまなざしは、ジャーナリストとしての沢木哲学が透徹されている。
投稿元:
レビューを見る
私自身が取り上げた作家の作品を読み込んでいないため感情移入がしにくかった。
しかし、山口瞳の「血族」を読んだあとだったので、山口瞳はスタイリッシュで、激しい人(いけてない人を拒否する)というイメージだったが、「すべての作品は、自分に固有の1点を求めるためのもの。否定することで1点を求めようとした」の1文が心に残った。
投稿元:
レビューを見る
★★★2017年7月レビュー★★★
正直言って、あまり印象に残るものはなかった。
「紀行文」について論じたエッセイは面白かったが、ほかのものは内容をあまり思い出せない。
投稿元:
レビューを見る
最初の方の文章は著者の体験や考えなどで興味深いけど、それからは他の作家の書評や人物評になり、それら作家に馴染みがないので、どうしても興味ご湧かなかった。
投稿元:
レビューを見る
沢木耕太郎のエッセイ&書評集『夕陽が眼にしみる―象が空を〈1〉』を読みました。
『あなたがいる場所』に続き、沢木耕太郎の作品です。
-----story-------------
土地についても宿命的な出会いといったものがあるのだろうか。
そこに至ることがなければいまの自分はありえなかったというような土地が…。
「たったひとつの土地」をひそかに求めながら街を歩く。
事実と虚構の狭間にあるものを深く意識しつつ書物を読む。
「方法」と真摯に格闘する日常から生まれた珠玉の文章群。
-----------------------
1993年(平成5年)に刊行された『象が空を』を3分冊にして文庫化した作品の第1作… 本作品には、旅に関するエッセイ『第一部 夕陽が眼にしみる―歩く』と書評『第三部 苦い報酬―読む』が収録されています。
■夕陽が眼にしみる―歩く
・改札口
・私の上海
・体の中の風景
・かげろうのような地図
・街の王、泥の子
・儀式
・群れの行方
・瘴気のような
・駄馬に乗って
・点と面
・旅のドン・ファン
・異国への視線
■苦い報酬―読む
・父と子―大宅壮一
・歴史からの救出者―塩野七生
・一点を求めるために―山口瞳
・放浪と帰還―藤原新也
・無頼の背中―色川武大
・事実と虚構の逆説―吉村昭
・彼の視線―近藤紘一
・苦い報酬―T・カポーティ
・切り取る眼―E・ヘミングウェイ
・運命の受容と反抗―柴田錬三郎
・正しき人の―阿部昭
・最初の十冊、最後の十冊
・稀な自然さ
・愛の名のもとの復讐
・人に寄り添う
・二つの驚き
・命運を握れない苛立ち
・死ぬ理由
・野心と成果
■解説 一志治夫
旅に関するエッセイ『第一部 夕陽が眼にしみる―歩く』では、、、
年齢の幅のある子どもたち(群れ)で遊ぶことで色んなことを学んだ子ども時代を思い出した『群れの行方』、
強い自分を夢想することに共感した『瘴気のような』、
大好きな小説『深夜特急』の旅を特急ではなく、駄馬のような旅と振り返る『駄馬に乗って』、
小田実の『何でも見てやろう』、吉行淳之介の『湿った空乾いた空』、北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』等の紀行やエッセイから異国への視線を考察する『異国への視線』、
の4篇が印象に残りました… 紀行は好きなので、『湿った空乾いた空』や『どくとるマンボウ航海記』を読んでみたくなりました。
書評『第三部 苦い報酬―読む』では、実際に作品を読んだことがある『事実と虚構の逆説―吉村昭』、『彼の視線―近藤紘一』、ディック・フランシスやウイリアム・パトリック・キンセラ等の作品が紹介されている『最初の十冊、最後の十冊』が印象に残りました、、、
書評は、実際に読んだことのある作品が紹介されていないと、なかなか集中できないですねー 沢木耕太���の作品としてはまずまずかな。
投稿元:
レビューを見る
沢木耕太郎(1947年~)氏は、横浜国大経済学部卒のノンフィクション作家、エッセイスト、小説家、写真家。著者が1974~5年に香港からロンドンまでを旅した記録『深夜特急』(発表は1986~92年)は、当時のバックパッカーのバイブル的存在としてあまりにも有名。『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、『凍』で講談社ノンフィクション賞、その他、菊池寛賞等を受賞。
私は、1980年代後半にバックパックを背負って海外を旅し、沢木の作品はこれまでに、上記の各賞受賞作をはじめ、『敗れざる者たち』、『流星ひとつ』、『キャパの十字架』、『旅の窓』、『チェーン・スモーキング』、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、『旅のつばくろ』、『作家との遭遇』、『あなたがいる場所』、など幅広く読み、最も好きな書き手は誰かと問われれば、迷わず沢木の名前を挙げるファンである。
本書は、1993年刊行の単行本『象が空を』の中から、第1部夕陽が眼にしみる*歩く、第3部苦い報酬*読む を収録し、2000年に文庫として出版されたものだが、初出は、「*歩く」が各所に掲載された歩くことに関するエッセイ、「*読む」が各作家の文庫本などに寄せた解説であると思われる。
私は、今般たまたま新古書店で入手し、読んでみた。
本書の内容は上述の通り、小編を寄せ集めたものなので、少々読みにくさはあるものの、私は、上述の通りの沢木ファンであるので、相応に面白く読むことができた。
特に興味深かったのは、私が沢木と並んで好きな書き手である藤原新也と、やはり強く惹かれる近藤紘一について書かれたものである。
藤原新也に対しては、衝撃的なルポルタージュ『東京漂流』に関して、沢木は「一読して、近来これほどスリリングな本にぶつかったことはないという感想を抱いた。肯定も否定も、受容も反発も、そのすべてを含んで、私にとって『東京漂流』は、刺激を受けないページがほとんど一ページもなかった、と言いうるような本だった。」と書いている。私は当然同書を持っているが、解説は池澤夏樹が書いているので、この文章はどこか他のところに掲載されたものだ。
また、近藤紘一については、沢木が『テロルの決算』で1979年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときに、『サイゴンから来た妻と娘』で同時受賞したという縁があり、近藤が1986年に45歳で急逝した後に、沢木は、近藤の遺稿を集めた作品集を編集しており、その作品集『目撃者—近藤紘一全軌跡1971~1986』の解説が載っている。近藤紘一の数奇な人生と、司馬遼太郎が弔辞で「君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました」と語った人間性は、やはり興味を惹かずにはおかないものだ。
私は、残念ながらこれまで、沢木耕太郎の講演会やインタビューで語ったところを見たことはない。しかし、自分の関わった光景や人をこれだけ魅力的に書く人が、魅力的でないはずはない。本書の解説でノンフィクション作家の一志治夫は、最初に沢木に会ったときのことを次のように書いている。「新鮮だったのは、沢木さんの作品から得た沢木耕太郎というイメージがあまりにも実物とたがわないことだった。酒に乱れることもなく、正面から人の話をくみとり、言葉を返し、清々しく、姿勢のいい人だった。それは、それまでに会ったどんな先輩ライターたちとも違った。・・・沢木耕太郎は沢木耕太郎だった。それが嬉しかった。」
(2023年12月了)