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印象に残った箇所については、以下のとおり。
【P17】膝に十月の冷えが這い上がってきた。しかし家老の部屋に暖をとる火が配られるのは、まだ崎になるはずだった。
【P22】兼続は領民に勤勉を説いたが、搾取はしなかった。年貢もこの時代に言う三ツ七分、三七パーセントほどで、当時としては低い率だったと言わざるを得ないが、兼続の経営策は、目前の困窮を脱するために領民をしぼることを排し、むしろ領民を育て、暮らしむきをよくすることで、領土の潜在的な富をふやして行こうとするものだった。
【P162】また同じ論達の中で、治憲は座して滅びを待つより、君臣力をあわせて心力の尽きるまで大倹約令を行えば、あるいは国の立ち行くこともあろうかと、このことを屹と思い立った、と述べた。
【P231】郷村出役の諭告は農の困苦を理解し、少しは酒ものみ、遊びもした上ではげめと言っている。農民に対する藩のこの態度の変化は、単純に時代の差では片づけられないものがあり、こうしたことあるいは藩主みずからの雨乞い祈願などから、庶民は為政者の側から新しい風かま吹いてきたことを鋭く感じ取ったに違いない。