紙の本
2000/3/19朝刊
2000/10/21 00:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人と人、人と動物とが昔と変わらない関係を続けているアラスカ。その厳しいが豊かな自然の中で、生きることの本当の意味を見いだし、魅せられていった一人が、動物写真家で文筆家としても知られた星野道夫だ。しかし、九六年八月、取材先のカムチャツカ半島でヒグマに襲われ、四十三歳で帰らぬ人となった。
それから三年余を経て、芥川賞作家でもある著者が星野について書いた文章や講演、対談をまとめたのが本書だ。
著者がここで試みたのは、友の死を「いかに受け止め、悲しみから理解と肯定への道をたどったか」、その心の軌跡を本という形に編むことだ。
例えば、死の直後に書いた文章の次に、星野が描く老人たちの死について触れた生前のこんな文章を置いてみる。「その背後には、死が再生であるという狩猟民の死生観があるのではないか。死んだ者はまず記憶の中に生きる」
続いて星野の魂を、生の言葉で聞かせうる対談を置き、死後の時間の経過に合わせるように、星野の充実した生涯と死の意味を、繰り返し繰り返し探ってゆく。その先には理解と肯定をさらに突き進めて、亡くなった友の魂を継承する語り部としての作家の姿がほの見える。
「伝説というのは先人が成し遂げたことを継承するためのだいじな手段である」。本書をこう締めくくる著者は、星野道夫という人物を「記憶の中に生きる」存在として再生させ、「伝説」にしようと試みているに違いない。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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星野道夫さんのエッセイの最後に、解説として何度か池澤夏樹さんが書かれていました。
池澤さんが書く星野さんの解説の文章が好きだったので、この本を知ったときは買いました。
買ったのは良いんですが、途中で読むのをやめました。
まだ読みたくありません。
変な読者ですが、でも大切な一冊です。
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池澤夏樹と星野道夫は、数回しか会ったことがないらしい。
なのに、読んでて息が詰まるぐらいの濃密な語り。
彼の生き方に始まり、アラスカへの傾倒っぷり、
そこに生きる人々と彼らに今なお息づく神話のことについて。
失われているものについて。
池澤さん含め、この人達は周囲にいる人たちと
世界を見る目が違う。なんというか、視野が広いというのか
器が大きいというのか、達観しているというのか…。
日常の悩みがささいなくだらないことに思える。
特に星野さんの写真を見ると(残念ながらこの本にはほとんど載っていないですが)。
星野道夫という人物を全く知らずに手に取ったのだけど
巡り会ってよかったと思った1冊。
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星野道夫という物語
すべての技術的発展には、歴史の狡知とでもいうべき、見えざる手の介入が働いているような気がする。結局、人類は自らが必要とするものを暗黙のうちに準備している。
インターネットも人類にとってのある課題を担って誕生した。情報資本主義の発展の中で、中間体は続々と壊滅していく。
しかし人間というものは、個として生きられるほど強固ではない。ただ組織というものの持つ愚かしさや、酷薄さが、情報の透明性の中で明らかになった今、既存の括りかたでは、もはや人は満足できない。
アラスカの小さな町の航空写真を見た千葉の高校生が、その写真に吸い寄せられるように、その町を訪れ、その後アラスカ大学へ行き、アラスカに住む人々と繋がっていき、写真家として、自らの住む大地のすべてを記録しつづけた。
そして天は、彼を44歳の時に突然、回収してしまう。これが星野道夫という物語だ。
池澤夏樹 「旅をした人;星野道夫の生と死」(スイッチパブリシング)
これは奇妙な本だ。池澤夏樹という作家が、自らが追慕してやまない星野道夫という友人のことを、繰り返し繰り返し語った言葉を集めたものだ。
その意味ではこの400ページ近い書物すべてが、弔辞だとも言える。弔辞の内容は、惜しまれている人間の人生の質を反映して、あたたかく、ユーモアに満ちている。
泣くだけでは前へ出る力が生じない。
彼を失った友人たちは、その喪失感を嘆きはするが、その人生が幸福であったことに一切疑いをもたない。
関わった者の残り人生のかなりの部分が、その人間の記憶を語ることによって費やされる、何と言う生き方だろう。
まさに星野道夫は、神話となったのだ。
星野は生きるリズムを共有する多くの友人を持っていた。
その中には、アラスカという土地の時間と空間の貴重な証人である老人が多かった。老人とともに時代の記憶が失われることへの焦燥感が彼を突き動かしていたと言う。
顔を見て、話をして、共に食べ、同じ時間を過ごした者を友だちとして認める。そのネットワークによって作られた世界観で生きる。会った者、顔を見て話をしたものをまず信じる。
アラスカは具体的な土地である。抽象的思考を背後に置いて、実際に出かけてゆき、人に会い、話を聞き、雪の中を歩かなければ理解できない。
アラスカという自分のサイズで見ることのできる社会に降り立った星野は、全身でその自然と人々を感じ、訪ね、聞くことで、友と繋がっていった。
そして動物写真家ではなく、アラスカ写真家として自分の人生を作った。彼が去った後も、あたかも焚き火を囲んで、老人たちから子供たちに昔語りされる神話上の猟師のようになることで、人と人の繋がりを求める人たちの導きの星となった。
彼の写真と文章はいわば目印としての北極星である。いくら歩いても北極星に行きつくことはできないけれども、しかし星を目印に北へ歩くということはできる。大事なのは距離ではなく方位なのだ。
インターネットは、人���的な衣裳の下に極めて人間臭い性格を秘めている。この技術は人間と人間が新しく繋がっていくために歴史が与えた道具なのだろう。
インターネットの使命は、結局、新しいコミュニティの組み直しなのだ。
そしてそこで最も大切なのは、自分はどんな生き方をしたいのか、そしてどんな人たちと繋がっていきたいのかだ。
答えを模索している時、写真の中で星野道夫は、「永遠の友人」として微笑んでいる。
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星野道夫と池澤夏樹、そうだよ、こういう素敵な本があったんだよ、と、しばらくぶりに引っ張り出してきて、今宵の寝酒の友に。
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まだ未読。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。
自分の学ぼうとしていること、学んだと思い込んでいることはなんと表面的で形式的だったのか、またしてもはっきりとさせられる。大切なのはシンプルさの中にあり、シンプルなことほど難しい。なぜ難しいのか?それは人が直面しなければならないのに直面するのが怖いことがはっきりしているからなんだと思う。だから私たちは、たぶんそれらを避けるように余計なものを持ち出して、複雑にして、目に入らないようにする。
嫌なことでも頑張ろうとするのではなく、本当にやりたいことに頑張れるように。
そして、たくさんのものを大切にするのではなく、本当に大切なものを大切にできるように。
「生きることの意味は、生きることそのものにあり、それ以外にはない。」
一回で得られなくても、惹かれるのなら何度でも通えばいい。
そんな風にも思った。
生きてる限り、見失わない限り、きっとまたチャンスは訪れる。
とりあえず今はそう信じることにする。
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池澤夏樹が星野道夫について語る文章には、どれも深い敬意や愛情が感じられるが、これはその集大成。表題作『星野道夫の生と死』は、『星野道夫の死を語る言葉がまだ出てこない。』という一文に始まるが、彼の残した仕事から振り返るに、彼にとっての死とは『生と一体になって巡りきたるものとしての死』であったはずだと理解し、『充分に死の準備をしていた。それだけのしっかりとした生を生きた。』という想いに至る。
おおらかな死生観に励まされる、これからも何度も読み返したい名文。
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星野道夫さんの生と死についての自身の講演や原稿を作家の池澤夏樹さんがまとめたもの。私が星野さんの写真や文章に出会ったのは星野さんが亡くなった後だったしもちろん直接の知り合いでもなんでもないのだけれど、この人はもう亡くなっていてこの世界には居ないんだということを思い出すたび、とても寂しい気持ちになります。池澤さんは友人というにはまだ直接知り合ってからの時間が短かったそうで、でも長く付き合う友人になれるだろうとあれこれ楽しみにしていた矢先の、突然の事故だったそう。星野さんへの共感と尊敬の気持ちがひしひし伝わってくる本でした。巻頭に星野さんの亡くなった時を軸にした時系列を整理した表があり、それを確認しながら読み、池澤さんと共に改めて星野さんを追悼したような、そんなような気持ちになりました。それから、池澤さんの文章を読むのが初めてだったので、他の作品も読みたくなりました。
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【いちぶん】
ぼくは星野道夫の写真と文章が好きで、何度となく眺め、何度となく読んできた。しかし、この十日間ほど熱心に彼の仕事の中に浸ったことはない。それ以外にもうできることはないのだ。
(中略)
小さな集落の中で狩りの名人としてみんなの尊敬を集めた強い男が、たまたま特別凶悪なクマに出会って、長い壮烈な闘いのあげく死んだ。その男の名は口伝えに受け継がれ、やがて一つの伝説になるだろう。
(p.43)
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子供を残して亡くなる事も、子供に先立たれる事も、嘆かわしい事のように思っていた。
「彼の死を、彼に成り代わって勝手に嘆いてはいけない」
そう、そうなんだよね。
死があるから生がある。
当たり前の事を随分遠ざけてしまってきたように思う。
私に出来る事は嘆く事じゃない。
残してくれた書物を、写真を、心を、感じる事。
そして足るを知る事。