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日本社会党といまの社民党を考える その2
2010/07/31 15:40
9人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
7月27日付け朝日新聞によると、菅直人首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が首相に提出する報告書案の全容が明らかになったとある。
その骨子には、「非核三原則に関して、一方的に米国の手を縛ることは必ずしも賢明ではない。」「武器輸出三原則下の武器禁輸政策は見直しが必要。」「PKO参加5原則は、修正を積極的に検討すべきだ。」
まるで自民党国会議員のホームページでも見るような「いさましい」文面が並ぶ。
報告書は8月上旬にも首相に正式に提出され、今年末に民主党政権が策定する「防衛計画の大綱」のたたき台となる。
記事には、「自公政権時代の主要な論点をおおむね引き継いだ上に、長く「国是」とされてきた非核三原則に疑問を投げかけた・・・菅政権がどこまで大綱に取り入れるかが焦点」などとある。
あくまで私的諮問機関の報告段階だから、などとあなどっていてはいられない。自民党時代には、「私的」と名付けられた“あやしげな”機関が、肩書きだけは大層な人たちの名を借りて提言に重みをつけ、そのまま党の政策決定にまで持ち込むという手法が多くとられたことを思い出す。
民主党もついにここまで出してきたか、という感じである。
普天間問題に極端に示されるように、防衛問題・安全保障問題に関し、民主党の考え方は自民党とほとんど違うことが無い。
そればかりか、この参院選前に偶然示された菅首相の本音、税制問題に関しても両党の考え方はほぼ完全に一致する。
もはや、この国の政治は、見せかけの二大政党制の影で、全くの一党独裁が進んでいるといえる。徐々に徐々にではあるが、恐ろしい翼賛政治が再現されようとしている。
もちろん、賢い有権者達は気づき始めている。こんなの本来求められるべき二大政党制じゃないと。
しかし、今の日本の政治に、そのような賢い有権者を受け入れることが可能な第三局は存在しない。そのような政党は、小選挙区制で散々痛めつけられ、消滅の道をたどる。
そして、行き場の無くなった多くの賢い有権者たちの落胆が、選挙の低投票率化を促す。
かつての日本には日本社会党という政党が存在した。自民党一党独裁政権時代ではあったが、その二分の一の数を頼りに、一定の歯どめ役を果たしてきた。
日本社会党の衰退の歴史は、そのまま日本の民主度合いの低下の歴史である。
日本社会党が唯一残した財産である社民党はいま存亡の危機にあると言える。本当にこの党がこのままつぶれてしまって良いの?
日本社会党の歴史をたどることにより、見えてくるものがある。われわれが今の日本の政治において必要としているもの。自身が賢い有権者であろうとした時に必要としているもの。それが何か。
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日本社会党を通して戦後の日本の全体像に迫る画期的な書!
2016/09/23 06:36
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、2000年に出版された、日本社会党を通して日本の全体像に迫ろうとする画期的な書です。第二次世界大戦後、日本社会党は誕生しました。戦前の無産政党を糾合し、社会主義国日本を目指しての結党でした。しかし、以降、半世紀、一度として単独政権を打ち立てることなく、ついに崩落してしまいます。社会党の歴史は、日米安保体制=自由主義陣営を打破する闘いとそれに絡まる路線・派閥抗争の軌跡でもあります。ソ連型社会主義と共振するその理想主義は議会制民主主義と居合れない側面ももっていたことは事実です。こうした日本社会党という視点から日本を見てみると少し違った全体像が見えてくるかもしれません。
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日本社会党が結党以来一度も単独政権を担うことなしに、冷戦の終結・55年体制の崩壊とともに落日を迎えた原因を詳細に事実を積み重ねて探っている。社会党の最大の問題を理想主義と絵空事に基づく決定論的・二元論的な思考様式であったとして、政治においてリアリズムとユートピアニズムを共存させることの重要性を指摘し、西欧で社民政党がオスロ宣言で共産主義と決別し、市場経済と議会制民主主義に立脚するという基本的な社会体制に対する国民のコンセンサスを基盤としつつも資本主義の暴走をチェックして社会主義的な要素を適宜加えていった点を日本の社会党との最大の違いだったとして強調している。
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社会主義、共産主義が結局のところ青臭い理想主義でしかなく、その理想主義から他者にも無謬性を求め、結局のところ誤謬の容赦ない追求から運動がまとまらずバラバラになっていった過程がよく分かる一冊。
他者との違い、他者の間違いを認めることからでないと社会は始まらないんよ。
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本書の内容は、タイトルの通り、1945年の結党から50年あまりの日本社会党の栄枯盛衰を描いている。
社会党と言えば、55年体制の中で自民党政権を牽制する野党として認知されてきた。しかし、その内情はひどいものであった。結党以来の左右両派の主導権争い。また左右両派の中にも派閥が生まれ、両者が足を引っ張りあうという有様。
左派優位が確定した後は、「反米」「非武装中立」を党是として、ソ連・中国・北朝鮮の共産圏との外交を重視する社会党は、社会民主主義というよりは共産主義的なマインドで政策を打ち出す。しかも、(社会党の中では)資本主義と共産主義という単純な構図で始まった冷戦に、中ソ論争という共産圏内での対立がはじまると、社会党内の親ソ・親中派の衝突も加わる。
こうして、様々な自己矛盾を抱えながら、社会党の理想主義と現実との乖離が甚だしくなり、冷戦の終結とともに社会党の精神的支柱も砕け散った。
このような万年野党=社会党の存在が、55年体制の38年間度重なる汚職・政治不信にもかかわらず、自民党の政権が維持された原因であると結んでいる。
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55年体制の一端を担った日本社会党の、平易な解説本である。
とはいえ内容は結構深い。
社会党といえば、しばしば日本国の存在自体を否定するかのようなイメージを持つが、実は結党時は中間派の日本無産党と右派の社会民衆党はおよそ左翼とは言えないような、国家社会主義・天皇制を養護するような右翼であった。
また社会党左派は、西欧型社民主義ではなくプロレタリア革命に基づくソ連型社会主義を志向したが、議会で多数を占めた暁にはその状態を固定化させ、社会主義革命を達成するという、およそ議会制民主主義とはかけ離れた思想であった。
それとは別に、社会党右派は西欧型社民主義を目指していた。のだが、片山哲内閣のときの失敗によって、左派優位になったために日の目をみることはなかったが、田中角栄は右派の重鎮であった江田三郎が政権を取ることもありうる、と考えていたそうである。
また自民党は親米の政党であったが、社会党は親ソ・親中・親北朝鮮の政党であったわけだが、中ソ対立のときに党自体が分断の危機に遭う。結局日本社会党は冷戦と中ソ対立という社会主義国家同士のいがみ合いに巻き込まれてゆく。
先ずなにより、日中国交正常化するにあたって、中国の関心は社会党より自民党親中派に移っていくのである。
ここでは拙い文章しか綴ることができなかったが、社会党を知る上での良き入門書となるだろうし、また日本とアジア外交を知ることもできるようになる。
結局は、理想を求めつつも、現実から遊離した政党であった感は否めない。
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[ 内容 ]
敗戦直後、日本社会党が誕生した。
戦前の無産政党を糾合し、「社会主義国日本」を目指しての結党である。
しかし以後半世紀、一度として単独政権を打ち樹てることなく、ついに崩落した。
社会党の歴史は、日米安保体制=自由主義陣営を打破する闘いとそれに絡まる路線・派閥抗争の軌跡でもある。
ソ連型社会主義と共振するその「理想主義」は、議会制民主主義と相容れない側面をもっていた。
日本社会党を通して、戦後日本の全体像に迫る。
[ 目次 ]
戦後社会主義の出発
「日米安保」を求めて
講和・安保に臨んで
60年安保の疾走
後期冷戦のなかで
冷戦終焉と日本社会党の崩落
日本社会党の「理想主義」
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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戦後社会主義の出発◆「日米安保」を求めて◆講話・安保に臨んで◆六〇年安保の疾走◆後期冷戦のなかで◆冷戦終焉と日本社会党の崩落◆日本社会党の「理想主義」
著者:原彬久(1939-、北海道釧路市)〈国際政治学・日本外交史・日米関係〉[早稲田大学第一文学部]東京国際大学教授・法学博士
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2000年刊。著者は東京国際大学教授。
岸や吉田関連ほか戦後日本政治の著作を持つ著者が素描する日本社会党の戦後史。人間臭い社会党所属議員の在り方につき、教条主義的分析ではない本書は読み応えがある。
一方、確かに大なり小なりマルクス・レーニン主義に親近性を持つ集団だったとはいえ、
①例えば国家社会主義者岸信介とも通じるメンバーの存在(というより岸が利用しようとしたきらいも有り)、
②戦後の社会党議員の中に、戦中期では反軍か親軍か否かの区分け可能。
③親ソ又は親中一辺倒でなく、日米安保に合理性を見出す議員もいた。
④その立場が支持基盤に左右された(組合ではなく、江田三郎の如き大衆に基盤を持つ人物)。
➄日本共産党との距離感の大小。
かように左右という二分法はもとより、マトリックス的な分別も容易ではない。かかる構成員のモザイク状の在り方が、肝心要の時(サンフランシスコ講和会議・日中国交回復など)に政治的な存在意義を発揮できなかったという厳然たる事実を突きつけている。そんな印象の残る逸品である。
まあ、構成員のぐじゃぐじゃさは自民党にも似た面があるんだけれど…。
原水爆禁止問題で、日本社会党が唯一、大陸中国の原水爆保有政策を批判した(殊に周恩来に向かい直に批判したことまでは、おおっとなるが)ものの、直に腰砕けになってしまったというのが、日本社会党の在り方を暗示しており、なんともはやという他はなかった。