紙の本
ダムの底に沈みゆく村々を訪ね,そこに生きる人々の暮らしを文章と写真でつづるノンフィクション
2000/10/06 15:20
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投稿者:ブックレビュー社 - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者は言う。「少なくとも私が子どものころまでは,ダムは発展の象徴だった」。その著者が写真家・大西暢夫氏のひとことから,村がまるごとダムに沈む,容赦ない過酷な現実を体験することで,ダムへの旅を始める。まさに一期一会によって,ひとりの人間の新しい人生観が生まれ,社会観もやがて大きく変質していく。
この書は,社会の不当な歪みのなかで生きる山の民の人間ドキュメントである。著者は,全国8カ所のダム,やがて無機質なコンクリートに無造作に飲みこまれる山村をたずねる。そこに生まれ,育ち,暮らし続ける村民に会い,汚れない眼で故郷への想いのたけを語る声を,ていねいにすくいあげる。
8カ所の山里は,それぞれ立地条件が違うこともあって,風俗習慣,生活環境も異なってはいるが,共通していえることは,著者も憤っているように「人間は生きたいように生きるのと同じで,川も流れたいように流れているのを力づくでなぜ止める。周辺に生きる命と共に」である。大型公共事業への警鐘の音が,静かだが心にしみいるような清々しい好編である。
(C) ブックレビュー社 2000
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ブログに書きました。
http://t-katagiri.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
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ダム事業によるいくつかの水没(する前の)地を訪ねるルポタージュ。
津軽ダムの項では、著者菅の出会う人々は一様に、故郷を追い出されることに寂しさを抱きつつも、声を上げ怒りを表現するほどではない。
一方でその他の項を読むと、この津軽ダムがむしろ例外で、住民からダムそのものに対する憤りや不要論がきわめて薄くしか現れないことに気付く。
たとえば岡山県の苫田ダムでは、移転することになった住民が、先祖に詫びながら家屋を壊したり、先祖のためにと広い土地を補償金で買ったり、という姿が生々しく、痛ましい。また役所の「100万円作戦」(新居詮索料として100万円を前貸しするもの)についての記述は、役所への不信感をあおる。
また夕張シューパロダムや八ツ場ダムの項でも、炭鉱に栄えた地域の盛衰や、ひなびた温泉街の水没を巡る建設省不信と新たな生活の場の創造への意気込みは、大変に「生々しく」描かれる。
山鳥坂ダムの項でも、著者が、「ダム事業(地元交渉)のストレートな進捗」を「地元住民の人間性・風土性」の視点から指摘している。結局のところ、ダム事業という点では同じでも、地域性・風土により歩み方は様々になる、と考えさせられる。
そう、生々しさ(人間の姿)をもってこそ、ダムの光と影は語られなければならない。ダム問題、ではなく、ひとつひとつのダムの個別問題。人間をきちんと見つけなければならない。
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まず、表紙の写真がいいですねー!この煙草を吹かすお婆ちゃんを見ただけで、読む気をそそりますw
とはいえ、本の中身はダムに沈む集落のルポなので、生半な気持ちでは読めないのですが、熱くなるでもなく、どこか飄々とした感じで綴られる文章の中に、女性らしい戸惑いや心情が見え隠れして、か弱いながらも人々の話に真摯に耳を傾け、寄り添う感じが表れていて、好感が持たれます。
土地に愛着があるがための痛みや苦しみを知り、自分には知らないことが多すぎるが故の、無知なる幸せを感じずにはいられませんでした。。。
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大西暢夫さんの
次の本を探していたところ
ひょっくり知った一冊
菅聖子さんは、存じ上げませんでした。
読み始めてから
ぐいぐいと引き込まれていく
ここに 登場される人たちの
なんと魅力的なこと
たんに 故郷を追われる
山村の素朴な人たちだから
では ない
その方たちの暮らしぶりが
「ダムに反対」ではすまされない
その方たちの「暮らしの根っこ」のような
ものが 立ち上がってくる
声高に話しておられず
囲炉裏の板間に座り込んで
小さな灯りの温もりを
共有しながら
丁寧に 聞き取り役に徹している
菅聖子さん と
心を許して 彼女に語っておられる
それぞれの ご老人たちたちの
姿が浮かび上がってくる
また その一瞬を
見事にとらえて残された
大西暢夫さんの写真もすばらしい