紙の本
不可視のインフラとしての仏教
2008/06/18 15:00
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
廃仏毀釈とは、明治期の「近代化=西洋化」において、その対極にある仏教を可視的な形で排除しようとした動きであり、それは政治史であると同時に宗教史であり、また同時に民衆史の1コマでもあったはずなのだが、今改めて振り返ってみるならば、それは実は「現代史」ですらある。というのも、今や、明確な宗教意識や歴史感覚ぬきに、それでも人は仏壇を飾り墓を守り、お盆やお彼岸を口にするのだから。そう、仏教は、廃仏毀釈においてダメージを受けたにせよ、むしろそのことによって「潜勢力」として不可視の領域へと溶け込み、今や近代、現代社会のインフラとして不可欠の要件と貸している。その単著については、本書で著者が次のように述べている。
《宗門改めと寺請制度が、キリシタン問題がすでに現実の政治課題でなくなった一六七〇年代に、かえって制度として整備されるのは、その民衆支配の手段としての性格をものがたる事実である。一六世紀末まで、政治権力としばしば争った仏教は、その民衆掌握力のゆえに、このようにしてかえって、権力体系の一環にくみこまれた。仏教は、国教ともいうべき地位を占め、鎌倉仏教がきり拓いた民衆化と土着化の方向は、権力の庇護を背景として決定的になった。》
そこに、民衆の仏教を求める心性が重なる形で、その影響力は定まったという。一時期、「近代化=西洋化」の文脈から否認された仏教は、しかしそれによって禊ぎを終えたかのようにして、先進国家であるこの国に根深く安住している。そのことのメリット・デメリットを考える前に、こうしたインフラをひとまずはそれとして可視化してみることが必要だろう。本書は、そのためのはじめの一歩としてたいへん重要である。
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還暦プラス4
2022/09/29 16:33
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投稿者:さたはけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
国会議員に、新道を掲げる人が意外と多かった過去の内閣で、どうしてと疑問に思ったことがありましたが、明治以降の神仏の歴史を読んでいくと、納得できるものがありました。日本の新道に徹していれば、現在の旧〇〇協会のようなものに手を染めなくても良かったのでは、穿った考えにもなっています。
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読みやすい
2019/10/14 20:45
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投稿者:B767-300 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治維新の政策の一つ神仏分離令が各方面にもたらした影響について欠かれています。
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大きな歴史の教訓
2017/10/28 14:54
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投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治新政府成立直後の混乱期とはいえ、当時何と愚かな行為をしたものかと思う、と現在から振り返って見れば言えるが、激動の時代の波に飲み込まれてしまえば、人はこういうこともしてしまうということを、歴史の教訓として学ばなければならないだろう。
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[ 内容 ]
維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。
が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。
日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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神仏分離令による廃仏毀釈から神道国教化政策の展開と挫折に至る明治維新期宗教=「国民教化」史。神仏分離は単なる「神」と「仏」の分離ではなく、「民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするもの」と断じ、神道・仏教のみならず各種の習俗・信仰が受けた影響を明らかにしている。江戸後期の国体神学の成立、幕末諸藩における「廃仏」の実相等の「前史」、真宗(特に東西本願寺)の抵抗や制限付き「信教の自由」の確立過程等の「後史」を含め、基本的史実が過不足なく叙述されており、今もって神仏分離・廃仏毀釈の最適な入門書の座を失っていない。
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著者によると,「本書は,神仏分離と廃仏毀釈を通じて,日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた,と主張する」ために書かれたものです。
お寺を回っていると,高い確率で鳥居があったり,しめ縄があったりします。祠もあります。
で,縁起などの解説を読んでいると,廃仏毀釈でここにあった仏像は…とか,神社が移転で…などという文章にもよく出会います。
明治維新の時の神仏分離はどのようにしてなされたのか。そこには,神仏分離だけではなく,神神分離(私の造語)もあっただということが分かります。民衆の中に位置付いていた土着の信仰さえも,国家神道と分けることで,人々の管理を強めていったんだなあということを感じました。
真宗が生き残る道が結局は国家神道容認にあったのは,この時代では無理もないことだったのだと思います。
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織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の宗教政策を前史とし、明治維新とともに起きた神仏分離と廃仏毀釈について、深く,広く紹介している。
いろいろな場所に行き資料を拝見したり,いろいろな人にお会いしお話しをお聞きすると、腹に落ちて納得できることも多そう。
あちこちに行きたくなる本です。
参考文献も多く,時間をかけて勉強してみたい。
天皇制を考える際の基礎資料となるかもしれない。
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神仏分離とは、地域の信仰と、そこに根付くコミュニティを破壊する為の「刀狩り」であった。 明治政府自体は直接的にこの〝悪法〟を施行したのではなく、各自治体の解釈によって 暴挙が広まった様だが、真相はいかがか。IS国が行なった様な歴史物への破壊活動が、かつてこの国にもあった事を風化させてはならない。この暴挙と太平洋戦争が無かりせば、より多くの歴史ある仏像を拝めたと思うと本当に惜しいなあ。
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伊藤博文も行き過ぎたといっている通りこの政策は失敗で国家神道という呪縛をかけた 今日本とはいったいなにかと考えたとき 明治維新のタリバーン政権および売国政権を否定しなければ 真の日本の回帰はないのだと思っています。
王政復古はよしとしても 平田 篤胤一派 水戸藩が主導する祭政一致 はイスラム過激原理主義となんら変わらない。
ただ タイトル神仏分離より 神仏判然としたほうが良いと思う。
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要約+私の少ない知識:
元来日本の民衆信仰の対象は、日本古来の神々であり、これが神道と呼ばれるものであった。後にインドや中国からの仏教の渡来を背景に、多くの寺院が建立され、人々の信仰を集めた。もともとこの仏教渡来の際にも、時の権力はこれを信仰すべきか否かで対立が起こっている。鎌倉時代に多くの新仏教が民衆に説かれ、その中で有力なものは発展・拡大し、織田政権と対立を重ねた一向一揆はその一例である。また、中世では、非業の死を遂げた者が怨霊となって祟ることを防ぐために、彼らを祀る御霊信仰が流行していた。しかし、幕藩体制の成立期をさかいにそのような現世の秩序を脅かすような神的威力は零落し、権力者やそれに仕えて功績あるものを優位の神格として祀ることが近世における特徴となっていったのである。この時期仏教はむしろ幕藩体制下で信仰が推進されており、反対に1549年に宣教師を通じて渡来していたキリスト教は初め歓迎されるものの、豊臣政権後期、幕藩体制期において厳しく弾圧される。その理由が、キリスト教が反秩序性を有し、人心を惑わすものとして考えられたからである。ここで、日本の権力者、織田〜徳川に共通する点として、宗教が人の心を権力の外に引き付け、秩序を乱すような行動を起こすことに、憎悪や恐怖を抱いていたということができる。仏教も政治権力と争ってきた歴史があるものの、その民心掌握力ゆえに、近世の幕藩体制期では権力体系の一環として組み込まれていた。
しかし近世の仏教信仰は、民衆の宗教的関心に応じて、それなりに自由な発展の可能性があった。また、現世利益とも深く結びついていた。これが幕末になり、幕府権力の揺らぎが生じると、民衆の信仰の中に国家が深く入り込んでこようとする試みがなされる。例えば祀っていい神様、いけない神様を厳格に区分しようとし、地域に土着している地元の神社への信仰を廃止させるなど、民衆の不安や恐怖が煽られる結果となった。
このような背景のもとに再び仏教の反秩序性に目が向けられ、激しい廃仏き釈運動や神道一本化政策が進められる。(前半)
とりあえずここまでしか読んでないんだけど、ここはいったん割り切って別の本に移ります。またの機会に目を通します。
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伊勢神宮が神社の最高峰のように扱われるようになったのが明治以降だと知ってびっくり。歴史で「廃仏毀釈」ということがあったことは習ったいたが、ほんの150年くらい前に、こんな文化を踏みにじるような所業が行われていたものだとは知らなかった…。明治の時代、辛酸をなめたお寺もたくさんあったんだろう。
梨木香歩さんの『海うそ』が廃仏毀釈の話をもとにしていて、お寺にそんな歴史があったとはあまり認識がなかったので、ちゃんと廃仏毀釈のことを知りたくて読んでみた。
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廃仏棄釈は民衆のエネルギーの爆発ではなかったのですね。神社祭祀の体系化を目指したものですか?今、神社と聞いて思い浮かべる鳥居・社殿・参拝作法の多くは明治の国家政策を起源にしていると気づかされました。一方で、列強に対して国家死守を賭け切羽詰まったほどの危機意識を読み取りました。廃仏棄釈関係は封印されているのかと思うほど出版物が乏しいのですが、知るべきことは多い気がしました。
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幕末、新政府によって「国体神学」がその思想の中心に据えられると、それまでの日本人の信仰の姿は一変。この人為的な信仰の再編成のために行われた「権威のある神々」以外の排斥はこんなにも凄まじいものだったのかと、現在の信仰のかたちにさえ疑問を抱くことになる一冊。
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「安倍政権を理解するにあたっては日本会議と神社本庁の理解が欠かせない」との意見を受けて、国家神道の成立過程に関心を抱いた。元より、現代の日本における宗教の混在•パッチワーク状態(という印象を私がもっているだけだが)に至る歴史的経緯には以前から興味があった。読みたい。