紙の本
恐怖政治の狂気を描く
2019/03/26 01:16
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
画家エヴァリスト・ガムラン。ある意味で純粋であった彼が革命の理想に心酔し、恐怖政治の当事者となっていく。善意からであったはずの彼の政治への奉仕は次第に狂気に染まってしまう。それを異様な迫力で描いた。無辜の人を断頭台に送り続けた挙句、最後にはロベスピエールやサンジュストらとともに断頭台に消える。その中でも彼は革命を否定せず逆に肯定さえする。
小説としてみるとその他の登場人物、作者の分身とも思えるブロトや彼の母親、ロングマール神父など印象的な人物が多い。エヴァリストの恋人エロディは彼を狂気のさなかに甘い逸楽に導くが、最後にはエヴァリストから別の男性に愛の対象を変えてしまう。それが恋人への「裏切り」にはちがいないが、その生きるための卑怯さも含めて作者は否定せず肯定しているように見える。
アナトール・フランスは世間で言われるように書生じみているどころか逆にしたたかな作家であり、ゆるぎない筆致で、精緻に構築されたこの小説は間違いなく傑作だ。
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『フランス革命の恐怖政治を描いた作品。
革命裁判所の杜撰なあり方が克明に描かれている。
理性信仰を掲げる一方で理性とはかけ離れた狂気の裁判が行われていくという矛盾が印象的。』
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フランス革命の恐怖政治を描いた小説。文章や描写がすごく好みで、すばらしい。味わい深い。革命下のパリの民衆の様子がびしびし伝わってくる。主人公の真面目で陰鬱な性格が心地よい。ロベスピエール逮捕の描写もいい。恐怖政治=ギロチンがなぜ支持されていたのかわからなかったが、これで雰囲気はわかった。それはものすごい危機感があったから。熱い!
革命中の新しい神様である「至高存在」崇拝の説明でこの小説が紹介されていて知った。「至高存在」が血に渇いていたというタイトルがしびれる。
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2013年55冊目
フランス革命は理想的な人間を作ろうとした。だから失敗したのだ。
人は完全ではない。不完全である。
「そうだ、わたしの主人公ガムランは、ほとんど化物のような人物だ。しかし人間は徳の名において正義を行使するにはあまりにも不完全な者であること、されば人生の掟は寛容と仁慈とでなければならないことを、わたしは示したかったのだ。」byアナトール・フランス
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フランス革命の一時期(恐怖政治の時期)をえがいた小説。
作者は当時の状況をかなり綿密に調査した上で執筆しているらしいから、この作品の時代背景のリアリティは信頼してよいものだろう。
主人公はもともと若い画家なのだが、どんどん政治(革命)に首をつっこんでいき、陪審員となって反革命分子を裁く役割に身を置く。そしてロベスピエールと共に処刑されるに至る。
要するに革命イデオロギーの行き過ぎた不寛容さが破滅をもたらすわけだが、作者は王党派を支持しているわけではない。どのイデオロギーであろうと、「不寛容」が問題だというスタンスのようだ。
作中、主人公らの会話や思考に「愛国心」という言葉が頻繁に出てくる。たぶん革命側も王党派も、双方「愛国心」を口にし、自己の正義を正当化しようとしたのだろう。いつの世も、「愛国心」はくせものである。「国」概念が「正義」と結びつくとき、ロクなことはない。
読んでいて現在の日本世論の右翼(ネトウヨ)と左翼とのののしりあい想起した。争いが激化するのはみんながあまりにも「不寛容」だからである。この「不寛容」は時代に強制された、不安と裏腹の共通の心理状況だという気もする。
フランス革命の当時も、人々は不安の淵にあったのだろう。この小説はそのような「遠い時代」のリアリティを印象づける。
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わたしはノンフィクションの本を読む。一般書にしろ、専門書にしろ、あまり文学作品を読まない。その少ない読書経験で、この作品を評価できるのかと問われれば自信がない。けれども、この作品に編み込まれたいくつかの文章にあたって、わたしは思わず天を仰いだ。なんと巧みな筆使いだろうと、感嘆せずにはいられなかった。
たとえば、それは216頁にある。モーリス・ブロト・デ・ジレト、その名から察するとおり、革命前の彼は貴族だった。老齢の彼は革命ですべてを失い、物語の現在時制では「市民モーリス・ブロト」として、操り人形をつくっては売り、主人公エヴァリエスト・ガムランの住むボロのアパルトマンの屋根裏部屋で命をつないでいた。ときは恐怖政治、休む間もなくギロチンの刃が上下する「偉大な日々」にあって、その刃は次第に、この老ブロトにも向けられはじめる。
公安委員たちに追われていたのは、元貴族の老人だけではない。旧体制下にあっても大した権力など持たなかったであろう司祭ロングマールと、16歳の貧しい娼婦アテナイスも、身に覚えのない科で責められ、身を隠さなければならなかった。
ロングマール神父もアテナイスも、ブロトとなにか特別な関係があったわけではない。しかし、彼らは共通して公民証明書を持たなかった。ゆえに追われ、追われたがために出会い、ひとときをともにブロトの屋根裏部屋で過ごすこととなる。
ロングマール神父は、自分がどんな罪で告発されているのかわからないと語る。彼はたしかに妻帯せず、公民宣言もしなかったが、彼は信仰に正しく生きてきたと重ねる。
娼婦アテナイスは、「国王万歳!」と叫んだことにより、警察に追われる身となる。けれど彼女は、王党派だとか革命派だとか、そもそも政治的主義主張を持ちあわせてはおらず、「風俗の乱れ」を正そうと躍起になった政府のせいで商売があがったりとなったことへの不満から、革命派の思惑とは反対のことを叫んだだけに過ぎない。彼女はいう、「あの人たちは寄ってたかって、しがない者や、弱い者や、牛乳屋や、角屋や、水運び人や、洗濯女をいじめるんだわ。貧しい哀れな者たちを、全部、敵に廻さなくては気が済まないんだわ」。
ただでさえ狭い屋根裏部屋で、容疑者3名はめいめい床につく。ここからがアナトール・フランスの筆が冴える箇所である。老ブロトの若かりしころを照らした月の光が、彼の屋根裏部屋をふたたび射す。照らされた司祭と娼婦の眠る姿をみて、ブロトは思う。「これが、」つづけて「これが共和国の恐るべき敵だとは!」・・・。
月の光は、旧体制の象徴。それにしてもなんと憂いに満ちた、美しく、悲しい瞬間だろうか。物語を読みすすめようにも、作者がしつらえた完璧な舞台装置をまえに、思考が一旦停止してしまう。見事としか讃えようのない巧みさである。
物語は多重のメロディーから構成されているが、もっとも印象に残ったのは、この老ブロトに関わるそれだった。彼が処刑台にまで携えたルクレティウスの小型本が歌う。「われわれが生きることやめた暁には、何物もわれわれの心を動かすことはできないだろう。空や、大地や、海でさえも。空や、大地��、海も、その残骸をごっちゃに晒しているのみであろうから」。
彼は主人公ではないが、主人公のガムランと対をなす人物として、物語に深みを与える。最終局面に向かって、ガムランは破滅の道を邁進し、ブロトは威厳に満ちてギロチンの刃の前へ歩む。革命と旧体制、彼らはその代弁者かのような後ろ姿を最後に消える。筆者は、どちらがよいかわるいかという話をここでしたいのではないのだろうと思う。それが革命だったと、近代の鶏鳴はかくも血を必要としたのだということをここに記したのではなかろうか。
どんな真実よりも、物語は歴史を語る。
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フランス大革命については、数多くの著作もあれば、度々人口に膾炙する出来事でもあるが、どうにも理解が進まない事柄の一つだった。
当然のこの出来事には歴史的意義、そして、事象として思想としての奥深さがあり、一様に理解できはしないが、あちこちに登場するため、自分の中に何かしらの取っ掛かりを持ちたいとも思っていた。
訳者解説にあるように、著者Anatole Franceは、この歴史小説を執筆するにあたり、当時の事象を丹念に調べ上げたとのこと。また、著者の革命に対する確固たる眼差し、そこから導かれる普遍的な人間観が登場人物を通して、十二分に語られている。
読後、私も、ようやく足がかりを手に入れることができた。
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フランス革命に続く恐怖政治時代のことは知らなかった。しかしこれが奇妙にも現在の状況に通じてしまうところが恐ろしい。まさに、歴史は繰り返す。何度でも、繰り返す。つまり、人間は過去に学ぶことができない、ということなのだろう。
正義は、時代によっても、状況によっても変わってくる、相対的なものだけれども、それぞれの人間がそれぞれに考えて、自分が正義だと信じることを実行する。ガムランも然り。しかし、どこまでも正義を貫こうとすることは、たいていの場合、悪に通じている。まるでメビウスの輪のように。アナトール・フランスが説くように、必要なのは正義ではなく、寛容なのだ。正義のために、誰かが排除されるようなら、それはもはや正義ではない。
そして、『神々は渇く』というタイトルが意味深だ。この世界に神がいるとしたならば、まるで神は血を求めているようだ。なぜ神は人間を創りたもうたのか。この、争いを好む人間を。まるで神は血に飢えているようではないか。
この物語の中で最も良識的だと思われるブロト・デ・ジレトは、声高に主張することはない。ただ身近な人間に、思うところを語るのみだ。最期の時においてさえ、静かにすべてを受け入れている。本当のことは、こうして失われていくのではないだろうか。間違いを主張する者の声ほど大きい。
そして、エロディはガムランの死後も、まるでガムランなど始めから存在しなかったかのように、日常に戻って行く。多分、これが一般市民の姿なのだろうけれども、そのなんと恐ろしいことか。否、人間はそうしてすべてを忘れて生きていくのだ。それが、人間なのだ。