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投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝鮮語(今なら韓国語)と日本語は共通点が多い。と著者は指摘する。日本の言語学者は日本語と欧米語を比較して独自性を指摘しているが、共通点の多い言語と比較してこそ比較言語論だろうという。そこまではいい。語順、主語なし、助詞の使い方はほぼ同じ、でも発想は異なると。確かに2言語が分かれたのは数千年前と考えられるから異なる点は多い。だから発想も異なると。そうだろうか?民族性の方が発想の特異点に影響を与えるのでは?語順が同じなのに日本語は相手を慮って言い切らない、韓国人はそれをもどかしくて何だかすっきりしないと感じる。日本人は以心伝心、言外に表現し、言葉にしない、韓国人は、制するもことば、屈するもことば。はっきり言い切るのが当然と思っている。
結局、言語でなく、民族性の違いに帰着する。
外来語に関しても、正反対。日本語は、古代から外来語を取り込み語彙を増やしてきた。大和言葉に漢語、医術はドイツ語、文学・演劇はフランス語。一方韓国は外来語を認めるのは、異文化への屈服と考え取り入れようとしない。横文字の入ったTシャツは着ない、日本語の創語力から生まれたRepublic共和国をわざわざ孫文の作った民国(大韓民国)を使っている。大好きな中国が、人民共和国なのに。民国だって漢語じゃん。漢語由来の言葉の同音異義語が多いので見つけ出して簡単な言葉に言い換えている。それってハングルだけ使うようにしたからでしょ。ノーベル賞欲しいんでしょ、ボキャブラリ増やした日本語が2回受賞したのに、独自語に固執したら、表現力が貧困で微妙な言い回しができるわけない。まあ、ハングルにこだわっているから、過去の漢文で書かれた古文書が読めなくなっている。慰安婦募集の看板を見て、「これが強制連行の証拠だ」となる。
4千年間、中国にいびられてきたので、受難の歴史の中で形成された信念、すなわちひがみの塊がそうさせているのか?「自分たちの歴史に学ばない民族に未来は来ない。」という言葉を贈ろう。
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[ 内容 ]
日本語の特色は――と聞かれたら、「日本語は、主語や動詞をよく省く。
動詞が文末にくる。
単・複の区別があいまい。関係代名詞がない。」などと答えるだろう。
ところが、朝鮮語もまったく同じなのである。
一方、日本人が「――ですが……」と語尾をにごすのは、切り口上を避けるためといわれるが、朝鮮語でも語尾をにごすにもかかわらず、韓国人は、きついことばを平気で使い、議論をつくすことをよしとする。
本書は韓国育ち、在日十五年の気鋭の言語学者が、肌で感じた日・韓の文化の違いを通して、朝鮮語の面白さを紹介した読者待望の書。
[ 目次 ]
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中国は昔から大好きですが、朝鮮半島には全く興味がなかったのです。あえて目を逸らしていたかも知れない。それがにわかに朝鮮への興味が湧いてきました(僕の場合、言語への興味は即ちそれが話されている土地への興味に直結します)。きっかけは多分、日本語話者にとって学びやすい言語と難しい言語の話をスワヒリ語の先生に聞いたこと。その中で朝鮮語は英語話者に難しく日本語話者には易しいということだったんですが、そんなのは当たり前という人も多いことでしょう。でも僕には不思議だったのです、中国語は日本語とあんなに違うのに、朝鮮語はそんなに似てるんかなと。それで、ちょうどよいときにこの新書をみつけた。鈴木孝夫先生の本はかなり積読していて1冊も読んでなかったのですが、ようやくこの本でその状態も脱出です。まあ実質的には鈴木氏は長めのまえがきを書いてるに過ぎないけれど。この本の読みどころは第3章だと思います。朝鮮語に関する本は初めて読むのですが、多分他にはない特徴じゃないでしょうか。文法も知りたいけれど、それは他の本にも書いてある。まさに第5章で述べられる非日本的な韓国流コミュニケーションの特徴の通り、韓国人だからこそ書けることでしょう。何をするかと言うと、金田一春彦、大野晋、外山滋比古といった学者の日本語論に痛烈に批判するのです。日本語論において、日本語の特徴の原因を日本文化や日本人の性質に求めることがよく見られる。しかし、その日本語の特徴が朝鮮語にも共通し、にもかかわらず朝鮮と日本の文化が違えば、このような議論は全く不毛というわけです。朝鮮語を知ることは、日本語を知ることですね。あと、ハングルのつくられ方も実に興味深い。朝鮮語の罵り言葉も。また、僕は「日本語ほど素晴らしい言語はない!」という無知からくる誇大妄想を日頃抱いていますが、韓国人の自国語に対する強烈な愛には遠く及ばないかも知れない。僕はいとも簡単に外来語を吸収してしまうのも日本語のよさだと思っていますが、韓国人は外来語を侵略者と見做して反撥する。もちろんこれには、過去の朝鮮半島に対する日本の行為も深くかかわっているわけで、いつまでもignorantではいられないのです。こんな感じで、朝鮮語に対する興味はしばらく続くと思います。それから、著者と同様、日本においては朝鮮語という呼称が一般的なのでそれに従いました。
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<本棚の隅にあったこの本を約四十年ぶりに手に取った。>現在と1981年当時では韓国の情勢も随分と変わってきただろうけど、文化や人情についてはまだまだこの本に書かれていることが当てはまることもあるのではないか。本に書かれた例文を見て思うのは、まだ漢字ハングル交じりの文章が例文となっていることだ。今はほとんど全てハングルで書かれているのに。この四十年で漢字を見ることがなくなったのだろう。もちろん、専門書や歴史書には漢字はあるだろうが。日本の状況も随分と変わった。街には韓国語の教室があり、NHKで毎日ハングル教室を放送している。韓流やK-POPが大人気。それでも、韓国語を勉強すると知人に言うと、なんでまた?と聞き返される。英語やフランス語ではそんなことは無いのに。
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1981年当時、韓国ではサランヘヨ(愛してる)は使われていなかったと書いている書籍。歴史は変わりましたね。
韓国語の文法などの説明もありますが、それより面白いのは、当時に韓国語を勉強する大変さが記載されており今とのギャップを感じずには入られません。
当時は全く勉強する術が無かったらしいですね。一つもテレビやラジオで放映されていなかったとのことです。
今でいうカンボジア語ぐらいの扱いかもしれません。
◯トリビア
韓国語は西洋のような開けっぴろで直接的な愛の表現が発達する素地なし(だったらしい)
この夜は特にお月様が明るうございます→妻から夫への懐妊の合図
この夜は蓮の花が咲くだろうか→妻に対する懐妊の問いかけの合図
韓国語の罵り言葉は豊富→日本は無いに等しい