紙の本
自意識の分裂が生んだ滑稽な悲劇
2003/06/19 09:27
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投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
「貧しき人びと」に続く、ドストエフスキーの第二作。「貧しき人びと」が大絶賛を持って迎えられ、「新しいゴーゴリの出現」とまで評価されたが、一転この作においては酷評を受け、現在もほとんど読まれない作品であるらしい。当時の批評界の重鎮ベリンスキーに「幻影的色調」を欠点として酷評されたという。しかし、私にはそれが面白い。分身を扱った幻想小説である。
九等文官ゴリャートキンのもとに、姿形が同じであるばかりか、同姓同名の「贋」(あるいは「新」、もしくは「堕落した」)ゴリャートキンが現われるというのが導入である。新ゴリャートキンは「旧」ゴリャートキンと対照的な性格であるばかりか、あらゆる面で彼の邪魔をし、陰謀を企て、彼を破滅に陥れていく。
分身が現われたのは、彼が恥辱の底にあった時である。関係の深い人物のパーティに招かれていない事を知り、無断で侵入するが、あえなく排除されてしまう。小心者で臆病なゴリャートキンだが、自分の道を正しいことであると思い、官僚制のなかでうまく立ち回り陰謀や風評でのし上がる者たちを軽蔑している。だが、その世界の中で人一倍栄達の意志を持っていることも確かで、それが彼に奇妙な卑屈さと反転した自意識を与えているのだろう。そのため、パーティの席から追出されたことなどは彼に大きな恥辱と衝撃を与えるのである。
パーティの席上から追出される場面は狂騒的な群衆描写と、気づかぬうちに追出されてしまっているというドストエフスキーにしばしば見られる大げさな書き方がなされている。彼の恥辱を描くやり方というのは、そうした形でパロディかと思われるほどの極端な書き方である。いや、実際「貧しき人びと」と「二重人格」はゴーゴリの直接的なパロディでもあるようだ。ドストエフスキーのパロディ的資質、と言えるだろうか。自然に描く、もしくは自然主義的なリアリズムではまったくない。
私が好きなのはそのような恥辱を描く時のグロテスクで滑稽なやり方だ。単に悲劇的にナルシスティックに描くのではない。あらゆる衆人環視のなかでえぐり出される恥辱を、哀しい笑いを通して見る時、何とも言えない感覚を抱く。笑いつつも哀しみをこめて、それを見るドストエフスキーの視線と共に、読者もそれを見ずにはいられないのである。それはまた人間の二面性をえぐり出す。自分自身では悲惨であると思っていたところで、他人からすれば単に滑稽でしかないという構図が、衆人環視と主人公の関係から浮き上がってくる。「地下室の手記」での酒場でのやりとり、「罪と罰」でのマルメラードフ一家の葬式の強烈な印象を残す場面などである。
とつぜん現われた分身との絶え間ない争いのなかで、えぐり出されてくるのは、ゴリャートキン氏の二重性でもある。分身である贋ゴリャートキン氏は明らかに、ゴリャートキン氏の羨望した姿であり、最も望んでいながら自ら軽蔑していた姿だった。自意識の分裂が生んだ滑稽な悲劇である。彼は自分自身によって引導を渡されるのである。誰かによって裁かれ、その判決に不平を言うというようなことにはならない。おそらくそのためであろう、この小説の末尾は以下のように書かれている。
「ああ! 彼はずっと以前からこのことをすでに予感していたのである。」
ずっと以前というのは一体いつのことなのか。この小説が始まった時点か。おそらくそうではないだろう。もっと前から、何かしらの予感として、自らのうちにこの結末=死刑判決を意識していたのだろう(私はここにおいて、あのカフカ「審判」の最後の文章を思い出す)。ゴリャートキンの抵抗はすべてにおいて失敗し、完全な敗北を喫する。誰か他人に裁かれたのではない。もう一人の自分によって過剰な自己意識を裁断されたのだ。
これはまた「地下室の手記」へと続く、ドストエフスキーの主要なモチーフであると思う。
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ロシア研究をしているので、文学嫌いでも読まなきゃならないと2年前に購入し、ホコリを被っていた。ドフトエフスキー文学の中で、評価の分かれる作品らしく、冗長で確かにイライラした。まあ、ただ訳者がいうように一度勢いに乗ると読むスピードが速くなる。200ページから最後の100ページは夜のわずかな時間で2日間で読み終わった。しかし、後味はよくないし、「結局何?」と感じてしまう。やっぱり文学向きじゃないな。
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途中で何度も挫折しかかりましたが、
涸沢でとかげするためにもっていきました。
どんどん病的に主人公がなっていくのか、
それとも自分がなっていくのか、
よくわからなくなってしまった。
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もう一人の自分の幻覚に追い詰められる役人の話。表紙のあおり文句は素晴らしいが、言うほどさして面白くは無い。
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at first imp/
こ、わかった…!だんだん、だんだんと滲み出てくるような狂気が強張った文体の翻訳と相まってより鬼気迫る感じ…ううう。
二重人格、っていうか今は解離性同一性障害っていうけど、この場合はそれなのか、はたまた「人格異常」になってしまうのかも判別つかなくて怖い。
後半、若干ヒいちゃってじっくり読み込まなかったから、そんでももう一度読み直したいなあ。
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これは読みにくい
どのくらいかと言えば、カントの純粋理性批判と同じくらい読みにくかった
物語の辻褄が合わなくて上手く読み進められなくてイライラした。
なんとなくタイトルから察して「きっとこういうことだろうな」と補足しながら読みました。
とにかくカオスな本です。
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初めて読んだドストエフスキー作品。
ふと目にとまったので手に取った。
いきなり「罪と罰」とかメジャーなところを読むのはもったいない気がして、ワンクッション置くつもりで読んだ。
当時は酷評されたらしい。確かに"冗長"だと思った。
しかしこの作品を読んだことで「ドストエフスキーとはこういうものだ」と覚悟することができる、そういう手助けとなる一冊になった。
酷評された理由は冗長だということだけだろう、と思うくらい個人的には好きな作品。
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だいぶ前に読んだのだが、これはあまりよくない出来栄えだった事を覚えている。天下のドストエフスキーがこれはないだろう、って感じで。
内容は詳しくは触れないが、一介の役人が唐突に現れた自らのドッペルゲンガーに徐々に浸食されていくと言うもの。その描写のみが大半で、これと言った思想も大きな変化も話中にはないし、特に魅力的なヒロインも出てこないしで、話に起伏がない。
ドストエフスキーはその処女作『貧しき人びと』の大ヒットの後にこの小説で顰蹙を買うことになったのだが、それもわかる気がするデキ。
もちろん普通の小説家ならこのくらいのレベルの作品でも十分書けている部類に入るのだろう。だがそこは上述の通り天下のドスト氏である。したがってドスト作品にしては異例の星二つを献上せざるを得ない。
ドスト氏が服役後にこれと同じプロットで小説を書いていたら、おそらくもっと深遠なものが出来上がっていただろう。これはその意味でも残念な作品だった。
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ロシア文学の巨匠ドストエフスキーの作品。
『罪と罰』同様、いや、それ以上に
1回の読みで理解出来るものではなく、
読み終わった後には達成感よりもむしと
難解な暗号を解くべく脳みそを酷使した疲労感があった。
また忘れた頃に読もうと思う。そうすれば新たな発見が出来るかも。
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作者自身、一番お気に入りの小説だったらしいので気になって購入。
でも結局読むの後回しにして積読・・・。
どうやら二重人格ではなく、幻覚を見る話みたいですね。
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劣等感が高じてドッペルゲンガーが生じてしまった小役人の物語。ゴーゴリ的な幻想(?)小説。テーマは面白そうなんだけど、冗長で話の流れも支離滅裂なところがあるようで、入り込めなかった。
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ちょっと何書いてんのか分からない。ただ、「地下室の手記」同様、主人公の肥大化した自我には共感せざるを得ない。短くすればショートショートにも出来そうな内容を、丁寧に描写しているあたりに意味があるのかもしれない。あまり評判は良くないそうですね。
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思考だけが先走っている感じがした。しかもとても感覚的でいて、出てきた物語を無為に並べていく感覚。こういう文章は書いてる本人は気持ちいいに違いない。しかし、それはスカラーな物語でしかない。どこかへ、読者を誘うベクトルが見当たらない。しかし、物語のスピード感、無意識的な頭の回転の異常な速さ、そういう部分においては、常人を超えている才能があると思った。
しかし、処女作である「貧しき人々のような軽快さ、緻密な物語構成は見られなかった。それが唯一、残念だった。
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そういえば当時付き合っていた彼女に貸したまま返ってこなくなったっけ。精神を病んでいた彼女に貸すべき本じゃなかったな、と反省。
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この小説の主人公は内的な自尊心が強いものの、臆病者である。それがある悲劇の原因になるのだ。
正直この主人公と自分は似ていると思う。