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猪俣津南雄は、121年前の1889年4月23日に新潟市に生まれて、68年前の1942年1月19日に52歳で亡くなった経済学者。
今ではもうほとんど忘れ去られた感じのかつての労農派のマルクス主義経済学者ですが、こうして岩波文庫に入っていて今でも読める情況にあります。
それもひとえに、この本が、普通は経済学者とは机上の空論を弄ぶだけの人であるはずが、その当の経済学者の猪俣津南雄が、青森県から岡山県までの2府16県におよぶ農村を踏査して、大恐慌の真っ只中(昭和9年・1934年)にある農民の困窮した生活の悲惨さ根深さをえぐり出した貴重なルポルタージュであるからです。
76年を経て大きく変化した社会に住んでいる私たちには、ただ唖然とするしかないような現実がそこに展開するのですが、大多数が農民だった時に、餓死し人身売買せざるをえない現実を、政府も制度も誰もなすすべを持たない役に立たない存在だったことです。私たちがそのころに生きていたなら、確実に飢え死にしていたか、女郎屋に売られて売春婦になっていたか、どこかの炭鉱で奴隷のように働かされていたか、そのどれかだったはずです。
猪俣津南雄が、ただの経済学者ではなく偉大だったのは、調査して分析してその処方箋を企図した上で、さらに農民運動への支援・連動を実行したということです。
それがゆえに、この調査の3年後に、治安維持法を用いた弾圧=人民戦線事件で荒畑寒村や山川均らとともに検挙されて2年後に病死してしまいました。
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1934(昭和9)年の日本の農村の困窮状況についてのルポルタージュである。著者は労農派の農業経済学者として歴史に名を残しているが、今日ではごく一部の人にしか知られていないであろう。当然、社会主義革命への関心がこの著作成立の背景にあるのだが、そんなことは気にせずに、当時の社会状況、政治状況を理解するために大いに参考となる。昭和モダニズムの時代と並存したこのような農村部の実情がどの様な関係にあるのか、その後の日本社会のファシズム化の背景としてどのように農民層を理解するか、考えさせられることは多い。
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外見上ではわからない、経済活動から見た農村の様子が綴られる。
こうして読み進めると、農家がそれぞれひとつの自営業者として養蚕を集中的に行ったり、組合をつくって運営したり、銀行から融資を受けたりと苦労をして資本主義の荒波を乗り越えようとしている様子がわかる。
当初の狙いに近いと思われる階級闘争的な観点からこの報告を見ることもできるし、右傾化する社会的背景として見ることもできる。日本の国家改造論が社会主義的な色彩を帯びるのは、おそらく農山村が資本主義の浸透による債務の増大や破産などを背負ってきたからだという理解ができる。
1920年代から30年代の日本の国家としての歴史的選択のひとつひとつの背景には、このような農山村部の課題が常につきまとっていたことを忘れてはならない。