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紙の本
異才らしくまさに異彩を放つ熊沢蕃山の学説に魅せられて
2022/01/16 13:54
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
他者の引用紹介をなぞるのに飽き、他人の解釈する古典鑑賞を卒業し、最初は判らなくとも「読書百遍 意自ずから通ず」を信じて現物をじっくり味読したくなった。孫引きのもどかさと浅薄な己の理解に苛立つ年齢のせいなのか。気短な癖に読書に勤しむ余暇の時間が増えたためか。
安岡正篤などの著作や童門冬二らの評伝を通じて興味を惹かれた漢学者の中江藤樹とその門下の熊沢蕃山の代表的な著述『翁問答』『集義和書・外書』の現代語訳が一冊に収まっている本があると聞き、早速本書を紐解いてみた。
熊沢蕃山の『集義和書』から読み進め、次いで『集義外書』を読み終えた。なるほど、藤樹門下の異才らしく、まさに蕃山は異彩を放つ。その学説に魅せられてしまう。
異端視され師藤樹の教えに背くと非難されようが、自説を曲げることなく、時節の変化により説く学問が違ってくるのは当り前だが、先師の至善を期する無限の志と同じく自らが説く大道(心法)の実義には些かの相違も無いと反論する人物なのだ。
「自反慎独こそ敬に着手する工夫である」「人欲にはまると、心が痛み身は苦しむ」「存養省察(天与の心を存し養い善悪を反省)して放心せず、これを敬という」などの言葉には、儒学の教典(四書五経)を踏まえた「致良知」を掲げる王陽明流の心学理解が確かにある。
然るに自身は「虚名」で名高いだけと謙遜し、「自慢して人の師となる」を好まず、「いつまでも人の弟子でおればこそ益もある」として弟子を取らぬ理由を吐露する。「儒と仏との違い」についても「輪廻を言うと言わないとの違い」だと単純明快だ。
生死に関し、「人の心は、人の形をしている間のことである。真実の我は形も色も声も臭いもない。どうして生死に迷うことがあろうか」と蕃山は答える。死後に言及しなかった孔子よりも、生死を小事と解脱し得た禅匠の境涯に近い気がする。
日本の武士家系の蕃山がもしも唐土の庶民に生まれたならば、山紫水明の山寺に籠って修行を重ね、「本来無一物」を悟る禅僧となったかも知れない。蕃山という号からして、何やらそれを想像させる響きがある。
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