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紙の本
悲しき熱帯
2002/06/13 19:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やすゆき - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞台が日本じゃないのがいい。乾いた文章と乾いた人物と乾いた舞台。この三つを常に文章から感じることができた。読後、寂しく、悲しくもあり、窓の外の光景がくっきり瞳に焼き付いた。どこか自分が日本という国から逃れだし遠くの国へ行ったような気がした。
紙の本
悲しさの現実(私たちが直面しなければならないもの)
2005/05/27 18:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:RinMusic - この投稿者のレビュー一覧を見る
旧陸軍第30師団の元日本兵と見られる男性二人の生存が確認されたというニュース、発見されたのはフィリピン・ミンダナオ島である。戦後60年、彼らはすでに90歳代を目前にしている。YOMIURI ONLINEによると、彼らは<「日本に帰ると、軍法会議にかけられて銃殺されるのでは」と帰国はおろか、名前を明かすことも拒んだ>という。このニュースが伝える悲しさは、まず言葉にはならない。彼らはもちろん日本に帰国することになるだろうが、すべてが機械化された街、西洋人のようなファッション、横文字が並ぶストリート、あまりに変わり果てた現代日本に帰還して彼らは「救われた」と言えるのか、もしくは「救われる」のだろうか? 彼らに襲いかかるであろう虚脱感を探るのは想像の範囲をあまりに超えていて、茶色に焦げ付き骨と皮だけになっている彼らの姿を私たちが最初に迎える時、彼らと私たちの間に存在するギャップにどう立ち向かえばいいのだろう。花束の贈呈だけは止してほしい…。
私がこの本を読んだところで、彼らの「悲しさ」を知ることなどできない。おそらく彼らは「悲しさ」を感じる前に自分を「喪失」してしまうように思われる(歴史は時々考えられないほど無情になる)。村上龍はここで熱帯での戦争を描いている訳ではない。人間が人間として「在る」ための小さな正義を問うて、小さな物語を残しているだけである。彼の小説からは不思議な温度が伝わってきて、それがおそらく「悲しさ」のカタチだろう。しかし彼は結論を放棄している。現実が小説と異なる点は、事実から逃げることができないことにある。旧日本兵は現実として「在る」。旧日本兵たちの心からは何も伝わってこないだろう。もちろん彼らの「熱帯の悲しさ」など私たちに理解できようもないが、<もう、美しい海の表面は、絵葉書の中にしかない>(p.50)と村上が代弁してくれていることだけは事実なのだろう。彼らがジャングルから日本に持ち帰ってくる「悲しさ」は、永遠に理解することができないのだろう。戦争というものは重いものを残す。戦争は勝敗問わず、皆が本当に傷つくものである。日本人にとっての熱帯はそういう舞台(記憶)だった。
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