紙の本
娘ユンの生活について
2002/02/24 23:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヒロト - この投稿者のレビュー一覧を見る
近藤紘一の「妻と娘」シリーズ。ベトナム戦争中にサイゴンで知り合った妻と娘が、サイゴン陥落後、東京から作者の赴任先のタイのバンコクに来た時のお話。全体的に、フランス人学校のリセで勉学に励む娘ユンについて書かれた内容になっています。あくまでも、陽気で、そして強いベトナム人の妻、そして娘ユンについての生活が見えてきます。熱い熱帯の国タイがベトナム人の妻と娘にとってどんな風に写っていたのかが見えるところなど、とても興味深い内容でした。妻と娘シリーズは全部読んだのですが、作者にとって大変だが、一番幸せな時期だったのではと感じました。
投稿元:
レビューを見る
「妻と娘」シリーズ3部作の2作目。時代を越えて読み継がれるであろう、色褪せることのない名作。1971年から1975年までをサンケイ新聞サイゴン特派員としてサイゴンに勤務した近藤さんの、「私自身がこの土地とそこに住む人々の生きざまに深く惹かれた」という想いからはじまる人生の軌跡です。
全体を通して、異文化理解の在りかたを堅苦しくなく綴っていますが、やはりそこに垣間見られるのは近藤さんの「なみはずれて量の多い愛」で、その文章に、優しさが滲み出ています。
投稿元:
レビューを見る
この著者のカキモノが心地いいのは、物事に対する感じ方が自分と近いからなのだろうかと思う。ベトナム育ちの妻の連れ子を、13歳で日本に連れて行き、日本国内のフランスの学校に入れる。その中で娘のアイデンティティーの確立に悩む親が描かれている。その姿には、恐らく彼の前妻との経験も大きく作用しているとは思うが、彼が選んでいく娘のための方向性は間違っていないように見受けられる。
投稿元:
レビューを見る
『サイゴンから来た妻と娘』に続く近藤さん一家の第2弾。近藤さんにバンコク支局勤務の命が下り、夫婦二人はバンコクへ。娘のミーユンはリセ・フランコ・ジャポネで寮生活を送るが、やがてバンコク生活に合流する。相変わらず、二人の女性に振り回され、それを楽しむかのような近藤さんの温かな筆が冴える。男性の文章ってどうも理が勝ちすぎてエッセイなどは面白くなくなりがちなんだけど、そういう中にあってこのシリーズが面白いのは、近藤さんのジャーナリストとしての目と、自らを三枚目の登場人物として描くバランスがいいからだろうな。
娘のミーユンが近藤さんのことをすごく慕っている様子がわかる。近藤さんもいきなり育った文化からして異なる難しい年頃の娘の父親になったというのに、時に真剣に思案しつつ、いいかげんに父親ぶりを発揮しているところが微笑ましい。血のつながらない父娘でもこういう関係が結べるものなんだ。ちょっといいなと思った一節を抜き書きしておこう。夏休みのうちにリセ・フランコ・ジャポネへミーユンの退学手続きに行った時のこと。
―前略―他はいずれも、二人一組の固定式の机と椅子が並んでいるだけで、娘がどの教室でどんな授業を受けていたのか、わからなかった。だが、間違いなく、ここはユンの世界だった。日本にきてから、彼女が、その空気にすっかり同化し、走り回り、ときに頭をかかえてテストに没頭し、あるいは友達と言い合ったり、心おきなくはしゃぎ得た、おそらく唯一つの「自分の世界」だった。すべての教室にユンがいた。思いもよらぬほど濃厚にユンがいた。目を閉じるまでもなく、二人一組の机について、けんめいに黒板を見つめている娘の姿が眼前に浮かんだ。疲労で少々神経が過敏になっていたのかもしれない。だが、この無人の教室が、これほどユンそのものとして心に迫ってくるとは、思ってもいなかった。私にとって、それまでここはほとんど未知の世界だった。そのこと自体がすでに私と、彼女との世界の間に無現の懸隔が存在していた――おそらく今も存在している――事実の何よりの証拠だ、とあらためて思った。(p.191)
投稿元:
レビューを見る
(1993.03.16読了)(1989.03.31購入)
内容紹介 amazon
東京に残してきた娘の教育問題に心を痛めつつ力強いベトナム女房の内助で中越戦争のスクープに成功するバンコク特派員の笑いと涙。「サイゴンから来た妻と娘」続篇
☆関連図書(既読)
「戦火と混迷の日々」近藤紘一著、文春文庫、1987.02.10
投稿元:
レビューを見る
前作よりかなり深く、子育て、異文化での生活について掘り下げられた一冊だった。著者の素直な性格がにじみ出ている。異文化で生活する人、特に子育てする人に必読の一冊。著者ではない人が書いている最後の言葉だけが、ひどくつまらなかった。
投稿元:
レビューを見る
ベトナム人の奥さんを夫として、そしてその連れ子である娘を義父として温かく見守る著者のバンコク日記。人のアイデンティティー形成においていかに小学校〜中学校(いわゆる義務教育期間)期における教育が影響を与えるかということを考えさせられた一冊です。
投稿元:
レビューを見る
前作よりもより私的な記録の色合いが濃く、主に年頃の娘さんとのやりとりが主体。血の繋がらないベトナム人の娘さんを包む優しさが、亡くなった前妻とのことから来ていることが明かされる。改めて再読すると、僕自身も考えることあるなあ。
70年代終わりのバンコクが舞台。辻仁成の小説と同じ頃の出来事だけど、こっちはリアル。街の風景が彩り鮮やか。
投稿元:
レビューを見る
妻と娘シリーズの2作目です。
僕にも高1の生意気な娘がいます。
私は実娘(たぶん)ですが、近藤さんほど、真剣に向き合えているのか、不安になります。
結構、古い作品ですが、時代の古さは感じません。
親子、夫婦とか、根源的なモノは変わらない、ということですね。
3作目のパリ編、早く読まなきゃ。
投稿元:
レビューを見る
『サイゴンから来た妻と娘』の続編。今回は娘が主人公です。文化的アイデンティティの問題は考えさせられました。
投稿元:
レビューを見る
「サイゴンから来た妻と娘」続編。日本で数年過ごしたあと、次の赴任地はタイ、バンコク。でも日本が好きになった娘のユンちゃんは東京に残ると言い出す。ユンちゃんの「教育」が本書の柱だ。
著者夫妻の子育ては平均的な日本人のものとは相当にかけ離れている。ユンちゃんはベトナムに生まれ、共産化した祖国を離れて日本にやってきて、でも日本の学校に入らずに、日本にあるリセ(フランスの中学校)に通ってフランス語を学んでいる。しかも両親はタイに住んでいる。「娘をなに人に育てるつもりなんだ!」著者は怒られたらしい。
教育に正解、不正解はない。結果論でしかないからだ。親ができるのは選択肢を広げることだけだ。その意味で、「なに人になるか」からして選択肢である、というのは悪いことではないと思うが、そういうレベルの選択肢を与えられた娘も大変だなあ、とも思う。自由はリスクと努力を伴うのだ。
「なに人になるか」を自分で選ばなければならなかった娘は、大抵のことではへこたれないだろうと思うけど。
ぼくだったらどうしただろう?
投稿元:
レビューを見る
家の本棚あさってたらタイトルに興味をひかれて。
新聞記者がベトナムから奥さんと子供を日本に連れてきたけど、今度はタイに行くことになって子供は日本のフランス学校に残していくことになった、っていう。
12歳で母国を離れた子供が、トナム語も日本語もフランス語も中途半端で苦労するものの、フランス語でやっていこう、と。
途中からはタイに呼び寄せて家族で一緒に暮らせるんだけど、その後が気になってググったら、この方45歳でガンで亡くなってたのよね。
その後の母子は幸せに暮らせたのかなー。
投稿元:
レビューを見る
ベトナム出身の奥さんと娘さんとでタイの駐在(最初は娘さんが日本在住で別々)。文化人類学のような考察もあって興味深い。それにしても子どもへのしつけがすごい。子どもの人格なんか無視のようやけどこっちの方が気骨のある人間になるのかもと思えた。