紙の本
殺された何十万人の内の一人ではなく、その人たちひとりひとりの生活が確かにあったのである
2016/08/16 17:38
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
長崎に原爆が落とされた前日の人々の生活を描いたものである。明日、原爆が落とされ命を落とすことになろうとは夢にも思わない人々の話である。方言がきつく読みにくい面はあるが、たいしたことではない。戦時下とはいえ、いつもと変わらない日常を生きている人々である。8月9日の描写はないが、誰もが知りつつ読むはずである。殺された何十万人の内の一人ではなく、その人たちひとりひとりの生活が確かにあったのである。
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戦後70年のとしに
2015/08/27 00:29
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投稿者:すまいる - この投稿者のレビュー一覧を見る
原爆の日に長崎へ行くので、この本を読んでみました。たんたんと書かれていると思います。とても面白いという感想ではありませんが、戦争を考えるにはよい小説だと思います、でも、読むには重い小説です。でも一度は、読んだほうがいい小説です。
紙の本
読んで良かった
2015/09/29 15:03
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投稿者:みこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰にでもやってくる明日という日。昨日、今日、明日と続いていくのに突然それは壊されてしまった。恐ろしい原爆によって。
無辜の命を奪った原爆を許せない。これを機に来年の夏に長崎をもう一度訪れてみようと思います。
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(2007.08.12読了)(2006.09.30購入)
副題「一九四五年八月八日・長崎」
「父と暮せば」(井上ひさし著、新潮文庫)の解説で、原爆をテーマとした文学として「黒い雨」(井伏鱒二著、新潮文庫)と「明日」(井上光晴著、集英社文庫)を挙げてありました。
「黒い雨」は、昔読んだので、「明日」を読もうと購入したのですが、8月9日は過ぎてしまいました。でも、今読まないとまた来年になってしまうので、読んでしまうことにしました。
副題が「1945年8日8日・長崎」となっていますので、原爆投下の一日前ということが分かります。小説の内容も、8月8日の長崎で生活する人々の様子が描かれています。
小説の中の人物たちは、明日何が起こるか知らないわけですが、読んでいる僕は、何があったか知っているので、できることなら小説の中の人物に教えてやりたい、もどかしい気持ちを持ちながら読むことに成りました。
物語は、結婚式に集まった人々を中心に進められます。
新郎、中川庄治(三菱製鋼所の工員)、新婦、三浦ヤエ(長崎医大の大学病院の看護婦)、長崎医大附属医院看護婦、福永亜矢、江上春子、新婦の両親、三浦泰一郎、ツイ、新婦の叔母、堂崎ハル、新婦の叔父夫妻、水本広、満江、新郎の義父母?銅打弥助、妻、仲人役、小付稜子(助産婦)、新郎の友人、石原継夫、・・・。
明日、爆心地を離れる予定が変更になってしまった人、用事で爆心地へやってくる予定の人。さまざまです。
登場人物たちの会話から、戦時下の生活がどのようなものだったかが分かるようにもなっています。物資が不足して、米の代わりに烏賊の塩辛が配給されたという話も出ています。
物語は、三浦ツイの娘、ツル子が無事出産した8月9日4時17分で終わる。
原爆投下は、11時2分。あと7時間もない。登場人物たちがどうなったのかは、想像するしかない。
著者 井上 光晴
1926年5月15日 福岡県久留米市生まれ(中国旅順生まれ)
(4歳のとき、日本に帰国)
(電波兵器技術養成所卒業)
1950年 処女作『書かれざる一章』を発表
1956年 上京、本格的に作家生活に入る
1963年 「地の群れ」を発表
1977年 文学伝習所を創設
1992年5月30日 大腸癌のため死去、享年66歳
(2007年8月19日・記)
☆関連図書(既読)
「長崎の鐘」永井隆著、中央出版社、1976.06.20
(「BOOK」データベースより)amazon
原爆投下の前日8月8日、長崎の街にはいま現在そこに住む人々と、おなじ人間の暮らしがあった。結婚式を挙げた新郎新婦、刑務所に収監された夫に接見する妻、難産の末に子供を産む妊婦…など。愛し傷つき勇気を奮い起こし、悲喜こもごも生きる人々を突然に襲う運命の《明日》。人間の存在を問い、核時代の《今日》を鮮烈に描く長篇。第29回青少年読書感想文全国コンクール・高校の部『課題図書』。
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原爆前日、1945年8月8日の長崎における人々の生活について、とある夫婦の結婚式とその関係者を中心に様々な人のそれぞれの一日を描いた作品。
あえて8月9日のことを触れずに、8月9日の早朝で物語を終え、新婚夫婦、産まれたばかりの赤ちゃんとその母親など、登場人物それぞれの「明日」はどうなったのかを一切触れていないところが、この作品に重みを強く与えている。
この本を読む際には、併せて、長崎の原爆について少しでも良いので調べてみることをお勧めする。長崎の原爆について少しでも知っているかどうかで、全く感じ方が違ってくると思うからだ。
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戦時下ではあるものの、ごくありふれた夏の日の日常。
多くの人命を一瞬で奪った惨禍の前日、人々は極々普通の日々を営んでいた。
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読んだのは単行本のほう。原爆投下の前日を描く。結婚や出産のハレの日や市井の人たちの日常と数時間後に訪れる悲劇を対比すると哀しい。
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長崎に原爆がおとされる前の日を描いた作品。
アメリカの9.11しかり3.11しかり、悲惨な出来事の「前の日」というのは確かにあったわけで。
読んでいても「この人たちがみんな、明日には……」と思うととても切なかったです。
そしていま私たちだって、明日何が起きるかなんてわからずに生活していて、もしかしたらまさに「今日」が、この作品に出てくる1日になるかもしれない。
そう思うと、1日1日を大事に生きるって大切だなあと思うのですが、なかなか難しいんですよね……。
登場人物がみんな長崎弁(でいいのかな)で会話をするので、ちょっと読みにくかったりもしました。どういう意味かわからないところもあったりして。
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1945年8月8日
その次の日、明日・・・
長崎に原爆が投下された日。
戦時下でその土地、長崎で生きる人々の光景
明けない夜はない、明日は来ると誰もが希望を持ち明日を迎える
ひたむきに生きる人々、戦争が破壊する光景
重い話であることは言いようがないくらい伝わってくる・・
でも忘れてはいけない戦争の記憶
戦争を知らない私は、当たり前の明日を目の当たりにしている・・・
生死隣り合わせの明日とは・・・
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1945年8月8日の長崎の生活を描いた作品。タイトルの明日と言うのは、翌日原爆が落ちる日。決して明るい日ではなく黒い日なんだろうけど、それを知っている今読むから意味があるのだろう。しかし、登場人物たちは明日のことは何も知らない。私たちの日常も明日はどうなるか分からない。大量破壊兵器でなくても交通事故にしたって、あっという間に幸せを奪っていくのだから。しかし、作品そのものとしては、どうだろう。期待していたものとは違っていました。
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1945年8月9日午前11時2分、ボックスカーと名付けられたB29によって長崎に原子爆弾が落とされ、何万人もの人々が亡くなった。
しかし、その前日、8月8日の時点では長崎に暮らす人々は翌日のことなど知らずに、普通にこれまで通りの生活を送っていた。
祝言を挙げた若い男女がおり、その席に呼ばれた路面電車を運転する運転士は翌日の勤務途中で妻から弁当を受け取る手配をし、翌日に予定されていた夫の裁判が延期となったと聞かされた妻は、祝言に出された膳から作った差し入れをもう一度持ってこようと考える。
そして、臨月で祝言に出られなかった女性は、一晩陣痛に苦しんだ末、9日の未明に待望の男の子を出産した。
物語はそこで終わる。
物語自体は戦争末期の日本の日常を描いているに過ぎないが、これが8月8日の長崎であるということ、物語の終わりと同時に、そのように暮らしていた人たちの暮らしも終わってしまったに違いないという読者の想像力に作者は物語の終わりを委ねている。