投稿元:
レビューを見る
(内容)
ヨーロッパのハネムーンから戻った伸子は、出迎えた兄から突然、会社重役の父羽川重信に会うようにと告げられた。
そしてその夜、家族全員を集めた晩餐の席で、温厚な父からは想像もつかない怖ろしい告白が始められた。
突然の告白で明らかにされた20年前の殺人。
果して、父に何があったのか・・・。
社会的生命を賭けて自らの真実を追究する男と家族との葛藤を描く衝撃のサスペンス。
(ブック・カヴァーより)
(感想)
昭和59年3月、新潮社から出版より刊行された作品です。
ネタばれをしてしまいますと、父・羽川が過去の殺人を公にしたことで幸せになった人はいなかった、残された者達は皆、傷つき、あるいは死に、羽川自身も死んでしまいます。
羽川自身は、過去の真実を明らかにすることで、濡れ衣を着せられ、自分の代わりに殺人者にされた石元の汚名を晴らし、その親族も救えると思っていたようですが、実際には、その真逆な結果になります。
読んでて思ったんですが、羽川というのは随分と自分勝手な人だな〜、と。
・・というと多少、語弊がありますが、心のどこかで、「自らの殺人を、黙ってても問題無いのに、20年も悩んで告白するなんて、勇気と善意溢れる行動ですね!」と誉めてもらう、あるいは感謝してもらいたかった部分はあるんじゃないかな〜と思います。
結局、それって、"社会的な生命を賭ける行動"と言っても、それと引き換えに、満足が得られるからやるわけでしょ?
「罪を黙ってる」という罪悪感の重みからも解放されたかっただろうし。
本当に罪を償うならば、ずっと罪の重さを背負い続けることこそが、1番大変なことで同時に最良の償いだった気がします。
だから、(特に、「石元の娘に、殺人の告白はやめてくれ!」と言われたにも関わらず、喋ってしまうあたりは)羽川には、思い込み(ともすれば押し売り的な)善意を感じました。
羽川の告白(反対されながら実行したこと)が、もっと、心から同情出来るような善意だったら、それが裏目に出てしまった皮肉さを感じられたと思います。
尚、後書き、そして、権田萬治さんの解説によると、この作品タイトルは、イタリアのフランチェスコ・ロージ監督の映画から来ているそうで、その映画も、機会があったら観てみたいな〜と思いました。
投稿元:
レビューを見る
1986年に出版されたもの。なので、今読むと感覚的にズレを感じる。
父が20年前に犯した殺人について家族に告白。
自分の罪を償い、無実の罪で捕まった家族で謝罪したいという父親と
過去の罪よりも、自分たちの今の生活を守りたい子どもたち。
真実を語る、それは正しいこと?自己満足?
投稿元:
レビューを見る
いきなり父親が昔殺人を犯したなんて告白してきたら、そりゃびっくりするだろうな。
自分だったら、やっぱり世間に公表してほしくない。
いやぁ、でも殺人を犯した以外は理想の父親だなぁと思った。
投稿元:
レビューを見る
お父さんの仕組んだことでした~的な結末を期待していただけに普通に終わってがっかりしました。
娘二人を無事に嫁にやり、仕事もやり遂げ、いざ引退しようという父より飛び出した衝撃発言「20年前の殺人の罪を今告白しようと思う」
荒れ狂う長女夫妻、無関心風の長男、お父さん擁護派の次女夫妻。
長男が恋人に喋ったことがきっかけでテレビでの独占生放送が決定してしまう。
いまいちでした。登場人物がみんな薄い。説明は豊富だけど人間臭さがありません。
たぶん作者は「真実とは何か」的なことが言いたかったんでしょうが響いてきません。
人が3人も死んでいるのに・・・死なせ損です。
投稿元:
レビューを見る
真実を告白したい相手が,
真実を聞きたくないと行った時に、
すべてが終わっているはずだ。
話を長くしすぎだと思う。
真実を告白したい相手と会った後で、
なぜテレビに出る必要があるのだろう。
赤川次郎にしては,登場人物の心がわからない珍しい作品だ。
誰も透明感のある人格がいない。
いたとしても,主人公ではないので情報があまりにない。
赤川次郎のワースト3に上げたい作品だ。
その意味で読む価値がある。
弘法も筆の誤りだと思う。
その誤りは価値がある。
こうならないために。
投稿元:
レビューを見る
(内容)
ヨーロッパのハネムーンから戻った伸子は、出迎えた兄から突然、会社重役の父羽川重信に会うようにと告げられた。
そしてその夜、家族全員を集めた晩餐の席で、温厚な父からは想像もつかない怖ろしい告白が始められた。
突然の告白で明らかにされた20年前の殺人。
果して、父に何があったのか・・・。
社会的生命を賭けて自らの真実を追究する男と家族との葛藤を描く衝撃のサスペンス。
(ブック・カヴァーより)
(感想)
昭和59年3月、新潮社から出版より刊行された作品です。
ネタばれをしてしまいますと、父・羽川が過去の殺人を公にしたことで幸せになった人はいなかった、残された者達は皆、傷つき、あるいは死に、羽川自身も死んでしまいます。
羽川自身は、過去の真実を明らかにすることで、濡れ衣を着せられ、自分の代わりに殺人者にされた石元の汚名を晴らし、その親族も救えると思っていたようですが、実際には、その真逆な結果になります。
読んでて思ったんですが、羽川というのは随分と自分勝手な人だな〜、と。
・・というと多少、語弊がありますが、心のどこかで、「自らの殺人を、黙ってても問題無いのに、20年も悩んで告白するなんて、勇気と善意溢れる行動ですね!」と誉めてもらう、あるいは感謝してもらいたかった部分はあるんじゃないかな〜と思います。
結局、それって、"社会的な生命を賭ける行動"と言っても、それと引き換えに、満足が得られるからやるわけでしょ?
「罪を黙ってる」という罪悪感の重みからも解放されたかっただろうし。
本当に罪を償うならば、ずっと罪の重さを背負い続けることこそが、1番大変なことで同時に最良の償いだった気がします。
だから、(特に、「石元の娘に、殺人の告白はやめてくれ!」と言われたにも関わらず、喋ってしまうあたりは)羽川には、思い込み(ともすれば押し売り的な)善意を感じました。
羽川の告白(反対されながら実行したこと)が、もっと、心から同情出来るような善意だったら、それが裏目に出てしまった皮肉さを感じられたと思います。
尚、後書き、そして、権田萬治さんの解説によると、この作品タイトルは、イタリアのフランチェスコ・ロージ監督の映画から来ているそうで、その映画も、機会があったら観てみたいな〜と思いました。