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非常に面白かった。これから日本全国の神社の神社縁起を読むのが楽しみだ。この本はひとつの指標となるだろう。
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古代朝鮮と日本文化―縄文人と弥生・古墳時代人◆神々のふるさと◆日本の中の朝鮮文化遺跡
著者:金達寿(キム・タルス)、1919-1997
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多くの文化は大陸(朝鮮半島)からもたらされたものであり、多数の人の移動を伴っていたことが伝わってくる。神への信仰や神社も半島からもたらされた。
後に移住してきた天孫民族(ヤマト王権をつくったとする古代勢力)や出雲民族と同族の国津神(土着の神々の総称)系民族が石器時代から土着していた(鳥居龍蔵)。出雲の斐伊川や神戸川をさかのぼって奥地を開拓したのは、スサノオノミコトを奉ずる新羅系渡来人で、砂鉄を求めて移動したと考えられる(水野祐)。神社・神宮は、祖神となった者の古墳から始まり、前方後円墳の前方部は祭壇だったと著者は考えている。
古くからの渡来人である秦氏の下には18670人がいた。雄略天皇の7年(463年)に吉備上道田狭臣が任那で起こした反乱を討った帰国の際に、多数の百済人も日本列島に入って東漢氏の配下に入った(埴原)。
668年に高句麗が新羅に滅ぼされたため、高麗若光集団は日本に渡来して相模の大磯に上陸した。高麗山麓にある高来神社は明治30年まで高麗神社だった。高座郡はかつて高倉郡と呼ばれ、高麗人に由来すると言われている。現在芦ノ湖畔にある箱根神社は奈良時代以前には駒岳山頂にあって、大磯高麗山山頂に祀られていた高麗権現を勧請したものだった(中野敬次郎)。相模の地名は朝鮮語のサガ(寒河)に由来し、私の家、社などの意味。716年に関東各地の高麗人とともに武蔵国に移り、高麗郡(現日高市と飯能市の一部)がおかれた(続日本紀)。
武蔵の地名は朝鮮語のモシ・シ(苧)が由来で、武蔵の1か所に植えられた所の名が広く呼ばれるようになったと考えられる(鳥居龍蔵)。調布にある「たづくり」とは手製の麻布で、武蔵野は古代韓国の帰化人によって開拓された(小西秋雄)。
堺市を中心とした陶邑(すえむら)窯跡群は、須恵器の大生産地だった(古墳時代から奈良時代)。奈良東大寺の仏像を最初に造立したのは、百済系渡来人の国中公麻呂。東漢氏族は南部朝鮮の小国家であった安耶に由来する百済系の帰化人で、飛鳥を中心とした高市郡の総人口の8〜9割を占めていた。京都の八坂神社や法観寺は高麗氏族に由来したもの。815年の新撰姓氏録によると、氏の3分の2は渡来人が占めていた。
大正時代末期に、平野運河開削工事のために多数の朝鮮人が集められ、現在も生野区には3〜4万人の朝鮮人が居住している。
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『日本古代史と朝鮮』(1985年、講談社学術文庫)の姉妹編です。日本の古代史のなかに朝鮮半島とのつながりを示すさまざまな事実を求めて著者が実地調査をおこない、また歴史学者や郷土史家の著作日本と朝鮮とのかかわりについての議論を広く渉猟し、その紹介をおこなっています。
本書は二部構成となっており、第一部では本書のサブタイトルにえらばれた「神々のふるさと」ということばが示すように、とりわけ日本独自の文化とされる神社のなかで、朝鮮半島に由来をもつような事実をさぐっています。第二部は、日本各地にのこる朝鮮から伝わった文化の痕跡を、幅広く紹介しています。著者はこうした調査を精力的におこなっており、「日本の中の朝鮮文化」シリーズ(全12巻)にまとめられていますが、その調査の一端を示したものです。
本書のなかで、民俗学者の谷川健一が日本の古代文化の深層を「南」のほうから見ていこうとしたのに対して、自身は「北」の朝鮮のほうから見ていこうとしたのだと著者が述べているところがあります。日本の古代の信仰のありかたに、そうした重層性を見ようとする著者の試みそのものは、興味深いと感じました。