紙の本
個人的な「欲」の話だけなのだが
2007/07/22 15:03
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日記文学の最高峰であると考えている。
永井荷風という いささかひねくれた文学者が 自分の日常を綴っているだけと言ってしまうと それまでだが いくら読んでいても飽きない。
書いている時代は 大正6年から昭和34年だ。日本史上 もっとも激動の時代だったと言って良い。そんな「激動」の時代の中 永井が書いているのは どこで何を食べたであるとかどこの女性とどうした ばかりである。所々には その時代の影はきちんと描かれているが それは「舞台設定」として出てくる程度で 基本的には 永井個人の「欲」が書かれているだけだ。
そんな 極めて個人的な日記を耽読した人は多い。小津安二朗、川本三郎、田中康夫、アラーキー等が その影響を認めている。
武田百合子の「富士日記」もそうだが 他人の「日記」は 時に 実に面白い。でも それは何でなのだろうか。僕は まだこの問いへの有効な答えを持っていない。
紙の本
断腸亭日乗
2020/11/25 17:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
永井荷風の日記の抄録。1917年から1936年まで。大きな出来事としては森鴎外の死や関東大震災、5・15事件、2・26事件など。さらにニューヨーク・パリに洋行していた際の日記も附いている。
懐古趣味というか、現代を憂うというか、そんな日々が綴られている。政治主張の右左にかかわらず、荷風個人の生活に容喙するものを忌避している。
ところどころ削除されているのは、戦時中に摘発を恐れてのことらしい。
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死の前日まで書き続けられた日記。それは綺麗に清書され、そのまま版下に使えるようにまでされていたそうです。
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孤高と言うべきか、偏屈と言うべきか。判別付きがたい部分はありつつも、戦前から戦後まで確固として貫かれた個人主義と自由主義、改める気配もない遊興好みなど、荷風がこの時代の人間としてとてつもなく個性的な人物だったのは確か。鍛え抜かれた観察眼と豊かな表現力で描き出される昭和日本の足跡は、教科書で学ぶ「近現代史」の隙間を補うリアリティに溢れていて引き込まれる。特に戦争前夜から戦災下の東京の情景描写は圧巻。戦後の記録も、皮肉の裏に覗く憂国の思い、卑俗化していく世間への嘆きなど、現代人の視点から見ても共感する部分も多々。全二冊。
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現在、シコシコ少しづつ読んでいる。
時代的に夏目漱石と太宰治の中間を埋める作家。
元銀行員・元落語家(三遊亭夢之助を名乗る)
活動は、大正後期(1908年)〜1959年没。
顔は勝手に「菊池寛・似」をイメージしていたが、細面の人。
「旧仮名遣い」「旧字」でも、結構読んだつもりだが初めてお目にかかる漢字も散見する。
仮名遣いも「旧仮名遣い」というより「候文調」。
これも「快感」。
例・「忽」=たちまち・「褥中」(じょくちゅう)=おそらく「寝床の中」のこと←想像
「褥中」などは、コピペしてワードで見ないと漢字さえ不明。文庫なら見ることが出来る。
「耽美的な作風」と言われるが、かなり下世話(庶民的)で「田中小実昌のルーツ」と言ったところか?
ずいぶんとスケベーだったらしい。
セックスは、あちこち?でしたがかならず避妊したとか。理屈をつけて、子供を持たなかった。
ネットでは「浅草ロック座」でのストリッパーたちとの写真も発見。
作品は読んでいないのだが、面白い作家かも‥‥
別の話だが、野坂昭如さん・小沢昭一さん・永六輔さんが年齢とは言え書店でも著作を見かけないのが寂しい。
かつては、並んでいたはず。
各人とも親父と同世代。
永六輔さんの「情報収集能力」の後継者はいない。
「足と手間と顔で集めた情報」は貴重である。
岩波文庫等が、定番化するべし。時代を映すもので、貴重である。
今となって感心する。
これも、時代。
21世紀ですもの‥‥
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荷風を俗人と罵ったのは安吾だったか。確かに荷風は俗なんだが、決して悪いことではない。それにしても偏奇館に火災保険をかけているのは笑った。
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ブログを続けていくにつれ、果たして日記とどのように違うのか? プロフとは? twitterとは? 掲示板とは? などという思いに駆られることが少なくないのだ。今宵はちょいと振り返って、ブログと日記の違いや共通点などについて、少々真面目に考えてみようなどと思ったのである。
明治から昭和にかけての風俗を独特の筆致で描いた文豪、永井荷風といえば、数々の小説などの文学作品を世の中に発表していくことと同時進行的に、毎日の記録を日記として書き残していくことを、日課として課していたことでも有名である。それらの膨大な日記は「断腸亭日乗」というシリーズ本としてまとめられ、戦後には発刊され評判を呼んでいる。荷風さん研究の貴重な資料ともなっているのだ。彼が37歳の時から始まり79歳で大往生(当時の寿命からしてそういって間違いなかろう)するまでの42年間、1日も欠かすことなく続けていたというのだから恐れ入る。「ほぼ日刊」などと称しているおいらが恥ずかしくなるくらいの凄さなり。
そもそも「断腸亭日乗」というタイトル自体がユニークである。「断腸の思い」という一言を想起させる「断腸亭」とは、その昔荷風さんが住まわれていた一室の別名とか。そして「日乗」とは「日記」の別名である。世に艶福家として名にしおう荷風さんの日記らしく、小説では発表しなかった下寝た日誌なども躊躇うことなくあれこれと記されている。さらには、仲間内での小言なり誹謗中傷なりが散見されていてとても興味をそそるのである。
さてそろそろ結論である。日記もブログも、毎日こつこつと続けていくことに意義がある。気負わず焦らず、ときには気を抜きつつ、出来るだけ長々と続けて行きたいという思いを強くしたのでありました。
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実に面白い。日記なので細切れに読み続けた。自由を愛する荷風の芯の強い文章は今読んでもはっとさせられる。漢文勉強したい、それにしても。
いつの時代も、今どきの若いやつらは、、、と批判されますね。
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今から100年以上も前、荷風20代の頃にアメリカとフランスでかなりな回数オペラや歌劇を鑑賞しています。アメリカでは酒場で知り合った女性と懇ろになって、別離に悩んでいます。この頃すでに美への希求や快楽に自由であったようです。48歳の時の日記には「淫慾もまた全く排除すること能はず。これまた人生楽事の一なればなり。独居のさびしさも棄てがたく、蓄妾の楽しみもまた容易に排すべからず、勉学もおもしろく、放蕩もまた更に愉快なりとは、さてさて楽しみ多きに過ぎたるわが身ならずや。」とある。男としては羨ましい限りです。 今の時代にあっては、このようなことを述べると(荷風も私も)当然あらゆる方面から袋叩きに会うことは間違いないでしょう。荷風は死ぬまで自由に生きた人ですね。
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『断腸亭日乗』を磯田光一が抜粋したもの。上巻は1917~36年。社会を斜めから捉える眼差しは当初から一貫しているが、満洲事変以降になると、「日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事」(36年2月14日条)というように、社会批判がより目立つようになる。『濹東綺譚』の創作過程をクライマックスとして、下巻に続く。