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ゼミで漱石の全ての作品を扱った時に、ちくま文庫のこの全集を全巻買いました。
ゼミでは先生が作品に合わせた漱石(作品)関連のお菓子を毎週持ってきてくれました。
ある週は、なんとか羊羹。どうやってゼミの皆で分けるんだろうと考えていると、先生が使い込んだ古ぼけた革のカバンをゴソゴソし、中から包丁(果物ナイフ等ではなく大きい包丁)をごく普通に取り出して切り分けてくれました。皆、顔を見あわせてビックリしたのは言う間でもありません。
先生が取り寄せてくれた日本各地の関連お菓子のおかげで、ゼミはかなり楽しい物になりました。ちなみに、私が担当したのは「思い出す事など」
文庫版の全集は、ハードカバーの大型本全集とくらべると、気軽に買えて持ち運べて読めるのが最高です。
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『吾輩は猫である』を収録.
docomo HT-03Aで青空プロバイダ+縦書きビューワを利用して青空文庫版を読んだ.
とにかく痛快である.
やや荒削りな感はあるが,「猫」を含む登場人物の個性を際立たせる詳細な描写,洋の東西を問わない膨大な知識から雨あられのエピソードが繰り出される様は,処女作にして真骨頂極まり,まさに漱石の独壇場と言ってよいだろう.
私は本作を読む前に『行人』を読了していたが,最終章において突如として彼の内面にくすぶる悲観的死生観が激しく吐露される点において,両者の共通性を認めた.
はじめのうちは読者を楽しませようと“他者本意”で書くが,いざ物語を閉じる段になると,急に“自己本位”にスイッチが切り替わり,心底に秘めた思いをまるで堰を切ったように,息もつかせぬ勢いで語り尽くす.
こうしたスタイルは,漱石の性格に大いに起因するのだろうと思う.
頭脳明晰で,他人の考え,心象の機微が手に取るようにわかってしまう,サービス精神旺盛だが気は小さく,つい道化を演じて自分の本当の思いを飲み込んでしまう...,そんな漱石の“小市民的”人間像が,彼の作品を通じて伝わってくる.
皮肉屋でへそ曲がりかもしれないが,根は素直で正直な人なんだなあ,とつくづく思う.
またこれこそが,多くの日本人が漱石を愛して止まない理由であるような気がする.
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「吾輩は猫である」
毒を茶化して笑いに変える。
夏目漱石の作品で、最も再読率が高いのがこの猫。
カッコイイ。
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丸々一冊「吾輩は猫である」です。
100年前の文化人風刺として楽しめました。100年前でも変わってるようなそう変わってもいないような。
個人が強くなっていって結婚しなくなるであろうという、未来予測は当たっているなと感心しました。公務員が権力の元を忘れていてけしからんという話は今と同じですね。
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「我輩は猫である。名前はまだ無い」
有名なこのフレーズは知っていたけれど、読んだことはなかったので読んでみました。
猫の主人であり、胃弱でひと癖ある教師の苦沙弥、口が達者な迷亭や学士の寒月など、「主人の家へ出入する変人」(by猫)たちの日常が、猫から見た視点で描かれている。
それに加えて猫の日常も。
お雑煮の餅を盗み食いし、噛めば噛むほど歯にひっついて痛くなったり。鼠捕りに挑戦してみたり。運動と称してかまきり狩りや木登りをする様子など……。
苦沙弥をはじめ、登場人物がへんてこ(笑)とくに迷亭のキャラが好きだわー。口から生まれたってこういう人のことを言うんだな(´_ゝ`)
ページごとに注があり、読みやすくておもしろかったです。
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我輩は猫である。名前はまだない。からはじまる夏目漱石の名作。一癖も二癖もある登場人物の雑談を第三者(猫?)的視点で痛烈に批判したり同調したりなお話。この作品の先生とは夏目漱石自身を指しているといわれていることから100年くらいたったとはいえ、人間関係とかの問題は変わってないんだなあと思える。
あたりまえだが、少し古典臭い読みにくさがあるので星は4つ
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ちくま文庫の漱石全集第1巻は、『吾輩は猫である』。
学生時代以来数十年ぶりの再読であり、解説も含めて573ページある本書は、私にとって読書力養成読書におけるひとつの山だった。そこを越えられてホッとしている。
でも、すごく楽しめた。以前も笑いながら読んだけど、今読んでもやっぱりおもしろい。文章のリズムが良いから気持ち良くて、つい声に出して読みたくなる。
漢詩をはじめ、科学や哲学、歴史など、漱石の知識がふんだんに盛り込まれており、難しい言葉がひょいひょい出てくるのだが、それを猫が語っているというのがなんとも滑稽でかわいい。
苦沙味先生の家にふらりと来てああでもないこうでもないとしゃべっていく迷亭先生や寒月君、東風君に独仙君など、みーんな個性的。彼らの会話は知的でユーモアにあふれていて、クスクス笑ってしまう。
猫目線で語られる人間の暮らしが、理不尽さもありつつも、なんだかちょっぴり切なくて愛おしい。鈴木藤十郎君と迷亭先生がひとしきりしゃべって帰って行った後の描写が、ふと訪れる静けさにホッとすると同時に、なんともたまらないもの寂しさが押し寄せて、じんわり心に残った。
〈主人は例のごとく書斎へ引き籠る。小供は六畳の間へ枕をならべて寝る。一間半の襖を隔てて南向の室には細君が数え年三つになる、めん子さんと添乳して横になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町の下宿で明笛を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底に折々鈍い刺激を与える。外面は大方朧であろう〉
学生時代に読んだときは、猫の語りや登場人物たちの会話がおもしろいと思っていただけだったが、今再読してみると、いろいろな示唆に富んでいて学べるところがたくさんあり、情景描写にもおかしみや切なさがあり、メモが抜き書きでいっぱいになった。
芥川龍之介や太宰治の文庫全集1巻を読んだときにも書いたが、文学作品は大人になってから読む方が、真に深いところまで理解できて、人生が、心が、さらに豊かになる。素晴らしい読書体験、充実した読書時間を得られた。今読んで本当に良かった。心が潤うってこういうことなのだな。
結末は、知っていても、何度読んでも、やっぱり悲しい。
〈呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする〉
読書力養成読書13冊目。