投稿元:
レビューを見る
自分で考えてモノを見る事の大切さと面白さを教えてくれた本。トマソンは昭和と平成の間の建築物のうねりのような気がした。
投稿元:
レビューを見る
無用門、純粋階段、の震源地はここ。
観ることに対してどれだけ自前の感性が使えるか?
感じたら、他の人に、それをちゃんと手渡せますか?
芸術に血道をあげるなんてほんとにばかばかしく、
だから愛しく、尊い。
投稿元:
レビューを見る
この本が出た当時に友人のアパートで初めて読んで、トマソンのコンセプトに激しく共鳴しました。最近ではブラタモリがこの街モノのヒットですね。
投稿元:
レビューを見る
赤瀬川ワールドが炸裂してます。手元に置いて、ページをパラパラさせるだけで心地よいトリップ感が味わえます。
投稿元:
レビューを見る
いまのアークタワーの土地にあった天徳湯にまつわる話や写真が衝撃。人生の後半を巻き込まれた風呂屋のご主人、ゼネコンのやりかたって、どうなんでしょうと考える
投稿元:
レビューを見る
登り降りするだけの”純粋階段”
なぜこんなトコロにドアが?!”高所ドア”
通れない”無用門”
製作者の意図しないところで芸術作品となってしまった
無用の長物たち…路上観察って面白い!
投稿元:
レビューを見る
中々ブックオフにはなかったけど、めでたくヤフオクでゲット。
確かにこれは名著。ただし後半やや展開・内容に飽きてきたのも事実。
元祖サブカルともいうべき本書の魅力は、著者のさりげなく
そしてどこか俯瞰した感じの目線が匂う文体。
「みなさん、これからトマソンを知らないと笑われますよ」とか、
ゆるくそしてポイントを押さえた文体が素晴らしいです。
投稿元:
レビューを見る
「まじこれ意味無過ぎでムダなんだけどウケるーーwwwwww」みたいなものを”超芸術”として探し続ける無意味の極みな不思議な本です。ココロに余裕を持たせたいあなたにオススメ
投稿元:
レビューを見る
読み終えた、というか、ふらっと入ったブックオフで見つけて、久しぶりに写真を眺めて見たくなって衝動買い。高田馬場トライアングルが懐かしい。
やっぱ、名著だなー
投稿元:
レビューを見る
学生時代、建築を専攻していて、この本の解説も書いている藤森教授のファンだったので、彼の「路上観察学」については知っていたが、その前身である「トマソン」について掘り下げるまでの興味はなかった。が、赤瀬川氏の著書を読んですっかりファンになってしまい、なんとなく手にとったのだけど、文章のキレといい写真といい、終始笑いっぱなしだった。意味を笑い、無意味をも笑う。その先にある超芸術性というのは、『路上観察学入門』で松田哲夫が指摘する通り、「江戸以来の見たて」である。見方の天才に圧倒される一冊。
投稿元:
レビューを見る
町の中の「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」を蒐集し、「純粋階段」「無用門」「アタゴタイプ」「原爆タイプ」といった名称を与えて分類している著者たちの活動の記録です。
同様の企画は、「VOW」シリーズやTV番組の「ナニコレ珍百景」に受け継がれていきましたが、そのオリジナルはここにあったのではないかと思います。
それにしても、表紙の写真は何度見ても目眩がしそうになります。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
都市に“トマソン”という幽霊が出る!?
街歩きに新しい楽しみを、表現の世界に新しい衝撃を与えた“超芸術トマソン”の全貌が、いまここに明らかにされる。
多くの反響を呼んだ話題の本に、その後の「路上観察学」への発展のプロセスと、新発見の珍物件を大幅に増補した決定版。
[ 目次 ]
町の超芸術を探せ!
トマソンを追え!
2階家の印鑑
空飛ぶ御婦人
ビルに沈む町
馬鹿と紙一重の冒険
トマソンの母、阿部定
群馬県庁のトマソン
高田のババ・トライアングル
キノコ型の原爆タイプ
おとなのかいだん
1/6の電柱
新型ブリキヘルメット発見!
パリの絆創膏
華麗なるファール大特集
そーっと息をしている死体
阿部定の歯型のある町
トマソン、大自然に沈む
都市のポリープ
第5世代のトマソン
コンクリート製の亡霊
命がけで突っ立っている死体
中国トマソン爆弾の実態
匿名希望のトマソン物件
ベンチの背後霊
愛の鬼瓦
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
なぜか往年のテキストサイトっぽいノリを感じた。もちろん当然トマソンの方が先なので、私がそう感じただけなのだけど。
前半の盛り上がりは凄まじい。冷静になると「よくもまあこんなことで大はしゃぎできるな」という内容なのだが。トマソンを探して、写真を撮って、解説する。トマソンが次々に名前をつけられて分類されていく過程が楽しい。
後半は若干マンネリ化してしまったが、そのことも正直に白状する赤瀬川さんも素直だなと思った。
投稿元:
レビューを見る
◆ あなたのまわりにもトマソンがある!?◆
途中で途切れている階段、2階についていて出入りができないドア、どう進んでも行き止まりの道、細すぎて通れないドア、塗り込められてシルエットだけが残る標識…。誰かがつくったことは確かだけれど、用途や意味が変化したり宙に浮いてしまってい るモノ。役に立たなかったり意味不明だったりすることが、逆によろこびや楽しさを生み出します。表現者やアーティストがいなくても、鑑賞する人とその視点さえあれ ば芸術は存在するかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
(01)
大きく、トマソンは近代の遺構とも言える。ただ、近代において、都市とは完成品ではなく常に工事中建設中のただ中にあり、あるモードから次のモードへと移行するさなかに、ふと現れた現象とも言え、多くは、半端な解体と半端な取り繕い(*02)によってその移行の裂け目を段階的に継いでいる階段やその階段の放置(*03)とも言える。これを超芸術と観じ、提唱し断じた本書の功績は大きい。
(02)
半端であるのはその所属や所有でもあり、多くは境界や公共に現れる。半端であるのは技術的な問題でもある。解体しようとする技術と意志の弱さ柔らかさ、取り繕おうとする技術と意志の弱さ柔らかさにあり、近代的な素材が、特にモルタル、コンクリートといったセメントな素材が人々から離れていくその過渡期の技術的段階に現れたものとも言える。
(03)
写真雑誌から発生したこともあり、収録されたいくつかの写真は写真としても美しい。放置とは、内部の外部化とも言える。この放置期間の短さや儚さを物件が想起させるために、超芸術的な振る舞いを可能としている。この想起は、観察者が、先の近代と都市の手早さを既に呑み込んでいることにより生まれる。刹那であることの切なさとも言える。様々に言える超芸術トマソンはやはり超芸術であると言える。