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紙の本
「人生の師」(忘れ得ぬ人々)とのめぐり逢いと思想遍歴の物語
2020/08/10 10:02
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「仏教で”坐禅”というのは、キリスト教の”祈り”のことです」と、ある牧師から教えられたという(35頁)。著者が旧制中学の頃、地元宮崎の教会で熱心に”祈り”を捧げる受洗信者の一人だったとは、なんとも驚いた。
恩師が、古武士然とした面影を宿すクリスチャンやキリストに降った禅門の人だったらしい。明治初めに青年期を迎えていたなら、著者はあの有名な熊本バンドの一員になっていたかも知れない。
しかし、上京後、青春期の彷徨中に「基督禅の三関」めいた説法を聞いた帰り道で、三昧境から身心脱落する一種の「見性体験」をした著者は、これを契機に禅に向かう。
本書には様々な機縁でめぐり逢った「人生の師」(宮田東みん老師(王偏に民の漢字が登録不可のため平仮名で対応)、古川堯道老師、鈴木大拙先生、苧坂光龍老師、森本省念老師、大森曹玄老師、山田無文老師、ほか20名)が紹介されている。
また、見開きで「臨済正宗鵠林下法系図」が掲載(286~7頁)されており、誰がどの高徳(善知識)の嫡流なのかがよく判る。
著者の表現を借りれば、「求道」と「伝道」(布教)に身を尽くすのが「禅者」のあるべき姿なのだろう。前者が得悟までの暗中模索なら、後者は悟後の衆生済度か。
生きるべき我が道を求め悩み、苦しみ抜き、坐禅、托鉢、作務、勤行などの雲水修行と公案格闘の日々を過ごす。やがて立場が逆転し、弟子の育成に責任を負い、仏道を世に広め、己が周囲を感化する身となった先達を著者は慕う。
五十歳で居士から出家僧に変身した著者の「自伝めいた」物語には、実際に参禅してその人間性に触れた老師方の<求道者>と<伝道者>の両面がはっきりと描かれて読み応えがあり、著者の思想遍歴が窺える著作として出色の出来栄えである。
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