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明治維新の功績者といふと誰を思ひ出すだらうか。
私の場合は、薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬、長州の桂小五郎、そして幕府では勝海舟といつたところか。
この作品では、吉田松陰とその弟子の一人高杉晉作の人生が描かれてゐる。
吉田松陰は「松下村塾」で維新の志士を育てた人物だし、高杉晉作は長州で奇兵隊といふ身分を問はぬ軍隊を作つた人物だ。
私はその程度の認識しか持つてゐなかつた。
吉田松陰は思想家である。
その思想とは、簡單に云つてしまへば、日本の國は天皇が治めるべきだといふことだ。
つまり倒幕派の思想的バックボーンである。
この當時、勤皇派はすなはち攘夷派であつた。
これは當然のことながら幕府の方針とは相いれない。
それゆゑ吉田松陰はいはゆる「安政の大獄」で處刑された。
そして、大老・井伊直弼は、幕府が天皇の意向に逆つてまで開國した爲に、攘夷派の志士達に殺されたのである。
その弟子はたくさんゐる。
そのなかで、最も思想的に松陰を受け繼いだのが久坂玄瑞であり、それを行動に昇華させたのが高杉晉作であつた。
長州はその當時、急進派と穩健派との間で搖れ動いてゐた。
高杉晉作の功績は、その長州に革命を起こしたことだ。
世界の中における日本といふ視點からものを考へ、日本を變革させる手段として長州を變革させた。
彼がいなければ長州は倒幕に團結することもなく、したがつて明治維新が實現したかどうかもわからない。
彼は、時代がその存在を求めた、一世一代の風雲兒であつた。
もし彼が結核で亡くなることがなく、明治政府のなかで重要な位置を占めてゐたら、日本はどのやうになつたのだらう。
そんなことを想像させられた。
高杉晉作に較べれば、桂小五郎(のちの木戸孝允)や伊藤博文は人物がひとまわり小さい。
山縣有朋にしても高杉のカリスマ性に較べれば小さい、小さい。
でも、もしかすると西郷隆盛のやうに政治からは彈き出されてゐたかもしれない。
さういふことまで想像すると、高杉晉作とは時代が與へた役割を果して、そのまま舞臺から退いたのだと云へるだらう。
辭世は、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」で、
わづかに27歳8ヶ月の生涯であつた。
2004年12月21日讀了
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功山寺決起のくだりが身震いするほどかっこいいんだ・・・!興奮する。珍しく山県の見せ場があってなかなかかっこよく書かれていた。
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幕末列伝、長州物語第4巻。高杉晋作の活躍と最期。
日中戦争、太平洋戦争から100年くらいたとうとしているのですけれど、まだ6、70年ぐらいですが、おそらくあっという間に100年がたつのですけど、そうすると幕末から100年くらいに生まれた僕らと同じような感覚時期に世代ができるということになります。明治以前の時代というのは、感覚としてものすごく前、昔のような気がしていたのですが、さすがに最近は本を読むようになって、以前ほどには古いハナシでなないことに気がつかされたのですけれども、ほんの100年から150年前の時代のことが、ほんの数十年後には、昭和の戦争史も同じ立場になるのだと思うと、ちょいとした感慨にふけります。
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晋作が死ぬまでの激情…劇場。
最高の演出家だ。カッコイイ。そして偉い。今まで知らなかったのが恥ずかしいほど、高杉晋作は偉人なのだと思った一作。
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Kodama's review
「おもしろき こともなき世を
おもしろく
(すみなすものは 心なりけり)」
(06.10.27)
お勧め度
★★★★★
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この本読み終えたのが、27歳8ヶ月。高杉晋作が現世を去ったのと同じ齢。「私の人生これから」って思っててもリスクをとらず動かないでいることは人生の浪費だと感じた本。
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幕末の長州藩の物語。吉田松陰から始まった革命も、ついに高杉晋作が成功させる。そして晋作は27歳で死を迎える。人は何かを成すために生まれてくるのではないか、そしてそれを見い出し、実行するために、精一杯生きなければならないのではないかと感じた。おもしろき こともなき世を おもしろく
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人間というのは艱難は共にできる。しかし高貴は共にできない。
まさにその通り。
人は我欲のかたまりらしいですからね。
それにしても、「かんなん」って難しい字ですね。
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新しいことを起こす、権力を握らない、他藩士と交わらない、藩から重役に置かれてもお金がない、城下町一の美人と結婚しながらもほとんど家にいない、海戦の素人にも関わらずいきなり夜戦を決行する、節目節目で詩を読む、折りたたみ三味線を持ち歩く、ことあるごとに芸者と飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ、妾と逃亡、ロックンローラーかと思いきや、ロックンローラー以上の天才
高杉晋作
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「戦いは1日早ければ1日の利益になる。まず飛び出すことだ。思案はそれからでいい」(P266) なるほど、胸に響く。「おれには天がついている」(P176)言い切って大胆な行動に出よう。
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4巻は戦場のシーンが多くて読むのに苦労した。維新は町人、殊に大商人無しにはなり得なかったんだと改めて感じた。歴史に名を残す幕末に志士も商人の財力に後押しされたからこそ志しを遂げられたんだろう。
高杉晋作は非情に面白い人ではあるけれど、こんな人が身内にいたらさぞや手に負えない事だろう。それでも端で眺めてるぶんには漫画やアクション映画を見ているようで、悪いけどこの人の人生そのものがまるで享楽。
司馬遼太郎さんの本は初めて読んだけど、人物に対する作者の目線がとても温かい。
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同じタイミングで読んでいた藤沢作品と比較すると、どうしても自分の好みの問題もあるが、小説としての冗長さが目に余り★評価は相当に辛目。
まぁこの冗長さこそがこの作家の特徴であるから、これを受容するか否かという単純な話ではあるとは思うんですが。
それにしても山県有朋に対する徹底的・粘着的な低評価など、直接見たんかい?と突っ込みも入れたくなる面多々あり、要するに司馬遼節炸裂の作品ではあり、好きな人には堪えられんのではないでしょうかね。
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『世に棲む日々』
1〜4巻。おばあちゃんの家にあった古い本棚から掘りあてたら偶々ホットな吉田松陰さんや長州の高杉晋作が登場するお話。前に読んだ同じく司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』と時期は一緒だけど、違った視点でみると違う印象を受ける。
幕末の変動期はやっぱり日本の歴史を大きく変えた時期だと思う。
時勢、時の勢いというものが少しでも変わっていたら今の日本はどうなっていたんだろう。
この時期の人間はエネルギーが凄い。特に好きだったのは井上馨。
興味深かった所は幕末の人たちは鎖国が当たり前のものだと思っていたという話。後から歴史を勉強した僕からすれば江戸幕府が政策上鎖国したっていうのは常識だけど、当時の人からすれば日本でははるか昔からずっと鎖国が続いていたものだと考えられていたらしい。「開国」とは単純に国を開く事では無くてそれまでの世界観を180度回転させることだったのだろう。
司馬遼太郎では国盗り物語が面白いらしい。また読んでみたい。
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完結編の巻。
この「世に棲む日日」では、吉田松陰も高杉晋作も、坂本竜馬とは会っていないことになっている。小山ゆうの「お・い竜馬」の中では、二人とも坂本竜馬に会っていたから、交流があったものと思っていたけれど、おそらく、そっちのほうが物語をドラマチックにするための創作で、実際には会ったことはなかったのだろう。
この、藩を越えて志士同士が交流をおこなっていて、それが醍醐味でもあった時代において、晋作という人は奇妙なぐらいに、他藩の人間との関わりをしていない。とことんまで長州という藩のことを考えて、長州のために生きようとしたところは、他の志士と大きく価値観が違うところで、面白い。
この巻で、晋作以外に興味深かったのは、のちの陸軍大将になる山県狂介の若い頃の、奇兵隊の中でのエピソードだ。非常に用心深くて慎重に行動をするこの人物も、その人生の中で何回かは意を決して、死を覚悟の上で無謀な行動に飛び込む必要があった。そういう人々の中で、維新後に政府の大臣になるかどうかの分かれ目は、資質ではなく、単純に維新の後まで生き残ったかどうかにのみかかっている。そう考えれば、歴史に名が残るかどうかというのは、紙一重の運によって決まるものだという気がする。
高杉晋作の人生は短い。たった27歳8ヶ月の若さで死んでいる。
しかし、高杉晋作という人ほど、太く短く燃え尽きる生き様が似合う人間は他にいないだろうと思う。この物語を読むとわかるのだけれど、短い人生の中で、高杉晋作は確かに自分の役目を完遂した上でこの世を去っている。これ以上生き長らえたとしても、それはそれで本人にとって不本意な余生ということになったかもしれない。
それは、29歳で世を去った吉田松陰という人についても同様で、この二人を主人公にすえて動乱の真っ只中を描いたこの小説は、これ以上ありえないくらいにドラマチックで、何回読んでも心を揺さぶる場面が数え切れないほどあらわれる、名作中の名作だと思う。
伊藤は、馬で夜道を奔った。伊藤はたてがみにしがみついた。馬にくらいつきながら、馬関での大仕事をおもった。伊藤は、
(おれはもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ)
そう思え、と自分に言いきかせた。政敵の赤根武人は伊藤を「才子」とあざけったが、たしかにこの若者は多少の軽薄さをもった才子であった。かれがもし、この時期、長府・下関のあいだを死霊になった気で奔ったという意外な一面がなかったならば、かれは生涯単に才子として終わったかもしれない。(p.21)
「攘夷はどうなります」
伊藤は、かさねていった。すでにひそかに開明論者になっている伊藤にとって、攘夷同志とのつきあいが頭痛のたねであった。うかうかすると、伊藤は自分の同志から殺されるかもしれない。
「伊藤よ」
「はい」
と、伊藤はかたずをのむ思いで、晋作の解決法をきこうとした。
「宇宙は止まってはいない。そのうち一回転するよ」
と、事もなげに言い放った。宇宙とはこの時代の流行語で、晋作のここでいう意味は、時勢というほどの意味である。(p.143)
「坂本に会いますか」
と、伊藤がいっ���ことがある。晋作は、一笑に付した。
「会う必要はあるまい」
と、にべもなくいった。晋作ほど、他藩の連中に会いたがらない男もめずらしかった。幕末の奔走家の最大の快事のひとつは、他藩の士と交際し、友を得ることであった。元来、三百年の閉鎖社会は二重に閉ざされていて、日本も鎖国なら諸藩も他の藩に対して鎖国であった。それが崩れ、奔走家たちが諸藩の士と交わったとき、世界が大きくひろがったのだが、晋作は固陋なほどに長州至上主義であり、
「他藩の連中につき合ってなにになるか」
と、たかだかと高言していた。(p.153)
「おうの、浮世の値段はいくらだと思う」
「・・五両ぐらいかしら」
晋作は、そういうおうのが気に入っていた。おうのの、真綿の入ったような手の甲をほたほたと叩きながら、目をつぶっている。
詩をつくろうとしている。
「なんぼどす?」
おうのが、心配になってきたらしい。
晋作は、その手の甲を、また叩いた。晋作のいう浮世の値段というのは、おうのが受けとった意味とちがっている。美人であれ、不美人であれ、英雄であれ凡骨であれ、ひとしなみに人生とはいったいどれほどの値段かということであった。生きていることの楽しみはたしかに多い。しかしその裏側の苦しみもそれとほぼ同量多いであろう。その楽と苦を差引き勘定すればいくら残るか、というのが、晋作のいう浮世の値段なのである。
(まあ、三銭か)
と、晋作はおもった。それ以上ではあるまいと、この若者は思うのである。かれは歴史のはじまりは神武帝だとおもっている。それ以来二千年、何億の人間がこの世に出てきたが、それらはことごとく死に、何億の煙を作って消え、愚者も英雄もともに白骨になった。まったくのところ、浮世の値段はせいぜい三銭か。(p.191)
「道後の湯へ参られたことがございますか」
と、晋作は肥大漢にきいた。肥大漢は、はい、二度ござりまする、と答えた。
「あの湯に、神代、少彦名神が病まれ、湯につかって心気一変、よくなられたというが、ごぞんじか」
と、晋作は、とりとめもない話題をもちだして、相手の反応を知ろうとした。肥大漢は、道後の湯の縁起について明るいらしく、しかも晋作が質問をかさねてゆくうちに、晋作が予期しなかったことに、この肥大漢には国学の素養があるらしいことだった。晋作は、少彦名神が病苦が去って全快したときに叫んだという古代日本語がひどく哲学的な感じで好もしくおもっていたが、かんじんのその言葉をわすれてしまった。それをこの博徒に質問すると、かれは、
「マシバシ イネツル カモ」
と、教えてくれたのである。マシバシとはしばらくという意味。イネツルは寝つるであり、「しばらく寝ていたようだなあ」というただそれだけの意味だが、晋作にはなにやらそれが人の世を象徴しているようにも思える。(p.201)
「二十一回猛士」
と、松陰がみずから称したということを燕石がきいたとき、燕石は驚嘆し、感動した。松陰はその生涯で二十一回の猛を発しようとみずから誓い、結局、三回発したのみで、幕府に殺されざるをえなかった。松陰は死にのぞみ、永訣書を書き、「自分の墓碑名は、松陰二十一回猛士とのみ記してもらいたい」と遺言したが、要するに十八回の猛を仕残して松陰は死んだ。その十八回の猛を、門人たる晋作たちがひきついで発すべきであったし、げんに久坂玄瑞ら多くの同門の士が十人のうち八、九人までが猛を発し、非業にたおれ、先師のあとを追った。それを思い、自分が碌々として生を偸んでいることを思うと多少のはずかしさがある、と晋作は語ったのである。(p.217)
晋作の生涯は二十八年でおわる。師の松陰のそれよりも一年みじかい。
が、晋作は松陰の死後、八年ながく生きた。この八年の差が、二人の歴史の中における役割をべつべつなものにした。(p.280)
かれはそのみじかい生涯において自分の活動期が終了したことを知っており、残された晩年の日々を、かれの表現でいえば「閑かに臥し、ひとり惟惟」として、詩文を楽しみつつすごそうとしていた。
「どの人間の生にも春夏秋冬はある」
と、かれの師の松陰がいったことがある。幼少で死ぬ者もそれなりに春夏秋冬があり、長寿をえて死ぬ者も同様であり、春夏秋冬があることは人生の長短とかかわりがない。ゆえに自分が短命におわることにすこしの悔いもない、とは松陰がみずからに言いきかせた言葉だが、晋作の人生の晩秋はみじかかった。しかしいかにみじかくとも、晩秋らしい晩秋を、晋作はごく自然に送っている。(p.286)